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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 校舎中央の螺旋階段をぐるぐると回って降り、生徒で溢れ返る朝の昇降玄関を一気に駆け抜ける。

 ミリアの脚は速い。高校三年間、体育祭ではクラス対抗リレーの代表者を担った。

 「ミリア!」

 突如雑踏の中から劈くような声で呼び止められ、ぴたり、とミリアの脚が止まった。髪をぱっと翻して振り向くと、そこには上履きを右手に持ったままのカイトが立っていた。

 「ミリア。」今度は茫然と呟いた。

 ミリアは微笑みながら、カイトに近づいていく。カイトは恐れるような危ぶむような、妙な顔つきでごくり、と生唾を飲み込んでその場に立ち尽くしていた。

 そしてひたすらミリアの言葉を待った。もちろん昨日が合格発表出会ったことは知っている。そして学校を欠席していたことも。結果はどちらだったのか。ただミリアの顔を見ている内に、次第に確信が生まれてくる。でもそれを言葉として聞かない内には何も言い出せない。

 「合格だったよ。」ミリアの声が、喧噪の中で不思議な程はっきりとカイトの耳に響いた。

 「ほ、……本当に!?」

 ミリアはゆっくりと肯く。

 「本当に!」

 カイトはよろめくようにしてミリアに近寄り、その両手をしっかと握りしめた。「おめでとう! おめでとう、ミリア!」行き交う生徒たちも微笑みを浮かべながらミリアの顔を眺めていく。この時期の感極まる「おめでとう」は大学合格のそれであることを、誰もが知っている。

 「ありがとう。」ミリアは照れたように首を傾げた。

 「ミリア!」そこに駆け込んできたのは同じクラスのユリである。「今ミリアが昇降口ん所にいるって! 聞いて! どうだった? 」

 ミリアは再び微笑みを浮かべる。「合格したの!」

 「ミリア!」ユリは堪らずミリアを全力で抱き締めた。間もなく滂沱の涙が溢れ出る。「良かったねえ、良かった良かった。本当に良かったよ! よく頑張った! あんなに大変だったのに、辛かったのに、本当によく頑張った!」

 ミリアはうっとりと目を閉じて、その言葉にじっと耳を傾ける。全てを知ってくれている言葉に、ありとあらゆる労苦が報われていくような解放感と充実感とを覚える。

 「ありがとう。ユリちゃんがいっぱいがんの人向けの料理の本貸してくれたからだよ。あれまいんち作って、リョウに食べさせて、その内容発表したんだから。ユリちゃんのおかげ。」

 「そんな訳あるか! ミリアが、ミリアが頑張ったからじゃあないのよ!」ユリはミリアの背に回した手で顔を拭った。

 ミリアは即座に負けて、「そうだね。ミリアが頑張ったからだね。」と呟く。ユリはそうだ、そうだと言わんばかりにミリアの背を何度も摩った。

 真っ赤な目を腫らしながらユリはようやくミリアから身を離す。そして少し照れくさそうにしながら、「ねえねえ、私とカイトも大学受かったらみんなでおめでとうパーティーをやろ?」と言った。

 その提案にミリアとカイトは即座に目を見合わせ、肯き合う。

 「私来月、О女子大学の幼児教育のAO受けてくるの。このために夏休みは近所の幼稚園でまいんちボランティアさせて貰ったんだから。絶対大丈夫! ミリアに続くよ!」

 「うん! カイトは来年の三月にH大学に合格するんだもんね。」

 「順調に、いけばね。」カイトは苦笑いを浮かべる。

 「大丈夫だよ! カイトは一年生の頃からずーっとまいんち頑張ってきてんだから。ミリアはようく知ってるよ? それにね、今度台湾行ったら、大学合格のお守り買ってくるね。台湾には偉い学問の神様がいるんだって。カイトはずっと頑張ってるんだから、どこの国の神様もカイトの合格を保証してくれるよ。」

 「だといいな。」

 カイトはそう言いつつも少なからず胸を躍らせた。

 ミリアがそんな遠い地に行ってまで自分のことを思い、土産を買ってきてくれるだなんて考えただけでどうしようもなく心躍った。素晴らしい僥倖にしか思えなかった。

 「で、でも、ライブに行くんじゃあ忙しいだろ? そんな、お寺行ってる時間なんて……。」

 「大丈夫。ライブやったらもう一日遊んでいいことになってんの。そしたらねえ、リョウと夜、屋台デートするんだあ!」きゃあ、と歓声を上げ、ユリの手を取るミリアに、カイトは目の前がぐらぐらし出す。慌てて頭を振る。

 「いいないいなあ。」ユリが地団太を踏み始める。「私も海外行ってデートしたいよお。」

 「うん! ユリちゃんにはパイナップルケーキ買ってきたげるね。」

 「本当に? ありがと! っていうか台湾ってパイナップルケーキが有名なの? ミリア、台湾のこと色々調べてるんだねえ。偉いじゃん。」

 「そうなの! でもあんまり屋台のこととか、お土産のこととかばっか言ってると、リョウが何しに行くんだって怒るから、おうちではあんまし言えないんだ。」そう言ってミリアは肩を竦めた。

 「お兄ちゃん厳しいんだねえ。もっとミリアのこと甘やかしてんのかと思った。」ユリはふとミリアの左手薬指にはめられたダイヤの指輪を見詰める。

 「ううん、普段は優しいけど、たまに厳しいの。それはね、バンドのことなんだけど、そうなるとちーっとも、ミリアのこと特別扱いしてくれなくなるの。練習さぼってギター下手になったら、めっちゃくちゃ怒るし!」

 「お兄ちゃん、もう元気になったの?」

 「うん!」ミリアは満面の笑みで肯いた。「もうね、検査したけど何もなかったって! きれいさっぱりがんはもうありませんって言われたの! だから一緒に台湾行けるの! ミリア、今が一番幸せ!」

 カイトは複雑そうな笑みを浮かべてミリアの言葉に耳を傾けている。

 「良かったじゃん!」ユリがミリアの手を取り再び肩を抱く。

 「うん!」

 「ミリアがまいんち料理届けて看病してさあ、だからお兄ちゃんも良くなったんだよ。ミリアの愛だね。」

 「愛!」ミリアはその言葉に目を丸くする。そんな崇高な感情が自身の内側にあるとは、今まで思っていなかったから。

 「そうよ、愛。じゃあそろそろチャイム鳴るから教室戻ろう。みんなもミリアの結果心配してたんだよ。……カイト、またね。」ユリはそう言って手を振ってミリアの肩を抱き締め、教室へと戻っていく。

 たしかに、そろそろ朝のホームルームが始まるのであろう。既に周囲には人影もまばらになっていた。

 カイトは意識的に思考を受験に、勉強に切り替えていく。

 ミリアが誰と海外に行こうが、デートに行こうが、自分には何の関係もないことだ。もとより恋人でも何でもないのだ。単なる友人。同級生。元クラスメイト。

 カイトはそう自身に言い聞かせたものの、胸の奥に明確な痛みを覚えつつ、深々と息を吐いてポケットに捻じ込んだ英単語帳を取り出した。赤い暗記用シートの挟み込まれたページを開け、早速例文を読み始め歩き始める。

 しかし脳裏にはミリアの久しぶりの輝かんばかりの笑みが張り付いたまま離れなかった。今まで見た雑誌のどのショットよりも、どんな場面で見た笑顔よりも、紛れもなく今日のミリアが一番美しかった。それはきっと幸福が一層ミリアを輝かせているからだ。自身の大学合格と愛する人の無事が重なって、自身が言ったように、「今が一番幸せ」なのだ。そこに自身が介在する余地はないということが、まざまざと今、理解された。

 カイトは再びちら、と後方を振り向き、二人の天まで飛び上がるような軽やかな足取りを眺めた。振り返って自分の教室へと向かう。三十三人中三十三人が難関大学を目指し、日々獅子奮迅をし続けるあの空間へと。あそこに一歩でも足を踏み入れる以上、受験以外の思考を持ち込んではいけない。色恋は特に厳禁だ。心を惑わす。カイトは一受験生に戻るべく、慌てて頭を振って足を速めた。

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