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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 ミリアは帰宅をするなり、買ってきた洋服を一枚、一枚、うっとりと眺め頬擦りし、畳みながらタンスへと入れていった。これを着て大学生になるのだと思えば、どうしようもなく心が躍った。女の子ばかりの学び舎ではどんな子たちが待っているのだろう。毎日どんなに素晴らしい先生たちと授業が待っているのだろう。

 一方リョウは荷物をソファの上にぶん投げるようにして、早速パソコンに向かい作曲に勤しみだした。

 金なぞ幾らミリアに使ってみせたって、もっと使える奴は大勢いる。甘やかす言葉をかけたって、もっと上手な奴はごまんといる。でもミリアが最も喜ぶ曲を書けるのは、世界広しと言えど自分しかいない。そういう自負があった。

 思えばミリアがまだ小さかった頃、クリスマスソングデスメタルバージョンを作ってやった時には、はちきれんばかりの笑顔を見せてくれた。それからも新曲を創り上げるたびごとに、ミリアは世界中の誰よりも歓喜してくれた。だから誰よりも一番に聴かせた。ミリアの笑顔が見たかったから。いつしかそれは自分の創作の大きなモチベーションとなった。

 リョウは真剣な顔つきでカチカチとキーボードを叩き始める。自分の看病をしながら仕事にも勤しみ、そして大学合格までも勝ち取ったミリアを賛嘆する曲。愛らしさの中にも強さを、絶望の中にも希望を、注ぎ込む。それは自分の最も得意とする二面性であった。

 帰途、バイクを走らせながらリョウはひたすらリフを考えていた。ミリアの強くも真っ直ぐな生き様を表現するにはスラッシーでシンプルでなければならない。そしてその中にもユニゾンを用いながら一緒に同じゴールを見据えながら進んでいく、自分の存在も添えておく必要がある。ともかくリョウはいつにない新しい曲調になることを自覚し、幾分興奮しながら新曲について考え続けた。

 「ねえリョウ。ご飯どうする。」

 「ああ、うん。」パソコンに向かったまま、生返事をする。しかしいったん曲作りに入ったリョウはいつも大抵こんなものであるから、ミリアも慣れたものである。

 独り言のように「サラダとスープと、鶏肉のグリルにしようっと。」と言っていつもの猫柄のエプロンを付けた。

 ミリアは冷蔵庫から半額のシールの貼られた鶏の胸肉を取り出すと、ビニールに入れてたれに漬け込み、しきりに揉む。そこから眺めるリョウの横顔はいつも以上に真剣そのもので、ミリアはうっとりと微笑んだ。

 何てリョウはかっこいいのだろう。こんなにかっこいい人が夫で、何と自分は素晴らしい幸福な人生を歩んでいるのだろうかとさえ思う。初めて会った二十代の頃もかっこよかったけれど、三十代になって人間としての深さというか渋さが出てきて、一層かっこよくなってきた。まるで際限がない。きっと四十代、五十代と、ますますかっこよくなっていくのだろう。ミリアはかっこよくなりすぎてどうしようと息を呑み、目をぱちくりさせた。


 「……お前、どうした!」コーヒーでも飲んで一息吐こうと台所を見遣った瞬間、リョウはそこでとんでもないものを見た。

 冷蔵庫に凭れるようにして、ミリアの両脚がぷるぷると震えながらそこに立っているのである。

 慌てて台所に駆けこむと、ミリアは顔を真っ赤にして逆立ちをしている。

 「何、……してんだ。」

 「逆立ち。」

 ミリアはふう、と脚を下ろしそこに胡坐をかく。

 「モデルの友達に美容にいいって聞いたの。二の腕シェイプと顔のリフトアップになるわよって。」

 「……そう、なの、か。」

 「リョウに似合う美人にならないとなんないから、ミリアも大変だわ。」ミリアはふう、と溜め息を吐き、立ち上がった。そこには既に味の沁み込んだであろう鶏肉が準備されている。

 「そう、なの、か。」

 リョウは再び同じ言葉を繰り返すと、深々と溜め息を吐いた。

 「今ね、リョウのこと見てたらかっこいいわーって思って。ミリアも美人になろうって思いついたの。」

 「ならいいけど、いきなり両脚だけ見えてぷるぷるしてたらびびるだろ。今度からはせめて、『逆立ち始めます』って言ってからやってくれ。」リョウはコーヒーのフィルターをカップに装着し、熱湯を注ぎ始めた。

 「わかったわよう。でも、リョウはかっこいいわね、世界一だわね。」

 「お前、それ外で言うなよ。」リョウはさすがに顔を顰める。

 「なあんで。」

 「あのな、それは欲目、贔屓目ってやつだ。いっちばんお前が腹減らして辛い思いしてた時、最初に飯と寝床をやったから、お前は俺を特別な男だと勘違いしてるだけなんだ。そのうち醒めるかと思いきや、お前は修繕不可能な重症患者みてえだ。可哀そうに。」そう言ってリョウは一方的にミリアの頭を撫で、カップにコーヒーが満ちるとそれを持り、再びパソコンの前に鎮座した。

 ミリアは一瞬詰まらなさそうにしたが、今度はコンロに火を点け、フライパンに油を引いた。ぱちぱちと油の爆ぜる音がし出した時、再びリョウの横顔を見詰める。やはり何と言われようがその横顔はこの上なく魅力的にミリアの目には映った。

 「ねえ、もしだけど……。」

 「あ?」パソコンから僅かにも顔を動かすことなく、返す。マウスをクリックしながら音を一音一音、作っていく。

 「もしも、リョウとミリアの赤ちゃんが出来たら、その子、どんな顔かなあ。」

 「はああああ?」リョウはデスボイスを響かせながら、さすがに目を剥いて台所をのミリアを凝視した。

 「もしも、だわよ、もしも。」しかしその思い付きにミリアは心浮かれてきたようである。「ミリアがママでリョウがパパで、そしたら、赤ちゃんはリョウに似てイケメンの、かっこいいデスメタルバンドのフロントマンになるかな。」

 「お、お前……何言って……。」ミリアを指した指先がわなわなと震え出す。

 「男の子だったら絶対リョウみたいな子がいいな。女の子だったら、……ううん、やっぱリョウみたいな子がいいな。そうねえ、お名前はリョウっぽいのがいいな。リュウとか、そういうの。」

 リョウは頭を抱え出す。こいつは一体何を言ってるのだ、狂ってんじゃあないか、兄妹だぞ、血が半分も同じなんだぞ、奇形になるんじゃあないのか、人類の禁忌だ。--しかしそこまで思って、その原因となる行為を既にしてしまっているという事実に逢着し、リョウは言葉を喪った。

 「もしもだかんね、も、し、も。」ミリアは上機嫌で鶏肉をじゅうじゅうと音を立てて焼き始める。リョウはごくり、と生唾を飲み込んだ。

 「赤ちゃんが生まれて、その子がリョウにそっくりだったら、ギター弾かして……。」

 「お、お前は、……その……。」リョウは頬をひくひくと痙攣させながら、どうにか言葉を紡いだ。「ガキが、欲しいんか?」

 「うふふふふ。」

 椅子を蹴とばすようにして立ち上がり、ミリアに歩み寄ると、「まさか、生理は来てるよな?」と顔を接近させて尋ねる。

 ミリアは一瞬拗ねたようなそぶりを見せたが、「来てます。」と呟いた。

 リョウは隠しようもなく、はあ、という安堵の溜め息を吐く。それを見てミリアは次第に得体の知れぬ怒りを覚え始める。

 「いいじゃん別に。結婚してんだから。」

 「お前なあ! 結婚つったって正式なモンじゃねえだろ。あんな結婚式なんざただのお遊び。何せ、俺とお前は血が繋がってんだからよお、結婚なんざできる訳ねえだろ。万が一、ガキなんかできたら一巻の終わりだ。わかってんだろ? 気違いができんだぞ。イケメンだのギタリストどころの騒ぎじゃねえだろ。」

 ミリアの手によってカッチと、コンロの火が消される。リョウがどうしたのかな、と思って見ている内にミリアは大口を開けて泣き出した。

 「ああああああ!」昔、それもミリアが小学生だった頃に見たことのある、あの、遠慮呵責のない泣き声である。リョウは慌ててミリアの両肩を掴み、顔を覗き見た。すぐに喉の奥がぶるぶると震えているのさえ見えた。

 ミリアは尚のこと、この世の終わりとばかりに凄まじい泣き声を上げ続ける。さすがに自分の発言がミリアを酷く絶望に追い込んでいるらしいことは知れた。慌ててフォローを試みる。

 「いや、別にな、お前を嫌ってんじゃねえよ、つうか、好きだよ。でもほら、血が半分同じっつうのはしょうがねえじゃねえか。事実だし。」

 「あああああ!」

 リョウは一瞬顔を顰める。この凄まじいまでの音声、もしかすると喉の強いのは遺伝なのかもしれないとさえ思われて来る。

 「お前がな! もし! ガキがそんな好きだっつうんなら、ほら! 施設から貰ってくればいいじゃねえか! な! でもやっぱ実子はヤバイだろ。もしそこに拘んだったら他所で仕込んでくるしか……」

 ミリアはついに拳でリョウの頭を叩いた。

 「痛ぇ! 何すんだよ! 泣くなよ!」リョウは口を塞ぐように抱き締め、そのまま抱き上げてリビングへと連れて行く。脚がバタつきリョウの腿を盛んに蹴とばす。大事な所に攻撃を食らわぬよう、内股になりながらリョウはどうにかミリアをソファまで運んだ。

 ミリアの叫びは単なる叫びから次第に言葉へと変わってくる。

 「もしもなのに! もしもぐらい、いいじゃん! 仕込むって何、あああああ!」

 「ああ、もしもな。もしも。わかった、俺が悪かった、だから泣くな。泣くなってば。」

 リョウはミリアの頭を自分の方に押し付け、できるだけ泣き声が漏れないように試みる。

 「もしもな、じゃあ、もしもの話しよう。もしも、もしも……。」リョウは途方に暮れながらも、頻りに思考を作曲からもぎ話していく。ミリアが何を望んでいるのか、そればかりを考える。「もしも俺とミリアの間にガキができたら、そうだなあ、名前は何にするっつったっけ?」

 ひっくひっくとしゃくり上げながら、「……リュウちゃん。」と答えた。

 リョウはまあ、安直な、と思うが、おくびにも顔には出さない。

 「そうだ、リュウちゃん。リュウちゃんは何、将来立派なギタリストになんの? ボーカリスト? それともその他の道を行くのかな?」

 ミリアは次第に落ち着いて来る。瞼を拳で拭って言った。「デスメタルバンドの……、フロントマン。」

 「そうか……。」それでそいつはどうやって生活をしていくのか。バイト掛け持ちか、ギターのレッスンでもやるのか、しかしそれ一本で生活するには、周囲にある程度評価をされるようにならないと無理だぞ、とまだ見ぬ我が子に人生の厳しさをアドバイスをしてやりたくもなる。

 「その……リュウちゃんは、もしかして、髪は長いのか。」

 「うん。……そんで真っ赤なの。」明らかにどこかで見たことのある風体である。「使ってるギターはJACKSON Vで、キラー・チューンを一杯作れんの。無限に。」

 「へえ……そうなんか。」リョウはミリアの肩を撫でながら神妙に答える。もう、それは明らかに自分である。

 「そんでねえ、辛いことあっても悲しいことあっても、ぎゅんぎゅん乗り越えていくの。バイクにも乗るよ。おっきくて黒いアメリカンなバイク。」いよいよミリアの希望は定まってくる。

 「じゃあ、その、リュウちゃんは、……可愛い女の子のギタリストと出会って、そのうち結婚するかもしんねえなあ。」

 ミリアははっとなって真っ赤に充血した目をリョウに向けた。

 「可愛い、女の子?」

 「そうそう。料理が上手で明るくて、そんでギターが凄ぇ巧い、ファッションモデルの女の子。そんな子と結婚するんじゃねえの。多分。」

 ミリアはリョウの胸に抱き付き、顔を埋め、今度は声を殺して泣いた。

 「……ごめんな。普通のカップルだったら、ガキぐれえ当たり前に作れんのにな。お前が今後もし母親になって、女としての幸せを手に入れてえっつうんなら、俺は絶対邪魔はしねえから。つうか、そういうことがちゃんとできるように、お前の父親役は果たすつもりだから。」

 咄嗟にリョウの頬に張り手が飛ぶ。

 「そんなの、いらない! ミリアはそんなの望んでない! 知ってる癖に!」精一杯睨み上げ、「ミリアは今が一番幸せなの! リョウと一緒にいれるのが!」唇を震わせた。「リュウちゃんなんて、嘘。」

 リョウはもう一度ミリアの頭を抱き締め、自分の胸に押し付ける。これ以上泣き顔を見ていたくはなかった。早くあの曲を創り上げて、ミリアの笑顔を見るのだ。ふつふつと創作への執念の湧き立ってくるのをリョウは感じた。

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