出会いと手伝い
僕は何もできない。できやしない。
スポーツ、勉強、趣味、何をやっても駄目だった。
続けようとしても、僕の体がそれを許さない。
母親には、いつも、怒られ、呆れられ、しまいには、目さえかけられなくなった。
僕は生きていても何も世界の役には立てない。
役に立たない。紙切れより役に立たないただのごみなのだろう。
きっとそうだ。きっと僕は、この世に要らない存在なのだ。
誰の目にもつかず、ただ世の役にたたず、世間に飯を食わせてもらい、そして誰にも感謝されずに死んでゆく。
それならば、いま死んでしまったほうが世間も自分も、楽だろう。
でも、いざ死のうとすれば、怖くて、窓から飛び降りることもできない。
ああ、自分は死ぬことさえできぬ存在なのだ。
ごみめ、なぜ死なない。お前はこの世に要らぬ存在だ。いたって意味もないのだ。それなのになぜ死なない。
自問自答を繰り返す。
しかし、その問いを数百回数千回と繰り返しても、答えはあらわれてくれなかった。
そればかりか、その問いを繰り返すたび、僕の体は鉄球を結び付けられるように重くなっていく。
ごめんなさい、ごめんなさいと意味もなく謝罪の言葉を述べ続ける。
僕はもう何もできない。生きることすら、死ぬことでさえも。
僕は寝た。疲れてしまったからだ。
僕に居場所はない。しいて言えばこのさびれた神社の縁の下。それが僕の居場所だ。
今日も何も解決することができないまま、僕は、寝た。
また、一日の始まりを迎える。
また、僕は自問自答を始める。
問いの答えはいつも「お前は必要ない、必要とされていない。」
心の中には、膿がたまったような気持ち悪い液体が渦を成していた。
僕は、何も食べず、手持ちの水を飲んで暮らしている。
じきに水も尽きる。どう生きようか。そもそももう生きる意味なんてないのに。
このまま、死ねればいい。そんなことも、思い始めていた。
ああ、もうこの自問自答も思考も意味があるのか。無くなってしまえば僕は完全に楽になれるというのに。
この輪廻から解放されるすべもないものか。
「この馬鹿もんが。」
いきなり上から声が聞こえた。さっきまで人などいただろうか。そもそも来ていただろうか。
縁の下から神社の縁台をのぞいてみると、そこには、着物姿の女性があたかも男のようにあぐらをかいて座っていた。
「さっきからうだうだ何を悩んでいるのだ、そこの少年。」
偉そうな口ぶりで、その女性は僕に問いかけてきた。
「おかげでこの社にも負の空気が漂ってしょうがないわ。」
手に持った扇子をわざとらしく仰ぎながら、怪訝な表情で、彼女は話を続ける。
「何日も前からここにいることを見ると、お主、帰る所がないんじゃろ。え?違うか?」
近からずとも、遠からず。僕は頭を縦に振る。
「お主のことは知っておる。母親から捨てられたんじゃろ。」
ずきっと胸が痛む。ああ、わかっていてもこの胸の痛さは変わらない。言われることで胸に深く突き刺さる。
「残念じゃったな。お主の母親は警察にも捜索願を出してはおらん。お主がいなくなったことを知らないかのようにいつも通り暮らしておるぞ。」
さらに絶望感が僕を包む。本当に僕は必要とされていないのだ。
「...」
彼女が黙った。少しの間、僕と女性の間に重い沈黙がおとずれる。
「...お主、自分が悪いとは思うておらんのか。」
思わず僕は彼女の方をのぞく。自責の念にかられている僕がわからないのか。
「お主を世間が必要としているわけじゃない。当り前じゃろ。お前を知っている人間なんてこの世の何割と思うておる。お主が世間を必要としてないだけじゃないか。」
彼女に言われて僕は、愕然と立ち尽くす。世間が僕を望むわけがないんだ。僕のことを知らないから。
彼女の言うことはあまりにわかりやすすぎた。
「でも、もうお前が帰る所はないぞ。」
彼女は同時にそんなことを言った。
「なんで」
僕は自然と言葉が出ていた。否定したかったのだ。その言葉を。
「お主がこの世をあきらめたからだよ。」
「それだけか?」
「それだけだよ。お前の存在はもう誰も知らないだろうし、お前がいたとしても知らない人間だと思われるだけじゃろうしな。」
この何日間かでそんなこと可能だろうか。
「可能さ。だってお前ずーっと自分を要らない人間だと思うていたのじゃろ?その言霊は、お前の存在を消した。」
そんなの夢物語だ。そんなことが可能であるわけがない。言霊なんて存在するわけがない。
「信じれんならお前の知り合いを訪ねてみるといい。誰もお前のことなど見えはせんよ。」
言われるより前に僕は、神社を下り始めていた。
「すまないな、少年。」
彼女はなぜか謝っていた。しかし、神社からすでにいなくなった僕は、女性の謝罪なんて聞こえていやしなかった。
まず来たのは家だった。
「帰ってきたくはなかったけど...謝ればゆるしてくれるかな。」
僕は、インターフォンを鳴らす。
「はーい?」
母さんの声、その声は、僕の体を委縮させた。
それでも、僕は勇気を振り絞って、声を出した。
「母さん、俺だけ...。」
「誰もいない...。いたずらだったのかしら。」
ど、と言おうとした瞬間、横切った声に僕は驚愕した。
インターフォンはカメラ付きだ。それなのに僕が映っていないらしい。
まさか、本当に、消えてしまったというのか。僕という存在が。
次はドアをノックした。
「そんなわけない。そんなわけない...!」
ドアが開く。
「母さ...。」
「本当に今日は何なのかしら。いたずらばっかり。」
本当に存在は認識されなかった。僕はここにいるというのに。
とっさに母さんの肩をつかもうとした。掴めなかった。
透けたのだ。体を。まるで自分が幽霊のようだった。物質には触れるのに、人には触れない、。
自分の体は本当に存在を失ってしまったらしい。
信じられないが、信じるしかなかった。
僕は泣いた。
これも自分の責任なのだ。自分のせいで自分は存在を失った。
帰る場所はもうなくなった。これからどうすればいいのか。これからどう生きていけばいいのか。
僕は、もう泣くしかなかった。
しばらくして、僕は仕方なく神社に戻ってきた。
女性は寝ころびながら目をつぶって扇子を仰いでいた。
「少年よ、恨むな。自分も他人も。」
「恨んでなんかない。でも...」
「どうやって暮らそうか、か?」
こくりと僕はうなずく。
「安心せい、わしもそこまで鬼畜ではない。ちゃんとお前の仕事ぐらいあるさ。」
彼女はにこりと笑う。
彼女の笑顔は、とても明るく、美しかった。僕の心のわだかまりが少しだけ、溶けたような気がした。
こんな笑顔を見る機会があるなんて思ってもみなかったからだ。
「ここは、見ての通り、誰もいなくなってしまった神社じゃ。だから、ほれ、お主が神主になれ。」
僕の喉奥から自然とへっ?と間抜けな声が出ていた。
「なんとも間抜けな声を出すのう。じゃから神主になれと申しておる。」
僕はいまだ彼女の言うことが理解できない。
「あああ、もういいわ!さっさとこれに着替えて出てこい!!」
しびれを切らした彼女は僕に着替えを手渡して、僕を社の中に押し入れた。
しぶしぶ僕は着替え始めたが、彼女に悪い気はしなかった。
いままで、誰にも構ってもらえてなかったから。
ちょうど着替え終わるころ、外から彼女が話しかけてきた。
「そういえば、お主に我が名を教えておらんかったな。わしの名は火之加具土之神。カグツチと呼んでくれ。」
カグツチと聞いて僕はその場で立ち止まった。
神だったからというのもそうだが、立ち止まった理由はそれだけではなかった。
カグツチと、その名を示すものが僕の足を止めたのだ。
「母殺し。その異名はお前も知っていよう。」
その言葉に僕の体はびくっと震えた。
「言い訳になってしまうが、わしもわざと親を殺したわけじゃない。それでも、父であるイザナギにわしは殺された。まあ、何が言いたいかっていうと、わしもお前と同じように親から見放されているんじゃ。」
カグツチが僕を励まそうとしていることが扉越しに伝わってきた。
そのやさしさと、自分と同じであるという悲しみに僕は、泣きそうになった。
「すまんな。こんな話しても何の意味もないのにな。そろそろ着替え終わったころじゃろ?出てきてはどうじゃ?」
胸の中の悲しみを抑えるのに何分かかかった。
ようやく収まったころ、僕は沈み切った思いを払うように、思い切って扉を開けた。
「おお!よく似合っているじゃないか!さーて、早速仕事に取り掛かってもらうとしようかの。」
カグツチから与えられた仕事は難しくはないものの肉体にこたえる仕事ばかりだった。
疲れ果てて神社の縁台に寝っ転がっていると、突然額に冷たい感触が襲ってきた。
びっくりして身を引くといたずらな笑みを浮かべたカグツチが、缶ジュースをもって立っていた。
カグツチは僕に缶を手渡すと、隣に座ってもう片方の手に持っていた徳利に口をつけた。
「よう頑張ったのう。おかげで境内は見違えるようにきれいになったわ。」
僕はこくんとうなずく。特に肉体にこたえた仕事がこの境内の草抜きだった。僕の背丈ほどあった草もあり、それは森のように雑草が生い茂っていた。それを3時間抜き続けたのだ。疲れるに決まっている。
ジュースを飲もうと缶のプルタブに指をかけた。
...お決まりの展開だった。
飲み口から勢いよく中身が噴き出てきた。吹き出たジュースは僕の顔面をべっとべとにしていった。
カグツチは、口から酒を噴き出しておおわらいしていた
「あっはっはっはっはっは!何の疑いもせず缶を開けるとは!わしも性格のいい神ではないぞ!!」
そう言った後でまた一口酒を含み、それを吹き出しそうになるほどカグツチはドツボにはまっていた。
呆れはしたものの、そんな時間が、とんでもなく楽しかった。
よほど度の強い酒だったのだろう。カグツチは先に寝てしまった。僕もやるべきことをし終えたので寝床に入ろうとした。布団は一枚しかなかったのでカグツチとはいることになってしまったが仕方がない。
ちょっとドキドキしながらも、自分を戒めて、カグツチの顔と逆側に寝ることにした。
うとうとし始めたその時だった。
「...ごめんなさい。...ごめんなさい。」
それは、誰にも届くことのない謝罪の言葉だった。すぐそばから聞こえたのでおそらく寝言だったのだろうが心配になって僕はカグツチのほうを向いた。
彼女はやはり、泣いていた。大粒の涙でカグツチの枕は濡れてしまっていた。
僕は無意識にカグツチを両腕に収めてしまった。カグツチもそれによって起きたようだった。
やばいと、僕は両腕を放そうとしたが、
「そのままでいて。」
カグツチの言葉で離せなかった。
カグツチは僕の胸の中で泣いた。僕の寝間着はカグツチの涙でぐしょぐしょになった。
カグツチの苦しみは、僕には決して理解しきれないものだ。カグツチにしか理解できないものだ。
お前のことは自分が一番理解してる。なんて無責任なことを言うやつがいるが、僕はそんなことを言うやつを憎む。
しばらくして、カグツチは泣き疲れたのか、またスースー寝息を立てて寝てしまった。
それでも、僕はカグツチのことを離せずにいた。
鳥のさえずりが聞こえる。朝が来たようだった。
そばにいたはずのカグツチはもういなくなっていた。
起き上がって、隣の部屋へと向かうと、いい匂いが僕の体を包んだ。
「おはよう少年。朝飯を皆でとるのは神代の決まりでな。お主を待っていた。」
小さなちゃぶ台の上には二人分の食事がのっかっていた。
カグツチの指し示した方向に僕がすわって、朝食を二人でとった。
朝食をとるのなんて何週間ぶりだろうか。その一口一口を僕は噛みしめる。
「...その、昨日は情けないところを見せたな。」
なんとなく、カグツチが昨日の泣き姿を恥ずかしがっているのがわかった。
ちょっと気まずい空間が出来上がってしまった。
僕も謝った。そもそもな話、カグツチを抱いてしまったのは僕だからだ。
僕達はさっさと朝飯を食べ終えると、神社の仕事に取り掛かった。
あと一つ後悔したことがあった。
神様に食事を作らせてしまったということだった。