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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 明日からはいよいよ冬休みというある日の放課後、ミリアはユリと学校近くの喫茶店で熱いミルクティーを啜っていた。薄暗いヨーロピアン風の店内は夕時ということもあり、客はまばらである。

 「カイト大変そうだよね。この間カイトの教室行ったら、センターまであと何日なんてでかでかと張り出されててさあ、休み時間なのに誰も喋んないで、かつかつ勉強してんの。うちらん所とはだいぶ雰囲気違ってびっくりしたよ。」ユリは自嘲的な笑みを浮かべつつ、湯気の立ったコーヒーを啜り上げる。

 「カイト、顔が白くなってきた。」ミリアも心配そうに呟く。「色白。」

 「だって血の気が失せる程勉強してんだから。AO入試でとっとと合格決める私たちとは目指す所も努力も違うよ。」

 ミリアはこっくりと肯く。「カイトにさ、台湾行ったらお守り買ってくるって言ってあんの。」

 「そりゃあいい!」ユリはぱちん、と手を叩いた。「絶対喜ぶし、受験頑張れるよ。何せあいつは……」ミリアを好いているんだから、とまでは言えずにユリは慌てて言葉を飲み込んだ。

 「あいつは?」

 「……否、ミリアに応援してもらったら嬉しいと思うよ。」ユリは焦燥を隠すように無理やり微笑む。

 「うん。」ミリアはぎこちなく肯く。「そうだね……。嬉しいね……。」

 「なあに? なんか腑に落ちないことでも、あんの?」

 「ううん。」ミリアは一応否定はしてみたものの、すぐに顔を寄せて神妙そうに聞いた。「ねえ、ユリちゃんってさあ、将来、子供、欲しい?」

 「え。」ユリは目を瞬かせる。「何、急に。」

 「ううんと、……どうなのかなって、思って。」ミリアは気まずそうに作り笑いを浮かべた。

 「まあ、保育科行くぐらい子供好きだし、自分の子供だったらもっと可愛いって聞くし、もちろん欲しいよ。まあ、でも三十近くになったらって感じだよ、さすがに。だってこれから大学生活をエンジョイするんだからさ。合コン出て、彼氏も作って。ま、あんたには関係ない話だけど。」

 「そっか。」ミリアは神妙そうに頷いた。「そだよね。ユリちゃんは保育園でボランティアもやってたし。子供好きだもんね。」

 「そうよ、この間は子供に食べさせるのやらしてもらったよ。もうね、すっごい可愛いの! お姉ちゃんおやつ頂戴って。タマゴボーロ小っちゃい手で掴んでパクパク食べてさあ。今度ご飯作るのも手伝わせてもらいたいなあ。……ミリアはどうなの? 子供好き?」

 ミリアは押し黙った。「多分……好き。」

 「何だそれ。」ユリは笑った。「あ、でもしょうがないよね、ミリアは身近に子供がいる訳じゃないし、未知の世界だもんね。」

 「今度ね、お世話になってる事務所社長の所に赤ちゃん生まれんの。来年の六月か七月って言ってた。」

 「へえ、そうなんだ。いいねえ、生まれたら抱っこさしてもらいなよ。かっわいいから。」

 「うん。」ミリアは何かを言いたそうに黙した。「……そんでさ、ミリアもいつか自分の子供って生めるのかな。」

 ユリは首を傾げる。「そりゃあ生めるでしょ。将来結婚すれば。」

 「……誰と?」

 ユリは再び今度は反対側に首を傾げる。それは稀代の難問である。自分だって誰と結婚するのかなんてわかりやしない。神だって知るまい。

 「ミリア、リョウが好きなの。」

 ユリは眉根に皺を寄せた。

 「でもリョウは半分血が同じだから。パパが同じだから、子供は奇形児が生まれちゃう。」

 ユリはますます顔を顰めた。

 「でも本当は……」消え入りそうな声でミリアは言った。「将来、大学も出て、みんなも結婚するぐらいの年になったら、リョウに似た赤ちゃんがいたら、いいなって。」

 店内に流れていた賑やかな金管ジャズが物寂し気なサックスのソロへと変わった。

 「……お兄ちゃんといたいんなら、子供は無理だよ、多分。だって兄妹だもん。兄妹で子供なんて作れないって。他所から貰ってくるとかはできると思うけど……。でも自分の子供がどうしてもいいっていうなら、他の人と結婚するしかないんじゃないの。」

 「それはできない。」ミリアはきっぱりと答える。「……ミリアはリョウと一生一緒にいるから。そう決めてるから。」

 「でもまだあんた十八じゃん。」ユリはあっけらかんと笑う。「今はそう思ってるだろうけど、まだこれからのことなんてわかんないでしょ。周り見たってさ、彼氏と絶対結婚するとか言って、速攻別れてんのザラだし。」

 ミリアはしかし頑なに首を横に振る。「ううん、ミリアは違うの。全然違うの。だってリョウがミリアの命を助けてくれたんだもの。」

 「どういう、こと?」ユリは顔を顰めて尋ねた。

 ミリアは薪ストーブの利いた室内で、シュンシュンと蒸気を出す薬缶の音をバックに、訥々と自分の過去を語り出した。思えば今まで付き合いこそ三年に及ぼうとするものの、改めてユリに自分の経験を話すことはなかった。すなわち、幼い頃両親が離婚し、父親の下で虐待を受けながら育ったこと。その父親が死んだ後、リョウの家に一人でやってきたこと。その時初めて温かな飯を食い、寝床を貰い、それからリョウと一緒に生活をしていること。

 ユリはこの世のものとは思えぬ内容に時折瞠目しながらも、拙く、飛び飛びにさえなるミリアの言葉を辛抱強く聞いた。幾度となく聞き返したり、補足を求めたりしたい衝動に駆られたが、一旦それをしてしまったらミリアの初めて滔々と流れ出した本心が淀んでしまうような気がして、ユリは必死に耐えミリアの言葉を紡ぐままに任せた。

 ミリアはやがて隠蔽し忘れ去りたいだけの過去を音楽に昇華する方法を得られた喜びを語り、唐突に黙した。

 シュンシュンと薬缶の蓋を浮かす程の蒸気の音が再び人気のない店内を支配した。

 「良かったね、ミリア。」最初にユリが言語化できたのは、たったそれだけの、極めてシンプルな思いであった。無論そこには欺瞞も遠慮もあるはずはなかった。「私は元気なあんたと高校時代一緒に過ごせて、良かった。それはお兄ちゃんのお陰だったんだね。」

 ミリアは自分の言葉が伝わった安堵に頬を緩めた。

 「将来ミリアがお兄ちゃんと一緒にいるために子供を諦めても、やっぱり自分の子供が欲しくて他に行ったとしても、私はミリアの選んだものを絶対に否定しないし、尊重するよ。あんたはちゃんと責任もって自分の道を選べる人だから。そんでそのことを誰のせいにもしないから。結構そういうのってさ、難しいんだよね。やっぱり、……若さのせいなのかな、女の子だからなのかな、結構肝心なことを運命とかっつって人任せにして目を瞑っちゃう子も多いような気がするけど、ミリアは違う。私は……、」ユリは暫く考え、そして「そういう所、ミリアのことを尊敬してる。」と強い口調で言った。

 ミリアは目をぱちくりとさせた。

 「それって、リョウに教わった気がする……。」ミリアは焦点の定まらぬ瞳で語った。「リョウはね、リョウもね、小さい頃同じパパに痛いこといっぱいされてきたの。背中は今も傷だらけだし。でもね、それを忘れないの。忘れちゃいけないって思ってるの。そんでそれを曲にして、ああ、ああいうことあって良かった。意味あったって、思うの。」

 「……凄いね。」ユリは素直に賛嘆する。「普通嫌なことなんて、思い出したくもないってなるのにね。」

 「だってデスメタルだかんね。苦悩を糧にする音楽なの。だからミリアもそうしてんの。ソロ創る時、ステージ上がる時、ギター弾く時は、特に。」

 「あんたにとってはさあ。」ユリは低く呟いた。既にコーヒーはぬるくなっている。「お兄ちゃんからすっごく、影響受けてんだね。物の考え方とか、生き方とか、そういう根本的なこと。本当だったら……。」暫し躊躇して「親から教わったりするようなことなんだけどね。」としかしはっきりと言い切った。

 「リョウがいなかったら、死んでた。もしも生きてても、死んでるのとなんも変わんなかった。……だから、リョウが一番好きなの。他とは比べ物になんないの。ミリアにとっては、リョウはいっつもピッカピカに見えるの。特別なの。」

 「そう、だったんだ。」ユリは微笑んでミリアの顔をしっかと見詰めた。「話してくれて嬉しいよ。何でミリアのことが好きなのか、他の子とはどっか違うって思ってた理由が、初めて分かった気がする。モデルやってるとか、バンドやってるとか、そういう華やかな部分じゃなくってさ。もっと根本的な部分。そこがやっぱ人とは違ったんだね。」

 「そう、なのかな。」ミリアは目を半分閉じて、幾分疲弊したようにミルクティーを啜った。「たしかに、うちは普通のおうちじゃないね。パパはお酒飲み過ぎて死んじゃったし、ママはもう違うパパと暮らしてるみたいだし。っていうかミリアと暮らしたいとか言ってサイバンショに嘘ばっかり告げ口してリョウのことをいじめるから大っ嫌いだし。中学の時は怪我までさせられて、大っ嫌いなの。」

 「ねえ、それはミリアのママでしょ? お兄ちゃんのママはどこにいんの? ミリアのその意地悪なママとは別なんでしょ?」

 ミリアは目を瞬かせる。「……知んない。」

 「お兄ちゃんは知ってるのかなあ?」

 ミリアはそんな重大な話をリョウと今までしたことがなかったことに気付いて、鼓動を速めた。「多分、知んないと、思う。」リョウから実母の話など聞いたことはなかった。

 「あのさ、……全然期待しちゃダメだよ? でもさ……、ミリアのママは裁判所に嘘言ったり、とにかく信用置けない人な訳じゃん。お兄ちゃんのママもよくわかんないんでしょ? そしたらもしかすると、もーしかすると、本当にもしかするとだけど……、ミリアとお兄ちゃん、全然兄妹でも何でもない可能性が、あるかもしんなくない?」

 ミリアの呼吸が止まる。目を見開いてユリを見据える。ユリは慌てて、「否、ミリアとお兄ちゃんは多分兄妹、否絶対兄妹、それはそうだとは思うんだけど、万が一っていうのが、あるかもしんないじゃん。ミリアのママって人がさ、次から次へと男の人とっかえひっかえするタイプだったら、パパじゃない人と……その、子供が出来たのを、ミリアのパパだと思ってる人にあんたの子供だよって言っちゃったかもしんないじゃん。だって、……嘘つきなんでしょ?」

 ミリアは辛うじて肯く。「……それ、どうしたらわかるの?」

 「ううん、そうだなあ。……ママに聞いてもわかんないかもしんないしねえ、あ、そうだ。今遺伝子検査っていうのがあるよねえ。」ユリはポケットからスマホを取り出し、何やら検索を始める。

 「ほら、誰の子供かとか、兄妹かどうかとか遺伝子で検査できるっていうのが、結構出てくるよ。別に病院とか行かなくていいみたい。口の中を綿棒みたいので擦って送ればわかるみたいよ。でも……何万もかかるみたいだけど。」

 ミリアはユリのスマホを引っ手繰るように奪い、画面を凝視した。

 「ちょっとうちらには高価すぎるね。」

 しかしミリアは動じない。顔をくっつけるようにして指先でするする画面を辿っていく。

 「まあ、もしお金が持てるようになったら、慰み程度にやってもいいんじゃない? 万が一お兄ちゃんと血縁関係がなかったりしたら、びっくりだよね。」

 ミリアはがたんと勢いよく立ち上がった。

 ユリは瞠目しつつ見上げる。「な、……何?」

 「帰る。」ミリアの眼差しはやけにぎらぎらと輝いている。それが痛烈な期待にあふれたものであることを、ユリは直感した。ミリアはそのままバッグを抱き上げ、荒々しく財布から五百円玉を取り出すと、「これ、払っといて。じゃあね、バイバイ。」ミリアは口早に言うと、もう既に身を翻していた。

 「ちょ、ちょっとミリア! やめなよ、遺伝子検査なんてさ! どうせ兄妹だよ!」

 ミリアはしかしそのまま扉を開けて駆け出して行った。ミリアの頬を紅潮させたのは決して寒風だけではなかった。すなわち突き上げるような期待と、それが意に沿う場合であることを見越しての歓喜。押しとどめようにも押しとどめることはできなかった。だからミリアは真っ白な息を吐きながら全力で自宅を目指した。

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