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父様が亡くなった。
葬儀は遺言通り親族だけの密葬でしめやかに行われた。それでも父様は地元の名士であったから弔問客は引きも切らず、いまだ跡を断たない。対応は家の雑務一般すべて任せている嶋さんがすべてこなしてくれたので、今や唯一の血縁者となってしまった私はただただ悲しみに暮れるだけの毎日を送るだけでよかった。とはいっても一切悲しいとは思わなかったけれども。
父様は私の将来を酷く心配していた。
それはきっと私がまったく男性に興味を持たず、婿養子をもらう素振りがまるでなかったからだろう。
父様としては私可愛さよりも家名が絶えてしまうことこそが気懸かりであったはずだ。
しかしそれは自業自得である。
父様は生きたいように生き、そして死んだのだ。その結果三百年以上続いた家名が絶えることとなっても仕方のない人生を謳歌したはずだ。
正妻との間には子はできず、結局私のような妾腹の子に家の未来を託した。
私が高校生になった頃だ。私の母が病に倒れ、母の命の期限が区切られるや、私は顔も見たこともない父様に引き取られた。
母一人子一人で倹しく、それでも懸命に生きていた私にはまさに寝耳に水の出来事だった。
病床の母は私の手を取り、涙だけ流した。
きっと悔しかったのだと思う。
結局愛情だけでは我が子を守り切れなかったのだから。
それからしばらく、私は父様の家から学校と病院へ通う生活を続けた。
その若干歪んだ生活を送っていた当時何度か、父様にいわれたことがある。本当はお前のお母さんと結婚したかったのだと。当時の私は実に素直に、だったら何で結婚しなかったのかと憤ったものだ。でも今ならばわかる。父様が若かったその当時、自分の意志で結婚相手を選べた者などはたしてどの程度いたのだろう。
ただ、引き取られてからも特別愛情をかけられた記憶はない。
だいたいが私は、普段使用している姓は未だに母方のままだ。
父様の所有する様々な権利や動産、不動産など、そのほとんどが含まれた相続権こそ私に譲渡されているが、姓を変えることだけは断固として拒否した。それは唯一、私が父様に見せた意志である。
父様の、その時の泣き笑いの顔を私は生涯忘れないだろう。
私の緩やかな復讐心は、そんな老人の悲喜交々の表情を見ることで幾分和らいだものだ。
話は変わって。
私には人にはない能力がある。
異能。
超能力。
呼び方は様々あると思うが、わたしのそれは遠く離れた場所の情景をまるで自分の目の前で展開されているかのごとく見ることができる。
人にはないものを持つのは少し嬉しくは思うのだけど、いつだったか強姦の現場を目撃してしまったことがある。夢や幻ならばそれでいい。しかし目の前で展開されたその惨劇はとても夢などの曖昧な感覚はなく、まるでリアルだった。その女性が誰なのか知る由もない。その後も数度、私の意識は彼女の目前まで飛んだことがあるが、彼女は倦み疲れた、じっとりとした視線を私の方に向けるばかりだった。もしかすると彼女には私が見えていたのかもしれない。
それにしても、どうして彼女に纏わる情景ばかりが見えるのだろう。
無論ほかの人間の情景も実にたくさん見る。しかし今まで見た衝撃的な情景はその女性のもののみだった。もしかするとなにかしら、私とその彼女には同調する波長のようなものがあるのではなかろうか。
素人考えで根拠もなにもないが。
その女性がレイプされた時も、私は矢庭にうろたえただけだ。しかしその場に存在しているのはどうやら私の思念のみで、そんなあるかなしかのものでは結局どうすることもできなかった。
どうすることもできなかった。
最初から最後まで。
どうすることも。
正直にいうなら。
あの時たとえどうにかできたとしても、私は多分どうもしなかっただろう。
雨居直。
それが被害女性の名前。
私と同い年くらいか。
私はどうも自分の年齢を数えるのが下手だ。
私は彼女を初めて見た時、先ず彼女に嫉妬した。
最初はどうして自分の中にそうした感情が芽生えたのかわからなかったが、どうやら。
彼女はべらぼうに美しかった。
酷く愛らしかった。
顔も仕草も声も、なにもかも可愛かった。
それが私には、とても妬ましかった。
私はちっとも美しくないから。
私は結局、世間では拒否される類いのもの。
世間の枠組みに嵌まるものではないし、有益か無益かを測る尺度も存在しない。
ため息をひとつ落とし、無意味な内省を打ち切る。
そういえば。
不図思い出す。
何日か前、どこから聞き付けたものか大柄な男と長い男が私の異能について知りたいと訪ねてきたことがあった。どういう内容の会話をしたのかいまいち覚えていない。ただその大男が矢鱈と魅力的だったことだけは覚えている。
本当に用件はそれだけだったか。
私ではなく、父様のほうに用があって来訪したのではなかったか。
精神安定のために飲んでいる薬のせいか、最近は記憶のほうも曖昧である。
うまく生きられない。
世の人もそうなのだろうか。
他人に比べ堪え性がないのを自認してはいるが。
美しいものが好きだ。
あの男の名はなんといったか。
*
石川悪四郎は日比野子雄の作りだした新興宗教長寿教を我がものとして後、平素中規模及び大規模の集会を行っていた長寿教本部ビル内の大ホールの改良から開始した。
改良といってもホール内にあったパイプ椅子をすべて撤去したのと、柱や壁に貼られていた垂れ幕やらポスターなどを剥がしただけだが。
悪四郎自身は三人掛けのソファに腰を落とし、背凭れに両腕を乗せた状態で日々様々な報告に耳を傾けている。
それで何をするのか。
今後どうするのか。
今や側近の一人となった子雄ですら、彼の鉢の大きな頭の中に秘された青写真を窺い知ることはできなかった。
日々悪四郎は様々な人間と顔を合わせ言葉を交わし、且つ西に人物がいると耳にすれば馳せ参じ、東に有能者の噂を聞けば急ぎ足を向けた。
平常時悠揚に構えているだけにそうした時の腰の軽さに、子雄などは最初戸惑った。
それでも悪四郎に仕えていると、何故だか子雄の気分は高揚した。
ちなみに子雄は、女装癖はあるが男色家ではない。
「日比野君」
「は、はい!」
「時に君は、潤目民子という女性を知っているかね?」
「は、はい。知っていますが…」
「あの女性はいけない」
「それは、どういうことですか…?」
最早平伏しているようなていで話を聞いていた子雄は、眉と目だけを悪四郎に向けた。
「私の事業に唯一水を挿せるとすれば、彼の女性だけなのだ」
わからない。だから子雄は、ものはついでとばかりに常々思っていたことを尋ねてみた。
「あの、石川様。…よ、世の中の様々な能力者を発掘して、それでいったいどうなさるおつもりで? 事業とはいったい…」
「聞きたいかね」
悪四郎は子雄に顔を向けた。
悪四郎の顔には、言葉では表現できない異様な威圧感がある。特別傲慢でも強引でもないのだが。
ただ決して厭な圧力ではない。圧倒的な強者であるように感じられる故か、悪四郎に魅入られた者は大概、彼の大きな存在感に我が身を委ねることを心地よく感じてしまうのだった。
「聞きたいのかね」
「…は、はい…」
悪四郎の表情は滅多に変わらない。比較的多弁なほうであるのだが、言葉を発する時も口をほとんど開かない。
「この国を」
「こ、この国を?」
「昔の姿に戻す」
「昔の姿ですか…?」
「昔は良かったと、そんな台詞聞いたことあるかね」
「はあ。年寄りがよく口にしているのを耳にします」
「それを実現するのだよ」
一億三千万人から二千万人へ。
「このような小さき島国に、今の人口は多すぎる。そうだろう?」
「は、はあ」
「多いのだよ」
「はい」
「数の不均等はそのまま下々の日常の破綻を生ず。今の世の中を見てみたまえ、人民は皆逼塞しているではないか」
「たしかに」
「だから間引きを行う。日本全土をひとつの共同体と考えての口減らしだ」
「口減らし…しかしですね」
反論などせずとも、自分はただハイハイと頷いていればいいのではないか。それで十分心地良く、満ち足りた気持ちになれるのだから。
子雄は少し潤んだ瞳でとんでもない構想をぶち上げた男を仰ぎ見た。
「それはその…無差別殺人ということでしょうか?」
大仰な構えを取っておいて、その実ただのテロリストなのか。
しかし悪四郎に限ってそんなことはないと、子雄は強く信じている。
「間引きだよ、日比野。不必要な人間を切り捨てるのだ」
「そ…その、必要かどうかの線引きをするのは」
私だよ。
悪四郎は特になんの感情も込めず、そういった。
子雄は再び平伏した。
「世に埋没する能力者を発掘し、我が望みを一日でも早く現実のものとするために協力してくれ給えよ。今名づけよう、大日本先祖返り計画」
「大日本先祖返り計画…」
子雄の興した宗教を礎にその潤沢な資金を活かし、通常人が持ち得ない行使し得ない力を持った者を探す。
偏に、この世の中から一億人以上の人間を粛清するという途方もない計画のために。
可能か不可能かは子雄は考えない。
ただ純粋に、目の前のカリスマに従うだけだ。