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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 いよいよ海外遠征に出立するその日が三日後と迫ってきた。

 ミリアはピンク色のスーツケースをリョウに買ってもらい、そこにユリからもらった人形を括り付け、うっとりと微笑みながら荷物を詰め込んでいった。

 「これはライブの時着る用。」と言ってLast RebellionのTシャツを畳み入れる。「そんでこれはリョウとの夜デート用。」昔撮影後に貰った花柄のワンピースが入れられる。「後は、歯ブラシセットと、お化粧品と、……それは前の日に入れて、っと。……飛行機に乗って行くのよね。」

 「ああ。」リョウの方は準備は全く手つかずである。リビングに開けっ放しにされたスーツケースにはLast RebellionのTシャツが一枚放り投げられている以外、何も入っていない。それよりもライブの照明だの音作りだのを会場責任者に細かく連絡し、どうにか初の海外公演を成功させようとそればかりを考えている。それでここ数日間はパソコンを睨みながら、しきりにメールを打っているのである。

 「飛行機って、おっかないわよね。」

 「……そうか。」タイピングのスピードは僅かにも減じない。

 「だって、何で鉄の塊で、人もいっぱい乗ってるようなものがお空ずーっと飛んでられるのかしらね。紙飛行機だってすぅぐ落っこちちゃうのに。」

 「……そうか。」

 「でも海外の精鋭たちに会うためなら、おっかなくっても頑張らなきゃね。」

 「……だな。」

 そっけない返事にもミリアは次第に笑みが零れてくる。

 「それが終わったらデートだわね。……ねえ、そしたら二日目は新婚旅行ってことだわね。」

 「そうだな。……はあ?」リョウは遂に振り向いた。

 「だってリョウと初めて海外旅行行くんだもの。一日目はライブだけど、二日目は新婚旅行だわね。」

 「クソったれ! ライブだよライブ! 一日ごとに目的分けんな! ライブ! しかもこっちはここ三日間も向こうとのやりとりで苦戦してるっつうのによお! それに楽器も機内持ち込みできねえらしいから、別便で送るしかねえし。何なんだよ、一体。バンドマンに対する冒瀆行為じゃねえか。ギターと俺は一心同体だろ? ……つうかお前、ギターと機材、詰め込み終わったんか?」

 「うん。」

 「マジか。」

 「ほら、これ。やってないの、リョウだけ。もうそろそろ機材、シュン取りに来るもん。」

 「マジか。」リョウは壁時計を仰ぎ見て、「ええ、マジでこんな時間? やべえ!」と慌てて立ち上がった。ギターを取り出し、ハードケースに仕舞い、買っておいた緩衝材を詰めまくる。「ああ、完全忘れてた。ああ、早く準備しとくんだった。向こうの担当者が曲毎に照明の指示くれとか言い出してよお。曲順送ってサンプル送って、そんでああ、もう。」

 ミリアはソファに膝を抱えて、にこにことリョウを見詰める。

 「飛行機、リョウとミリアは隣同士でしょ? 腕組んで座ってもいい?」

 「……お前暇なら手伝えよ。そこにエフェクターボード持ってきて。」ギターケースを緩衝材で勢いよく巻き付けながらそう命じた。

 ミリアはそそくさと立ち上がり、「はーい」と手渡す。

 「あと、弦。一応お前の分も入れて3セットぐれえ持ってくか。万が一ぶち切れた時のためにな。」

 「はーい。」同じく弦を手渡す。

 「あとピック、初海外だ。名刺代わりに撒いちまおう。そこにあるだけ持ってきて。全部。」

 「はーい。」

 リョウの掌にはピックの袋と小箱が同時に置かれた。

 「あ?」見れば避妊具の箱である。「……何、やってんだ。俺はピックを寄越せっつったんだぞ!」焦燥に加え激昂して言った。

 「ピックもある。」

 「んなの分かってる、これだ、これ! こりゃあ何なんだ!」リョウは避妊具の箱を掴み上げた。今更見てわからぬものかとミリアは口をとがらせる。

 「だって、新婚旅行だもの。」

 「だからいつ誰が新婚旅行に行くなんつった? さっきから俺はライブだ、初の海外公演だっつってんだろ!」劈くような怒声にミリアは思わず耳を塞ぐ。

 「でも新婚旅行行ってない。行ってないから、ミリア寂しくってしょうがないのよう。」

 「はあ?」

 「ああ、新婚旅行にも連れてってもらえないなんて。」ミリアは手で顔を覆い、泣きまねをする。「いい奥さんになろうと思って、まいんちまいんちめいっぱいギター練習してるのに。ソロだってリョウの気持ちになって考えて頑張って作ってるし。リョウと弾くツインギター、誰にも負けない気持ちだってあるし。そんでライブではヘドバンもしてお客さん煽って、めちゃくちゃ凄いステージングだってやるのに……。なのに、なのに……。」

 「……わ、わかった。」大切な、バンドの歴史に刻まれるべきライブの前に意気消沈されては正直、困る。リョウは渋々その箱を受け取り、スーツケースに放り込んだ。

 ミリアは手を離して、僅かにも濡れていない瞳をリョウに向けた。

 「持って行きゃいんだろ。持って行きゃあ。……もう知るか。ほら、次! そこのkemper寄越せ。」

 ミリアはにっこりと微笑んで、「はーい。」と手渡す。「早くシュン来ないかなあ。」

 「ダメだダメ! まだ来られちゃ困るんだよ! 見りゃわかるだろが!」出来上がった機材は酷く雑に巻かれている。

 「でももう時間だもの。シュンはスタジオだって絶対遅れないもの。真面目なんだもの。」

 リョウは焦りながら、ほとんど勢いに任せて次々に緩衝材を巻き付けていく。

 何だか腑に落ちない。自分はバンドの世界進出という長年の夢がようやく叶えられると、日々緊張感をもって奮闘しているのに、それを新婚旅行だと言って疑おうともしない少女がここにいるのだ。無論、だからと言ってステージングに手抜きをするような訳ではないのだが、何だか気抜けしてしまう。緊張感が失せていくのはいいのだか、悪いのだか……。リョウは複雑な気持ちを抑えつつ、とにかく機材を片っ端からミイラのようにぐるぐる巻きにしていった。

 そこにインターフォンが鳴り響いた。

 「シュンだ。」ミリアはさっさとソファから飛び降りると玄関先へと駆け出していく。

 扉が開く音と共に、「おいこら、機材取りに来てやったぞ。」明るい声が玄関先に響き渡る。

 「おーい、リョウ、準備できてるか。」リビングにシュンが入って来た。

 「出来立てのホッカホカだわよ。ほら見て。こんな雑にぐるぐる巻きにされてんの。」ミリアが緩衝材に巻かれた多種多様の機材を撫でながら答える。

 「うるせーよ!」

 「ギターだろ、エフェクターボードに、ヘッドアンプ。」シュンも指差し確認していく。「細々としたのは全部ハードケースん中入れたか? 消耗品は全部余計に持ってけよ? 向こうで即座に手に入るかはわかんねえからな。それで終いか?」

 「あとこんだけ。kemperを包めば終いだ。」リョウは顔も挙げずにぐるぐると緩衝材を巻き付けている。

 シュンは乱雑なリビングを眺めながら、端に置いてあったリョウの黒いスーツケースの中を覗き込んで、ぎょっとした。

 「おいおい、何だこりゃあ!」

 「あ。」ミリアが口をぽかんと開ける。そこにはたった一つ、Last RebellionのTシャツの上に避妊具の箱が置かれていた。

 シュンはそれを拾い上げて高々と掲げた。「お前ら何しに行くつもりなんだよ! おい! リーダーがこんなんでいいと思ってんのか?」シュンは遠慮なしに大声で怒鳴り立てた。

 リョウはkemperを巻き付け終わらぬ内に慌てて立ち上がり、スーツケースから離すようにシュンの両肩を抑え込み、そのままぐいぐいと後退させていく。「否、違ぇんだ、勘違いしないでくれ。」どうにかこうにかシュンの掲げる小箱を奪い取る。リョウの方が背が高いのが功を奏した。

 「何が違ぇんだ! スーツケースにコンドームだけさっさと仕込んで海外公演行くつもりなんじゃねえか! ライブやりに行くのか、別のモンやりに行くのか、どっちなんだ!」シュンはいちいち恥ずかしい言葉をはっきりと区切りながら言うのである。

 「ち、違うの。」ミリアも泣きべそかきそうな顔でシュンに縋り付く。「リョウは準備手伝ってって言って、そんで、ピック寄越せって、言ったの。だのにミリアが違うの、その……渡しちゃって……。」

 「呆れたギター野郎どもだぜ。俺らのサウンドはこんなふざけた奴らに一任されてんのか! そんなんで海外の耳の越えた連中満足させられんのか! ああ?」

 「否、海外公演は俺の長年の夢でだな……、今さっきまでメールであっちの担当者に曲のデータ送って照明の指示もしてな、これから物販も準備しようと思ってて……。」

 「そうかそうか、念入りな準備をしてたっつうことだな。……ヤるために!」

 「あああ!」ミリアは遂に拳をシュンの腹部にぶつけた。「そんなに怒んないでよう! ミリアが悪かったの! リョウは何やってんだってミリアのこと怒ったんだからあああ!」

 「なあんだ、そうか。」シュンはにっと笑ってミリアの頭を撫でた。「じゃあ、いいや。」

 リョウは目を見開く。

 「ミリアならしょうがねえな。じゃさっさと荷物まとめて、運び込むか。」

 「な、何で、ミリアならいいのよう。」顔を顰めながら言う。

 「そりゃお前はまだ若いからな。十代なんつうのは、欲望との戦いだ。しかも一勝五敗ぐれえがデフォだからな。しょうがねえんだよ。」

 「……ふうん。」ミリアは腑に落ちない顔つきでシュンを見詰める。リョウは再び床にしゃがみ込んで、kemperを巻き始めた。

 「三十路男が欲望に突き動かされてるのは絶対ダメだけどな、まあ、お前ならいいよ。っつうかしょうがねえ。ただガキはまだ作っちゃダメだかんな。せめてギターのヘルプ見つけてから作れよ。でも、そうそういねえよなあ。だってお前程リョウと似通った音出せる奴はいねえからな。さすが兄妹だよなあ。」

 「あ、そうだ。」リョウは緩衝材を巻き終えて、ひょいと顔を上げた。「俺ら、兄妹じゃなかったんだよ。」

 シュンは目を瞬かせる。そして苦笑いを浮かべる。「なあに言ってやがんだ。」

 「否、マジで。」kemperを持ち上げ、立ち上がる。

 「……面白くもねえ冗談だな。」

 「否、冗談じゃねえんだよ、な、ミリア?」

 「う、うん。」ミリアはこんな重大なことをこんな調子で言い出すリョウに少々の困惑を覚えつつも、事実は事実であるし、シュンにはいずれ伝えなければならないと思っていたので、大人しく首肯した。

 「は? 何で今更そういうことになんの?」

 「あの、遺伝子検査したの。」ミリアは肩を竦めながら言った。

 リョウはkemperをシュンに押し付けると、本棚の間からファイルを取り出し鑑定書をひらりと取り出すと、そのまま目の前に突き出し、見せつけた。「見ろこれ。」

 シュンは何も言えずに、ただただ渡された鑑定書を震える手で持って凝視する。

 「……な、嘘だろ。何これ。」

 「言っとくが本物だかんな、高ぇ金つぎ込んでやってもらったんだからよお。」

 「何だよ、今更! だってお前らは……。」シュンは鑑定書をリョウに押し返す。「そうそう、じゃあ何であんな音が似てんだ? プレイが似てんだ? おかしいじゃねえか!」

 「俺らの予想では、同じ経験が同じ音を生み出す原因になったと考えてんだ。」

 「はあ?」

 「父親に、……つうかミリアにとっては本当の父親じゃなかった訳だが、つまり、あの野郎に虐待を受けてたっつう、忘れようもねえ経験が同じ音を出す原因になったんじゃねえかなって。俺らの曲はデスメタルだし、絶望、苦痛、悲嘆、そういうのが音を作ってる訳だろ? そこがおんなじっつうことだ。血じゃあねえけど、俺らを作ってる根本が同じっつうことだ。」

 「そうか、……そうなのか。」シュンは自分を納得させるように、渋々肯いた。

 「だから、そういうことだから。」

 「だからこれからは夫婦なの。」ほとんどリョウの言葉に被せるようにしてミリアは意気揚々と言った。

 シュンはぽっかりと口を開けて、それからミリアの両肩をがっしと掴んだ。

 「そうだよ! そうだよな! 良かったじゃねえか! お前、……マジでガキも作れんじゃねえか!」

 「……ヘルプ見つけてから。」

 「そ、そうだったな。そうそう……。」シュンは暫くその姿勢のまま逡巡すると、「戸籍は?」

 「まあ、今更は無理じゃねえの。だってクソ野郎は死んでるし、ミリアの父親は誰だかわかんねえし。」

 「それ、……俺以外に誰か知ってんのか?」

 「お前とアキと、ユウヤと、それからまあ、裁判沙汰関わってくれたレイ君とか、箱の店長とかには言うつもりだったけどな。……精鋭たちに今更言うのもなあ。お前、奴らに言わねえで何か不都合ある?」とミリアに問いかけた。

 ミリアは静かに首を横に振る。

 「まあ、聞かれたら言ってもいいが、自分らから発信しなくてもいいかなあって。別に不都合もねえし。」

 「……だな。」

 「雑誌にも、リョウのこと、お兄ちゃんって書いてもらってるけど、別に、訂正記事出してもらわなくっていいの。」

 「う、うん。何か変だもんな……。」

 「台湾行って聞かれたら、夫婦、みてえなもんっつうか?」

 「みてえじゃない。夫婦なの。」ミリアはぐい、と左拳をリョウに突き付ける。その薬指にはダイヤの指輪が嵌められているのである。

 「……そっか。ま、そういうことで。じゃあ、荷物頼むわ。ミリア、エフェクターボードとか運べ。俺、アンプ行くから。」

 「うん。」ミリアはにっこりと微笑んだ。

 シュンは唖然としてただただ二人の様を見詰めていた。それは特に何も変わっていないように思われたが、微笑み合いながら荷物を運ぶ様には以前よりも一層互いを思いやっている様子が伺えるような気もした。そこからは、出自に関する、どう考えてみても深刻さを免れないであろう話題をどう二人が交わし、解し、受け入れたのであろうかという疑念さえ思い浮かんでくるのであった。

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