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流れていたSEがぴたりと止む。そこに感極まった歓声が轟く。あたかも救済を求めるかのように一種切羽詰まった歓声が。
アキを筆頭に、ステージへと躍り出る。歓声はほとんど怒号となって四人を渦巻いていく。それを心地よいものであるかのように満身に浴びながら、四人は何度も試行錯誤した最初の一音を落とした。世界が生み出される。それは凄まじいまでの威力を持って観客を撃った。その瞬間、真夏の太陽のような照明が四人を照らし出した。
リョウは先程の憂愁など微塵も感じさせぬ怒号を発し、第一声から観客たちを熱狂させた。ミリアも雷雨の如き鋭いリフを刻みながら、激しく頭を振りしだく。リョウの曲が、世界を作っていく。誰もが熱狂し酔い痴れる世界を。絶望の闇に一縷の希望だけが覗く世界を。
その時、ミリアの視界にふと、アサミの幸福そうな笑みが入った。客席の一番後方、つまり遥か遠くであるのに、なぜだか白く輝いて見えたのである。なぜだろう、と不思議に思い、――大切な、何よりも大切な命を持っているからだ、とミリアは確信した。と同時に、自分にはそれは生涯得られないのだと思うと、突如突き上げるような苦しみが襲ってきた。
何て身勝手な苦しみなのだろう。ミリアは下唇を密かに噛んだ。それはリョウを否定することだったから。独断で強行的に結婚まで漕ぎ着けたのに、そんなことを今更考えるなんて、人としておかしい。許されない。ミリアはあまりの怒りに体温がカッと上昇するのを覚えた。
カメラマンがミリアの目の前で盛んにシャッターを切る。
ミリアは邪念を振り払うようにして首を振った。
リョウを愛している。どうしたって愛している。リョウと共にいるためであるならば、思いつく限りどんなことでもできる。それほど、リョウといたいと念じ続けている。幼いころから、ずっと。
でも……、リョウの命を育むことができたらどんなに素晴らしいことだろうという憧憬が再びミリアの胸中を上ってくる。ミリアはいやいやをするように、再び首を振った。自分のこの体では、どうすることもできないではないか。リョウと同一の遺伝子を持つこの身では。
それはかつて無二の喜びを齎すものであった。リョウと同じ音、似た顔つき、それは至上の賛辞と同義でさえあった。だのに、今、それは自分にこの上ない苦悶を齎している。
ミリアはどうしようもなく沸き起こってきた苦しみから逃れるように、縋るように、目の前のリョウの背を見据えた。真っ赤な髪が靡き、大きく足を開いたその隙間から客が拳を突き上げているのが見える。
王だ。全知全能の、王。
ミリアは安堵にうっすらと微笑みを浮かべた。リョウと共にいればやがて世界は開かれるのだ。目の前でどんなことで起きようが、必ずそこを脱却し得る術があることを、リョウは教えてくれる。自分であれこれ勝手に悩んでいたって仕様がない。それよりも前進だ。リョウはそう教えてくれたではないか。
ミリアは前へ歩み出した。ソロが到来する。リョウと共に奏でる至上のメロディー。まだ目前には焼け焦げた野原が広がっている。ありとあらゆる生物の死滅した。しかしそこにはたった一つの小さな星が輝いている。ミリアはソロの到来とともに、必死にそれに手を伸ばす。届くまで、自分のものとできるまで、精一杯伸ばし続ける。
リョウは賛嘆するように、そしてその反面どこか嫉妬を覚えるように、にやりとミリアに微笑みかけ、続けて凄まじい怒号を発した。地獄の王さながらに。ミリアは満身の震え出すのを覚える。どんな状況においてもリョウは決して屈しない。生きる希望を失わない。むしろ状況が過酷であればある程に、奮い立つ。強さを増していく。ミリアはその眩い姿に自分も縋ろうとする。血も過去の経験も同じなのだ。リョウと同じように進んでいけるはずだ。ミリアは強い確信を覚える。いつだってリョウの曲は絶望を乗り越える強さを与えてくれた。だから生きてこられた。
自分が本当に得たかったものは、これだ。それ以外は、いらないのだ。ミリアはそう思い大きく肯いた。いつしか曲は最後のそれとなり、客席からは未だプレイヤーが去らぬ内からアンコールの怒号が波のように起こっていた。