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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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9

 カーテンを勢いよく開けるとリョウは眠りに就いていた。高い鼻、薄い唇、彫りの深い目元に幾分乱れた赤い髪。ミリアはほう、と溜め息を吐きながらその様をまじまじと見下ろした。いつだって、誰よりも格好いいと思っていた顔。手を伸ばそうとして、一瞬、胸を締め付けられるような感覚を覚えた。死という不吉なものが過ったのである。ミリアは胸苦しくも、そっと頬を指先で辿った。顔を近づけると規律正しい寝息が聞こえて来る。

 起きてくれないかな、と思う。でも起こすのは忍びない。今日はたしか投薬に入ると言っていた。薬が効いているのだろうか。

 ミリアは家から持ってきた、スムージーにとゆず大根の漬物、豚の生姜焼き、マカロニと卵のサラダのそれぞれ入ったタッパーを頭上の棚に置き、じっとリョウの顔を見詰めた。どんな夢を見ているのだろう。熱狂的な観客を前にライブをしている夢かしら。それとも度肝を抜くキラーチューンが出来上がった夢かしら、はたまた大好きなMESHUGGAHが来日して最前列で暴れている夢かしら。とかく幸福な夢であってほしい。ミリアは懇願した。そして枕に手を突きそっと上半身を屈めて、リョウに口づけをした。

 「黒崎さん。」

 そこに若い看護師が入って来て一瞬、目を丸くした。ミリアは少々バツの悪い気持ちになり俯く。

 「点滴の交換をしますね。」看護師は明るく言って手際よく点滴を外し、新たな、黄色の液体に満たされた袋を取り付ける。リョウの瞼がゆるゆると震え、間もなく開いた。

 「……ミリア、」リョウは微笑んで呟いた。「来てたのか。」

 「黒崎さん、点滴の交換も終わりました。また、二時間後に来ますね。」だからキスなんぞをしているな、という牽制なのだろうか。ミリアは少し不機嫌になりつつも、リョウに顔を寄せて「点滴して、元気になった? もう、治った?」と尋ねた。

 「ああ、だいぶいいな。」

 ミリアは嬉しくなってリョウに抱き付く。

 「ふふ。……いま、何の夢見てたの?」

 「何だっけ……。」リョウは暫く考え込む。「あ……、思い出した。お前に白い猫飼ってやる夢。」茫然と呟いた。

 「猫?」

 リョウはふわあ、と欠伸をしながら「お前に猫飼ってやりてえって、ずっと思ってたんだよなあ。お前が子どもの頃よく一人ぼっちにしてたから。猫でもいたら嬉しがるんだろうなって思って……。結局飼ってやれねえまま十年も経っちまって。挙句の果てにゃあ、このざまだ。」

 ミリアは余計に力を込めてリョウをきつく抱きしめた。「猫、欲しくない。」

 ミリアは体を離し眉間に皺を寄せてリョウの顔の目の前に迫った。

 「リョウと一緒に居られれば、他になんにもいらないの。」

 リョウはふっと微笑んでミリアの頭を撫でる。「でも俺はお前よりもだいぶオッサンだからなあ。がんはともかくとして、遅かれ早かれ俺のが先に死ぬんだよ。」

 ミリアは唇をキッと引き結び、「リョウはオッサンじゃない。真っ赤なライオンだもの。誰よりも強くってかっこいい王様だもの。……そうだ。」ミリアははっとなってタッパーをリョウの目の前に突き出した。

 「これね、ビタミンのスムージーなの。がんにはビタミンがいいんだって。でもビタミン何なのかは、よくわからなかったの。だから他にもいろいろ作って来た。明日ユリちゃんにビタミン何なのか、聞いて来る。」リョウは呆気に取られて色とりどりのタッパーを見詰めた。

 「まず、これ飲んで。お野菜と果物のスムージーなの。レモンでしょ、キーウイでしょ、ほうれん草に小松菜、ケール、アボガドだって入ってるの。絶対どれかのビタミンはがんに効くと思う。それからゆずでしょ、豚肉でしょ。なんかがんに効くような気がしたの。」

 「……ずいぶん、お前、……その、頑張ったな。」リョウは目を瞬かせる。

 「これからまいんち持って来るから。だから、早く、……」顔をぎゅっと顰め、「治ってね。」絞り出すように言った。

 リョウは堪え切れずにミリアを抱き締める。「心配かけて、悪いな。でもほら、この点滴。もう治療は始まってんだよ。でも、そのせいかなあ。眠くて。」

 ミリアは縋るように黄色の点滴を見上げた。「もう、治っちゃうわね。」

 「……それよりよお、そろそろじゃねえのか。お前、前言ってたじゃん。来年のコースの希望調査とかってやつ。お前、ちゃんと大学進学のクラス希望って書けよ。」

 ミリアは目を見開いた。作曲をしているとご飯を食べたかどうかさえ忘れてしまうのに、よくもまあそんな何ヶ月も前の話を覚えていたかと思って。

 「何度も言うようだがよ、俺はお前をちゃあんと社会で生きていけるようにしてえの。そのためには大学ぐれえ、出ておかねえとな。その為の金を、こんなくだらねえ病気のために使っちまう訳にはいかねえんだ。一日ここに寝腐ってるだけでも結構な金が取られるらしいからな、早く治してお前の学費を稼がねえと。」

 「そんなこと……。」

 「そんなことじゃねえよ。俺はお前の保護者でもあんだからよ。」

 「夫だもん!」ミリアは大口開けて抗議した。

 「……まあ、夫でも何でもいいけど、お前の将来のことはきっちりやんねえとな。人生台無しにさせらんねえからな。だからお前も無理して毎日来なくたっていいからな。それより勉強……」

 「リョウの所に来ないと勉強頑張れない。心配でなんにも覚えられない。」

 授業になんぞ出たところで今日だって何一つ頭に入っていないのだ。ミリアの睨むような目線がリョウを射た。

 「……だから毎日、来るの。」

 「……わーかった。でもあんまいついちゃだめだ。お前は今が一番大事な時なんだから、自分のことを一番に考えねえとな。」

 ミリアは渋々肯いた。そんなことは絶対に受け入れられないと思いつつ。

 「だから、俺はこれを食ってがんを治すのが仕事。お前は家で勉強するのが仕事。あと、ギターも弾かねえと腕落ちるからな。テクってのは落ちるのはマジで残酷なぐれえ早ぇんだから、しっかり練習しろよ。じゃあ、また明日な。気を付けて帰れよ。」

 「もう?」

 「もう、じゃねえよ。何時だと思ってんだ。お前目の下なんか隈できてんぞ? 最近遅くまでここ居座って、ろくすっぽ寝てねえんだろう。だからとっとと帰って、飯食って勉強して、ギター弾いて、そんで寝ろ。」

 そう言って病室を追い出されたミリアは、とぼとぼとエレベーターの前まで歩み、致し方なくボタンを押した矢先、襲われるような悲しみに胸を押さえた。確かにここ数日、消灯時間になるまでリョウの傍にいたのは事実だ。しかしそれは必然であり、そうしなければ自分の精神の均衡が保てなかったから、そうしたまでのことである。リョウはわかっていない。ただのわがままだと思っている。ミリアは悔しさと悲しさで胸が張り裂けそうになった。目の前でエレベーターの扉が開く。でもそこに一歩踏み出すことができない。リョウの傍にいたい。戻りたい。わあ、と声が出そうになるのを両手で押さえて、ミリアはようやくつんのめるようにして一歩踏み出した。背で扉が閉まる。ぐい、と下方へ引き摺られる。一人になったことを幸いにミリアは声を上げて泣いた。いつリョウと一緒に帰れるだろう。こんな暗い中を一人で帰るのは嫌だ。家も暗闇だのに。

 チン、という音が響いて扉が開いた。

 慌てて顔を拭って前を見る。

 「ミリアじゃねえか。」

 アキだった。ミリアは目を瞬かせた。

 「悪いな、もっと早く来るつもりだったんだけど、仕事終わったらこの時間になっちまってよお。リョウの具合はどうだ。」

 「……点滴。」ミリアは呟くように言った。「今日から点滴始まった。」

 「そうか……。で、何で泣きべそかいてんだ。」

 ミリアははっとなってアキを見上げた。

 「どうせ、とっととうち帰って勉強しろとか言われたんだろ。あいつの教育熱心なのはネタなのか、本気なのか、未だにいまいちわかんねえ。」

 ミリアの双眸に再び無理な輝きが宿り始める。

 「あああ、泣くな泣くな泣くな。わかった。俺が車でお前のこと家まで送ってってやるから。もう一回リョウの顔見てこよう。俺の見舞に付き合え、な。」ミリアは思わず両手を胸の前で組み、アキを拝むようにして涙を落とした。まるでアキが救世主か何かのように見えてくるのである。「アキ、アキ、……ありがとう。神様だわ。」アキは「あ、ああ。」と頬を引き攣らせながらエレベーターのスイッチを押した。

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