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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 式は厳粛に恙なく進行していった。ミリアは威風堂々の曲に合わせ、保護者席の中心を歩みながらリョウの姿を見つけ、小さく微笑む。リョウも微笑みながら小さく手を振り返した。

 リョウの胸中にはミリアの過ごしたこの高校生活の様々な思いが去来していた。ミリアの入院と別居、自分のがん発覚から治療、手術へ。その間、ずっとミリアと支え合って生きてきた。どちらかが欠けても、今日を迎えることはできなかった。

 リョウは不思議であった。自分がこんな感慨に耽るということが。どうしようもなく。

 自分は音楽を創り届けるのが、使命だと思っていた。そのためには傲慢でも何でも、自身の思いを放出させるのが先で、人の心なぞ解そうとさえ思わぬ人間であった。ミリアに出会うまでは。しかし今、もしかするとこういう感情を世の人間は皆有していて、それで恋愛だの結婚をするのかなどということもちらと思った。それは酷く自分に不釣り合いに思えたが、そう考えることは決して厭な気分では無かった。

 式典のつまらぬ合唱にも心が動かされ、リョウは神妙な気分になる。昔自分にもこんな経験があったはずなのだが、なぜだか一つも思い出せない。卒業証書を貰って酷く安堵をしたのは覚えているのだが、その前後が全く抜け落ちているのである。だから今、ミリアと一緒になって一つの節目を迎えているような、そんな気がしてならない。リョウは引き込まれるように合唱に自己を没入させていった。

 やがて合唱が終わり、来賓の挨拶が次々に過ぎていく。リョウはいつしかミリアの高校生活に思いを馳せていた。

 テストで0点ばかりを取り担任に呼び出され、叱り飛ばしたら高校には行かずギタリストになるだのと言い出した中学三年の頃。中学の時は、大変だった。母親が突如来襲し、ミリアを寄越せと裁判までやらかした。しかしそんなことにかかずりあっている間もなく、どうにか高校生にさせようと奮闘した。ユウヤに頼み込み家庭教師を付け、遂に念願の高校に受かった時には、あのクソ親父には絶対にできなかったことを成し遂げたという歓喜と達成感で胸が苦しい程であった。しかし高校生活は順調ではなかった。映画の撮影に行き、そのまま倒れ、このまま顔を合わせることなくいつまで過ごすのかと思えば、かつて感じたことのない寂寥と悔恨で胸がいっぱいになり、でもそんなことを言い出すこともできず、ただただミリアの回復だけを祈り続けた。そんな中でもアルバムをリリースできたのは僥倖と言う他ない。そして今度は自分が突如病に侵され。ミリアは妻、恋人もかくやというばかりに献身的な介護をし、病気も寛解し、そして大学の合格通知をミリアは持ってきてくれた。これは偉業と言う他ない。

 リョウは深々と溜め息を吐いた。ミリアに対し、感謝の念が沸き起こってくる。

 式は進み、次々に名が呼ばれ、一人一人生徒たちが立っていく。

 リョウはミリアはいつどこで呼ばれるのだか次第に緊張して来た。隣の婦人がビデオカメラを構えたのを見て、そうだ、と慌てて鞄の中からシュンから借りて来た一眼レフカメラを取り出す。ステージ後方からはミリアの姿を探した。やがてステージ脇に見たことのある担任教師が立つ。リョウはごくりと生唾を呑み込んで、カメラを構えた。妙な使命感が胸中に沸き起こってくる。

 「……相澤奈々、……大西亜実、加藤杏果、……黒崎ミリア……。」リョウは息を呑んで咄嗟にシャッターを指の震えの数と同じだけ切った。しかし映るのはミリアの後頭部ばかりである。リョウはがっかりして椅子に凭れ掛けた。何を自分は必死になっていたのだろう。わからない。自嘲的な笑みが口の端に浮かぶ。でも万が一将来、ミリアとの間に子どもが出来たならばこんなことをすることになるのだろうかと思い、リョウは目を瞬かせた。一体全体、どんなものが生まれて来るのだろうか。ミリアのようなぴーちくぱーちくと喧しい女の子なのだろうか、それとも自分と同じような憎たらしい男の子だろうのか。リョウは眉根を寄せて考え始める。

 自分と似た存在など、考えられない。よし、ミリアに似た女の子ということにしよう。リョウはそう結論付けて再び噴き出した。かつて想像だにしたことのない我が子について自分が真剣に考え始めてしまったのがおかしくてならなかった。救いを求めるように前方のミリアを見詰める。ミリアはすっくと立ったまま、クラス全員の呼名を待ち、そして皆で一斉に深々と頭を下げた。リョウは再び、意味のないものだとはわかりつつもシャッターを切った。


 教室から出て来るミリアを、外の保護者の群の中でリョウは待っていた。暫く経つと小さな花束を持ったミリアが駆けて来る。

 「ねえ、これ貰ったの!」息弾ませながら花束をリョウの目の前に突き出す。「部活の後輩がね、みーんなで並んでくれたの!」

 「良かったな。」ミリアの口から「後輩」などという語が出たことに、リョウは少なからず驚いた。ミリアはやはり、成長しているのである。

 「ねえ、ここで写真撮って。」ミリアは真正面に掲げられた『第三十二回S高等学校卒業式』の看板の前にリョウを引っ張って来る。

 「撮りますよ。」とそこに申し出たのはカイトであった。リョウが覚えているよりも幾分痩せ、色も白くなったようである。これが受験勉強の成果なのかとリョウは一瞬言葉を喪った。

 「ああ、ありがとう。……その、三年間、ミリアが世話になったな。」リョウは躊躇いがちに呟く。

 「いえ、こちらこそ。」

 「カイトは一週間後受験なの。」

 「え、マジで。」

 カイトは弱々しい笑みを浮かべながら、リョウの肩に掛けられたカメラをさっと取った。

 「本当は家で勉強してたかったんですけど、人生一度きりの高校の卒業式だし。でもいい気晴らしになりました。今年になてからはずっと家に籠ってひたすら勉強だったから。」

 「……大変、だな。」リョウはひたすら感嘆する。

 「さ、並んで下さい。」

 リョウはカイトに促され、ミリアと看板の前に立つ。

 「笑って下さいよ。」

 リョウは苦笑いにも似た笑みをどうにか浮かべた。

 シャッターが切られる。

 その時リョウは多くの生徒と保護者の視線を感じた。こちらを見ながら、あれがミリアの兄かとひそひそと小声を発しているのが聞こえる。

 「ありがとうな。」リョウはさっさとその場を去りたく、カイトに歩み寄りカメラを受け取った。

 「そろそろ、海外公演ですよね。」

 「ああ。」

 「もう、来週なのよ。」ミリアが明るい声で答える。「でもたった二日しか向こうにいないから、カイトの受験の前の日には帰って来れるよ。そしたら、お土産渡しに行ってもいい? ちょっとだけだから。」

 「お前迷惑だろ。」

 「でも、受験のためのお守りだから……。」

 「とても嬉しいです。」カイトは喜びを素直に表現していいものだか、悪いものだか、困惑したついでに堅苦しく答えた。

 「あんま、……邪魔すんなよ。」できるだけ嫉妬に聴こえぬよう努めて配慮する。

 「うん。じゃあ、帰ってきたらおうち行くかんね。」

 カイトは俯きながら笑みを溢した。

 「ミリアー!」大声上げて向こうから駆け込んでくるのはユリである。

 「ユリちゃん!」ミリアは勢いよく振り向いた。

 「もう! 先行っちゃうんだから!」ユリは荒々しく息を吐きながら、「台湾、気を付けて言って来てね。これ、お守り。」と言って、ユリはミリアに小さな手縫いの人形を渡した。女の子の人形である。ぱっちりとした目元に猫柄のエプロンを着けている。

 「これ……。」

 「そう。ミリア。」ユリはそう言ってニッと笑った。「そうだ! って思って一週間前から作り始めたから、ちょっと雑なところもあるけどミリアのことを思って作ったよ。」

 「ありがとう。」ミリアは幾分潤んだ瞳で、女の子のぬいぐるみを凝視した。

 「お兄さんも気を付けて言って来てくださいね。」

 リョウはああ、と頷く。まだ自分を兄だと言ってくれる人がいる。それはどこか安堵を齎した。ミリアは誰にも言っていないのであろう。それはおそらく、まだミリア自身が事態を消化しきれていないがために。リョウはしかし、自身もまた、どこか兄という関係に安住していたいそんな思いが払拭できずにいた。

 「カイトも頑張ってね。」ユリが微笑む。「もう来週だね。でもあんたは一年時からずーっと、うちらが馬鹿やってる時だって頑張ってきたんだから、絶対大丈夫だよ。」

 「ありがとう。」

 「ミリアも。あんたこそ小さい頃からずーっとギター頑張ってきたんだから、絶対台湾のライブは大成功するよ。二人の成功を祈ってる。」ユリはミリアとカイトの手を握り締めながら満面の笑みを浮かべた。

 三人はお互いに目を見合わせて、肯き合った。その時、どこからともなく吹奏楽部の音楽が聞こえだした。後輩たちが先輩にはなむけの音楽を奏しているのであろう。荘厳なメロディーが次々と重ね合わされていくホルストの第一組曲は、ここの三人にも確かに未来へと踏み出す勇気を培わせた。

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