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「にしても、マジでLast Rebellionワンマンまでできるようなって良かったよなあ。リョウさんも喉、腕、絶好調らしいぞ。」
ライブハウスの前では、まだ開場一時間前であるのにかかわらず、十数人ばかりの列ができていた。先頭は毎度必ずLast Rebellionのライブに足を運んでくる精鋭たちである。いずれも揃いのLast RebellionのTシャツに身を包んでいる。
「この前のLunatic Dawnとの対バンだって、喉手術したなんて思えねえレベルだったもんなあ。」タカの前で松下もしきりに肯きつつ言った。「マジでリョウさんは地獄を見て、地獄の王になったっつう感じがした。」
「今日はミリアちゃんの雑誌の撮影も入るらしいな。」浩二がそう言ってほくそ笑んだ。
「女の子のファッション誌にデスメタルが載るなんて、胸が熱くなるな。」松下が腕組みしながら言った。
男たちはくすくすと笑い合う。
「でもなんだかんだで、ミリアちゃんちょくちょく雑誌でバンドのこと言ってくれてるしな。」
「一時はそのお陰で女性ファンも結構ライブ来てたよなあ。」松下が言う。
「最初に載った時に、タイプの男性はお兄ちゃんですって、でかでかと書かれてたからなあ。モデルやってるような子の恋の相手はどんな奴だって、好奇心もあったのかね。」
「でもミリアちゃん、リョウさんのこと『お兄ちゃん』だなんて言ったの聞いたことねえぞ。いっつも『リョウ』って呼び捨てだもんな。」
「呼び捨てだってなんの問題もねえよ。夫婦なんだから。」
「マジで、……夫婦なのか。」タカがおそるおそる言った。
「そりゃそうだろ。お前ミリアちゃんに結婚式の写真見してもらったじゃねえか。もう忘れたんかよ。」浩二が呆れた声で言う。
「でも……紙っ切れ、役所に提出できねえだろ。」
「構うかよ。」どうでもよさそうに松下は鼻を鳴らす。「メタラーだぞ? っつうか、リョウさんとミリアちゃんだぞ? 紙切れなんざ関係ねえだろ。」
「紙切れ一枚出したか出さねえかよりよお、俺はリョウさんとミリアちゃんの子供に期待してんだけど。」浩二が拳を握りしめながら言う。
「俺もだ。遺伝子的に最強のギタリストが生まれるよなあ。未来のメタル界を背負って立つ逸材に違ぇねえ。」松下もほくほくしながら言う。
「否、でも、マジな話、親が一緒だったら生まれてくんのは間違いなく奇形児だろ。兄妹同士なんざ危なくて競走馬でもやんねえ配合だぞ。」タカは神妙に言った。
「まあ、確かにな。現実的にはそうかもしれねえが、……ミリアちゃんはどう考えてんのかね。結婚願望乃至出産願望ってあんのかね。雑誌見てると、結構女の子らしいところあっかんなあ。料理好きとか。」
「ああ。」
そこに「どうもー。」と明るい声を上げながらやって来たのはユウヤである。Last Rebellionのライブに毎度来ているせいで、精鋭たちとは既に顔見知りになっているのである。
「あ、ユウヤさん!」
「おうおう、皆さん今日も元気にお揃いで。まだリハやってんのかなあ。」ユウヤは階下を見下ろす。
「音、してますよね。」精鋭たちはじっと耳を澄ませた。うっすらとドラムの音が聞こえる。
「これ、あれだな。『blood stain child』。」松木が即座に答える。
「凄ぇな。」ユウヤが素直に驚嘆した。
「俺ら、Last Rebellion早押しクイズがあったら、マジ全国……どころか世界大会狙えますよ。」タカが生真面目そうに答える。
「さすが精鋭だな。兄貴から『精鋭』の名を冠しただけのことはある。」ユウヤが感嘆する。
「もちろんす。」三人は一斉に破顔した。
「今日撮影入るらしいなあ。ミリアのファッション誌の。一体最近のファッション誌は何考えてやがんだ。今更メタルの魅力に気付き出したのか?」
「ミリアちゃんがとにかく人気なんすよ。最近特集ページ毎号あるし。……まあ俺の予想では、今回は、『ミリアの日常その1 お兄ちゃんと一緒に今日もライブ。今日もお兄ちゃん今夜も最高にかっこいい』って感じすかね。」松下が冷めた眼差しで言い放った。
「何でファッション誌って……、俺、ミリアちゃんが載るようになって見始めましたけど、あんな……馬鹿文句ばっか載ってんすかね。」タカが小声で言う。
「部外者だから馬鹿文句だって思うかもしんねえけど、メタル雑誌だっておんなじようなもんだからな。慟哭のなんちゃらとか、狂乱の漆黒のだの、端から見たら超絶馬鹿だかんな。」ユウヤが小声で言い返す。
男たちは神妙に頷く。
「でも俺は雑誌に撮影が入るって聞いたから、ちょっとおしゃれしてきた。」と言ってユウヤは両手を広げてLast RebellionのTシャツを見せつける。蛇の尾やら翼を持つ異形の少女がどこか茫然とした顔つきで飛び立とうとしているデザインである。
「これ、一昨年のレコ発の限定のやつっすね。」タカが即座に答えた。
「お前ら……マジで凄ぇな。兄貴んち行った時Mサイズだけ余ってるっつうんで貰ってきた。否……、あん時はウイスキーと交換だったかな。」ユウヤは首を傾げる。「でもこれ結構ミリアに似てると思って気に入ってんだよな。たまにミリアもこんな顔するしな。……どれ。ちょっと見てくるかな。コーヒーの氷が溶けちまうし。じゃ、また後で。」
ユウヤはそう言って右手をスイと挙げ、ビニール袋を覗き見、すたすたと階下へと降りていった。
ステージでは四人が演奏を繰り広げていた。リョウががなり、ミリアとシュンが両脇でメロディを奏で、アキが土台を築き上げる。いつもの風景である。客席には既にカメラマンが三人ばかり入り、盛んにミリアたちの姿をシャッターに収めていた。
やがて曲が終わると、「おお、ユウヤ。」とリョウがマイク越しに声を掛けた。
「兄貴! ミリア! シュンさんにアキさん!」ユウヤは大きく手を振りながらステージへと歩み寄る。「今日もかっけえな。ミリアは格別可愛いし。」
「やった!」ミリアはぴょんと飛び上がった。
「じゃあ、とりあえずこれでOKな。……本番よろしくお願いしまーす。」リョウはそう言って音響と照明担当の人々に向かって頭を下げ、アンプの上に置いたタオルで顔を拭った。ミリアはギターを置いて客席に飛び降りてくる。
「ユウヤ今日も来てくれたのね、あのね、今日はほら、そこに、雑誌の撮影の人もいんの。」
ミリアがすぐ傍のカメラマンににこりと微笑む。
「ミリアさんよろしくお願いしますね。」若い男たちが一斉に頭を下げた。「本番前なのに、気合十分でかっこよかったですね。」
「へえ、そうなんか。ミリアはやっぱ人気者なんだなあ。」ユウヤはそう言って先程駅前のスターバックスで買ってきた抹茶のマキアートをミリアに手渡す。「差し入れ。」
「うわあ! ありがとう!」
「兄貴たちにもくれてやんねえと。」ユウヤの持つビニール袋にはまだ何本もカップが敷き詰められていた。
「ユウヤ! ありがとなー!」そういってシュンはユウヤに抱き付き、コーヒーをビニールからごそごそと取り出す。リョウとアキもやってきた。
「ユウヤ、ありがとな。」リョウも続いて礼を言う。
「そういやさあ。」シュンがちゅう、とアイスコーヒーを啜りながら言った。「ユウヤ大先生に聞きてぇことあったんだよ。あのさ、リョウとミリアがガキ作ったらどうなんの。」
リョウとミリアははっとなって息を呑んだ。暫しの沈黙が訪れる。
「な、何、言って……。」真っ先に反応を示したのはアキだった。
「だってよ、見ちゃいられねえんだ。ミリアが元気なくってよお。どうなるのって、……んなこと聞かれたって俺知らねえしよお。ユウヤに聞けっつったんだ。」
「そ、……その……。それは……。」ミリアは顔を赤くして俯く。リョウは頻りに目を瞬かせている。
「ああ、そうだよなあ。確かに気になんよなあ。」となんでもなさそうに言いつつ、ユウヤは慌ててリョウにはアイスコーヒーを、アキにはアイスラテを押し付けるようにして手渡した。
「おんなじ遺伝子を持ってるモン同士だと、劣性遺伝子……ヤバイ病気の出る遺伝子が顕在化……表に出やすくなっちまうんだよ。ほら、覚えてねえ? 高校受験の時俺言ったろ? メンデルの法則。」
「ああ。」ミリアは合点のいったように頷いた。「言った。」
「あれだよあれ。誰でも劣性遺伝子は持ってんだけど、二つ揃わねえうちは全然大丈夫なんだわ。でも二つ揃うと病気が表に出ちまう。遺伝子病っつうやつだな。だから普通に違う遺伝子を持つ者同士なら劣性遺伝子が二つ揃わねえから、結局チャラになんだけど、血が近ぇとそうはなんねえの。何せプラスもマイナスもおんなじような遺伝子だから。劣性が二つ揃いやすくなっちまって、そんで遺伝子病っつう形で表に出ちまう。だから近親婚っつうのは生き物にとって禁忌なんだろうけど、日本でも江戸時代とかまでは普通にやってたし、海外でも貴族だの王族だのは、普通にやってたことだかんな。ま、それやり過ぎて絶滅した貴族もいたけど。」
「そ、そう、……なの。」ミリアの言葉は震えていた。「へ、……へえ。」
「まさかガキでも、できたの?」ユウヤは今更ながらに尋ねた。
「できてないもん! 何でそういうことばっか聞くの? へ、へーんなの! 全然、ひとっつも、できてないのに!」ミリアはそれだけ言い残すと足音高く楽屋へと戻っていく。四人は暫くミリアの後姿を見守っていた。
「何で突然ガキのことなんか言い出したわけ?」シュンが尋ねる。
「アサミさんが、妊娠したらしいんだよな。」リョウが答えた。
「おお、マジか!」シュンが声を上げる。「そりゃあめでてえ。」
「そんでいつか自分はっつう思いが出てきたんか……。」ユウヤが呟くように言った。「でも、どうなんだろう。……ガキがどうなるかなんてわかんねえしな。今の話はただの確率論だし。兄貴との間にガキができたら、確かに確率上では遺伝子病の可能性が高まっけど、もちろん健康な場合もあり得るし。つうか健康に生まれてきたって、病気だの怪我だのすっことは山ほどあるんだし。なんとも言えねえよなあ。」ユウヤは呟くように言った。
その隣でリョウはどこか心配そうにミリアの後姿を見守っていた。