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リョウの目の前で結局一つも見もしなかった映画が終わる頃、アナウンスが台北への到着を告げた。リョウたちは、揃えたような大きな欠伸をして目を瞬かせた。
「……何、お前、ずっと起きてたのか。」リョウが涙目になりながら問う。
「うん。雲見てたの。もうちゃあんと瞼の裏側に覚えたから、今度からは眠る時にこれ思い出して眠ることにするの。そうすると幸せな夢が見れる。……リョウは今、何の夢見てたの?」
「海賊船乗って世界中旅する夢。」
それはリョウの目の前で延々と映じ続けていた「パイレーツ・オブ・カリビアン」でのことではないかと、ミリアはふん、と不貞腐れたように再び顔を窓に寄せ、次第に近づいて来る台湾の街並みを見下ろした。本当にここが台湾なのかとミリアは訝る。日本と同じような街並みである。ここに住む人が聞いたこともない異国の言葉を話しながら生活をしているとは到底信じられなかった。
飛行機はどんどん降下していく。もう到着するのだ。まだ見ぬ精鋭たちが待つ国へ。
空港を降り、真夏のような日差しを浴びせられながらリョウ一行はタクシーを拾い、地図を見せて会場へと乗り付けた。
そこはホールと行ってもいい建物で、Last Rebellionが日本で行っているライブハウスとは比較にならない程の大きさであった。千人を超えるキャパを誇るというその実態を目の当たりにし、リョウは瞠目した。
「おい、凄ぇな。」シュンが盛んに首を上下に動かしながら言った。
「これでたった十バンドって、マジで埋まんのかよ。」いつもは冷静なアキも顔を仰向けたまま、唖然として言った。
「でも、日本の精鋭たちも来るもん。」ミリアは自信いっぱいに答える。
「三人ぐれえな。」リョウはそう言い捨てた。
「おい、こっち、こっち!」とシュンが今度は振り返って、道路を挟んで向かいにある巨大なホテルを指差した。
「わあ、でっかい! 天井が見えないわよう!」ミリアは手を叩いて飛び上がった。
「違ぇよ! あの字見ろ! これ、俺らが泊まるホテルじゃねえか!」
「え、マジで。」アキが目を瞬かせる。
「な、何かの間違いだろ。」と言いつつ、リョウも手渡された旅程の描かれた資料と、でかでかと掲げられた看板の字を頻りに見比べる。しかしどうやら同じである。まさか、と思う気持ちと何かの間違いであろうという気持ちとが交錯する。
「おお! Last Rebellionの皆さんですね!」
と、そこにホールの中から背の高い青年と人の好さそうな老人が歩み寄って来た。老人は丁寧な日本語で、「台湾へようこそ。お待ちしておりましたよ!」と言った。リョウはその日本語に安堵をし、「ああ。そうです。Last Rebellionのリョウです。本日はよろしくお願いします。」と笑顔で手を差し伸べた。
「初めまして。私は通訳の李。こちらが今日あなたたちをお呼びした楊です。今日をとても楽しみにしていました。」
「おお! あなたが楊さん。リョウです。ああ、今までメールで色々世話んなりました。ありがとうございました。今日はよろしくお願いします。」と楊の手を固く握り締めた。
楊は中国語で何やら言い、リョウにハグをした。リョウは何を言っているのだかはわからなかったが、「どうも、どうも。」などと言いながら、それに応えている。それを李が通訳した。
「あなたたちの音源は実に素晴らしいですよ。こちらでもあなたたちの演奏を見たいという声があちらこちらで聞こえていて、今日はお呼びできて本当に嬉しく思いますよ。」
「マジか。」シュンが瞠目する。「こっちで俺らのCD売れてんの?」
李が何やら楊に訊ね、楊はその通りだと言わんばかりに大きく何度も肯いた。
「凄ぇな。俺らのことを知ってる外国人がいるっつうだけで、何だか俺は偉人になった気がする……。」茫然とシュンは呟いた。
「何でただのベーシストが突然偉人になんだよ。」アキが顔を顰めた。
「だってよお、俺が知ってる外国人なんざ、メタラーかナポレオンみてえなのかどっちかだろ。」
「てめえは紛れもなく前者だろ。」
「これからリハーサルを行って、少し早めにお夕飯に出かけて、その後演奏を行ってもらいますよ。」
「わかりました。」リョウは意気揚々と肯く。
「楽器は既に届いてあります。こちらへ。」
リョウ一行は二人の後に付いて会場へと入った。入口付近には幾つものポールが立ち並び、ここに観客は蛇行しながら並んで入って行くのかと思うとそれだけで緊張感が走った。広々としたロビーを抜け、扉を開けた瞬間、目の前にはどこまでも広がった客席、仰ぎ見る程に高い天井があった。海外の大物バンドでもが行うような会場に、さすがに四人は暫く口がきけなくなった。その様を見て楊が李に伝える。
「ここはですね、三年前にできたばかりなんです。千人を包括するホールです。大規模メタルフェスは、この国では無理だと多くの人たちに反対されてきました。実際にここもメタルのライブを行ったことはありません。ですから、今日を迎えるまでには、本当に色々な戦いがありました。でも絶対に成功させたかった。この国でもアメリカやヨーロッパ、日本で行われているようなフェスができるんだと、知らしめたかった。ありがたいことに、応援してくれるファンもたくさん集まり、その中で日本のLast Rebellionを呼んでほしいという声が上がったんです。」
「一体、何で?」シュンが信じられないとばかりに問うた。
李が楊に伝え、楊が再び李に伝える。
「ヘヴィでありつつメロディアスな楽曲。やはりアジア人はそういう愁い、を好みます。」
「わー、わっかるわー!」シュンが大声で首肯する。「だってよお、Veiled in ScarletにThousand Eyes、日本のメロデスは正直今や最強だと思ってるわ。悪ぃが北欧越えも時間の問題だわ。」
「と言いつつお前、飛行機ん中でTERROR2000聴いてたの知ってっからな。」アキがすかさず突っ込む。
「……それから、ミリアさんを見たいという声が多くありました。」
「ミリアチャンカワイイ」楊はにっと笑いながらたどたどしい日本語で、はっきりとそう言った。
「そう。モデルをしているミリアさんを見たいという声がたくさんあったそうですよ。」
「……何で知ってんの?」ミリアは目を瞬かせながら繰り返す。
「凄いじゃねえか!」アキがミリアの背をばしばし叩く。「お前、海外にファンがいるなんて超偉人級だぞ!」
「でも何でミリアの顔なんか、知れ渡ってるわけ? 俺らのジャケットにも乗せたことねえのに。」アキが首をひねる。
「……雑誌を見ているんですよ。日本のファッション誌、あちこちで買えますから。」
ミリアはぎょっとして目を見開いた。「雑誌? 雑誌のミリアを見たいって思ってるの?」
「何か不都合があるのですか?」李が尋ねる。
「その、……雑誌のミリアはライブのミリアとちょっと、……だいぶ、、……結構、違ってんの。ライブん時はバンドのTシャツでしょ? お洒落してないし。お化粧もしてないこと多いし。カメラの前みたいににっこり笑ったりもしないし。」
「そうなんですか。」
李と楊は何やら話し合い、李が「でも、大丈夫ですよ。今のままのミリアさんはとても美しいですから。お洒落をしていても、ギターを弾いていても、そのままでとても綺麗です。」
ミリアは頬を紅潮させた。「綺麗って言われちゃったわ!」
「やるな。」シュンが微笑みながらミリアの背を叩いた。「さすが俺らの看板娘だ。」
突如リョウが咳ばらいをした。「楽屋案内してください。」ミリアの容貌を賛美することを好まないリョウは、生真面目にそう伝えると、「そうですね。こちらへどうぞ。」と李と楊は客席を突っ切るようにして歩き始め、ステージ脇の扉を開け、楽屋へと案内した。