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リョウはミリアと肩を並べて清新な空気に満ちた冬の街を歩いた。ミリアが三年間通った路。どんな思いを抱えながら歩いたのだろうと、リョウはぼんやりと考えた。
「ねえ。」ミリアはチェックのマフラーの中から、先ほどから黙ってばかりのリョウに問いかけた。
「何?」黒いスーツを窮屈そうに着て、リョウはすたすたと歩む。
「卒業だわね。」
「そうだな。」
「ねえ。」
「何?」
「ミリアがここ、受験した日のこと、覚えてる?」
「ああ。」リョウの脳裏には忘れようと思っても忘れられない、裁判の記憶がある。母親の接近禁止を勝ち取り、更には養育権を奪い取った、あの歓喜の日。受験の終わったばかりのミリアを高校まで迎えに行き、その報告を言わずにはいられなかった。忘れられるわけがない。
「ミリアね、受験が終わって、後者出て来て、その時リョウが校門の所に待っててくれて嬉しそうにしてたのが、すっごい嬉しかったの。」
「そりゃあ、……どうも。」
「何か、あの時、教室出てリョウに会う前まではちゃんとテスト出来たかな、合格できるかな、とか思ってたんだけど、そんなこともう、どうでもよくなっちゃって、すっごく幸せな時間が今から始まるんだって思ったの。裁判勝ったとかわかんなかったけど、でも、ピーンって来たの。ミリア、今から、幸せになるんだって。」ミリアはマフラーの中から顔を上げて、にっこりとリョウに微笑みかけた。
「へえ。女の得意な第六感ってえやつか。」
「知んない。でもね、この三年間やっぱ幸せだったよ。そりゃあ、映画の時倒れちゃって、リョウに会えなくなったり、学校行けなくなったりはあったけど、何かそれも、リョウの曲をちゃんと完成させるためには、絶対必要だったって今は思うの。知らない振りしてた昔のことも、ぶわーって頭の中に沸き起こって来て、本当の自分が、どうだったかって、ちゃんとわかったから。土台が、できたの。ゴチーンって。」
リョウは遠くを見つめながら、ただミリアの声に耳を傾けていた。
「辛いこと、苦しいこと、絶対なかったことにはしないの。だってミリアはデスメタルバンドのギタリストだから。ソロだって作るし、リョウの音楽をもっともっと色んな人に伝えていく使命があるから。だからリョウは隣で弾かしてくれてんでしょ? そういう人じゃなかったから、ミリアが入る前までは、何人もクビにしてきてたんでしょ?」
リョウは澄んだ青空を見詰めながら、どこか音楽のようにも感じられるミリアの言葉をじっと聞いていた。それは自分の内面から湧き出てくるべき言葉であって、それを他者の口から聴かされることにリョウは歓喜と不思議さを感じていた。
「やっぱ、……兄妹じゃねえのかなあ? 俺らって。」
ふふ、とミリアは小さく噴き出した。
「ねえ、リョウとミリアって、血は違うけど、経験は一緒でしょ? おんなじパパにおんなじ痛いこと、苦しいこと、辛いこと、いっぱいされたでしょ? それって、死ぬまで絶対忘れられないことでしょ。だからおんなじなのよね。気持ちも考え方も。そういうの兄妹じゃないけど、兄妹よりも断然一緒よね?」
「そっか……、そういうことか。」リョウは低く笑った。血ではない、もっと強い何かで結ばれていることが、リョウの胸中に安堵を広げていく。
「だからさ、リョウとミリアは一緒なの。ずっとずっとこれからも一緒なの。」ミリアは早歩きでリョウの前へと歩み出た。大きく諸手を挙げて、太陽の光を満身に浴びようとする。光を通した髪の毛が茶色くさらさらとリョウの前で揺れるのを、リョウは純粋に美しいと思った。