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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 ミリアはソファに腰掛けぴんと背筋を伸ばしたまま、じっと検査室の扉を見据えた。

 頭上でかち、かち、と時計の秒針の音が響く。ミリアはその音に思考をも刻まれながら、全世界から取り残されたような気分を覚えた。しかしそれは決して寂寥を覚えさせるものではなく、ただただリョウに対する思いを増幅していかせるのであった。

 全世界が、神が、仏が、リョウを見放したって、自分は見放してなるものか。誰が敵になったとしても、リョウを守るためならば手足が捥がれようとも戦い続けよう。深い決心を胸に刻んだ。

 その時である。

 「あれ? お嬢ちゃんじゃないの。真っ赤な髪したお兄ちゃんところの!」

 ミリアははっとなって顔を上げた。するとそこにはいつぞやリョウの長髪を坊主に仕立て上げた、病院一階の床屋の主人がいた。主人は相変わらず白い作業着を着け、禿げあがった頭を右手でつるりと投げつける。

 「床屋のおじさん!」ミリアは立ちあがる。「何で、何で、ここにいんの?」

 「ああ、やっぱりお嬢ちゃんだ。ははは。何でって、ここはおじさんの職場だかんねえ。一階に降りて来れない患者さんの所には、こうやって病室まで出張すんのよ。お嬢ちゃんこそこんな所で一人ぼっちで。今日はどうしたの?」

 「ここに。」ミリアは検査室を指差す。その指は震えていた。「リョウが、検査に来てるの。がんが再発してないか……」そこまで言ってミリアは急に涙ぐんだ。

 「そうか。じゃあ退院してたんだねえ。とりあえずよかった。」主人はそう言って柔和な笑みを浮かべた。

 「お嬢ちゃんは、元気?」

 ミリアは肯いた。肯いた瞬間、涙が溢れ出した。そして思いも迸る。「でも、……リョウががんになってたら、どうしたらいいの。」

 主人は困惑した顔でミリアの隣に歩み寄り、ゆっくりと腰を下ろした。

 「大丈夫だ、……と言ってあげたいところだが、お嬢ちゃんの言う通り、再発する患者さんはいっぱい、いる。おじさん、こんな所で働いてるから。街の床屋さんじゃあないから。色々なものを見ちまってるから、無責任なことは言えねえ。ごめんな。」

 主人はそこまで言ってじっと考え込む。

 「おじさんはお医者でもなし、看護婦さんでもなし、……ただの床屋の親父だけど、でも、こういう所で働いて、そんで最近思ってんのは、命の長さってえのは、実は、そんなに大事なんじゃねえのかなってことなんだよね。もちろん命を無駄にはしちゃいけねえし、少しでも長生きできるようにおじさんも毎朝ラジオ体操やったりして、健康には気を付けてるんだけど……。何て言ったらいいのかなあ……。」

 主人は首を傾げて頭を掻いた。

 「何つうのか……、ここじゃあ若くして亡くなる人も正直、よく、……いらっしゃるんだけれど、しょっちゅうお友達来てて、家族にももちろん愛されてて、それこそ毎日ひっきりなしに来てて、そんで亡くなるっちゅうのは、何ていうのか……そりゃあ辛いし、悲しいし、暫くはおじさんもがっくし来ちまうんだけど、ちっとすると心がすとん、ってなるんだよねえ。でも、誰一人お見舞いにも来なくて、看護婦さんが来てくれ来てくれって家族に連絡しても、仕事だ何だってなっかなか来なくて、たった一人で亡くなるじいさんやばあさんも大勢いて。……そういうのは、何だかいつまで経っても、何であんな終わり方になっちまったんだ、って、がっくしが収まらねえっつうか……。」

 主人は「ごめんな。何か巧く言えねえ。」と顔を両手で擦った。

「……おじさん。ミリア、わかるかもしんない。」ミリアはぼそり、と呟いた。

「そうかい!」主人は顔を綻ばせた。「……でも、お嬢ちゃんはお兄ちゃんを大事にしてて、大切にしてて、そんだからお兄ちゃんは今後どんなことがあっても幸せだと思うよ。これなあ、一人ぼっちだったら検査来んのだって、一苦労だ。あのなあ、最初にがんが見つかった時よりも、再発した時の方が、人ってショックでっけえんだ。だから、検査来ねえで、逃げちまって、そんでまた何だか体が悪いってなって病院来た時には、がんがでっかくなっちまって、そんで亡くなるっちゅう患者さんも結構、いる。何やってんだ、ちゃんと検査しろよって最初はおじさんも思ってたけど、でも、違うんだ。検査っちゅうのは、やっぱしねえ、厭ぁなもんなんだ。こんで、見っかったらまた抗がん剤治療だ、手術だ、知ってる分、ああまたかって考えるだけで、もう全力で逃げちまいたくなるもんなんだ。お兄ちゃん今日ここ来るの、嫌がんなかったかい?」

 ミリアは首を横に振る。

 「大したもんだ。お兄ちゃん強そうだったしな。見たくれの強そうじゃなくって、ちゃあんと芯がある人の強さだ。おじさんはね、いっぱい死に瀕した人と接してるから、なあんとなくそういうの、わかんだ。人間ちゅうもんは、調子のいい時は誰だってぴんぴんしてる。ただ、死に直面した時にその本質がわかんだよ。」

 ミリアは微笑む。「リョウ、強いの。あのね、いつもね、どんなに辛くってもミリアのこと一番に考えてくれるし。ミリアは本当は……」一瞬口ごもったが、ちら、と主人を見て大丈夫だ、と確信する。「パパがいて。パパはお酒飲んで死んじゃったんだけれど、ミリア、毎日いっぱい蹴っ飛ばされたりぶん殴られたりしてて、そんで、いっつも死んでほしいって思ってて。それしか考えらんないぐらいに、ずーっと、そればっかし思ってて……」膝の上で拳を握りしめる。「でも、パパせっかく死んじゃったからそれ、忘れたかったの。なかったことにしたかったの。でもリョウはそれじゃダメだって。ちゃんと心の真ん中に置いて、それを音にして、ギターにして、お客さんをね、勇気づけるんだって教えてくれたの。そのためにね、ミリアは辛い目に遭ったんだって。無駄にしちゃだめって。」

 「そうかあ。」主人は深々と嘆声を吐き出した。「なかなかできることじゃねえ。」

 ミリアは嬉しく肯いた。「あのね、リョウも同じパパだからいっぱい酷いことされてて。背中は今も傷だらけなの。でもね、そういうことを曲にしてんの。全然忘れてないの。しっかりしっかり思い出してんの。地獄からでも人は這い上がれるって、正真正銘ね、自分の生き方で証明してんの。だから、みんなに凄いって言われてんだよ。人気者なの。」

 「大したもんだ。」

 ミリアは鼻息も荒く大きく肯いた。

 「じゃあ、……大丈夫だよ。大丈夫っつうのはがんになるとかならねえとか、そういう次元じゃあなくってさ。お兄ちゃん、どんなことがあっても乗り越えていける強さがあんだから、大丈夫。」

 「そうなの。」

 「検査終えるまで、ずっとここで待ってんのかい?」

 「うん。」

 「そうか……。」暫く考えて、でもミリアの笑みを見て、主人は安堵の溜め息を吐いた。「おじさん、もう二人午前中の内に出張しねえといけねえから、これで行くね。」

 「うん。ありがと。」

 「何かあったらお昼っからは一階にいるから、いつでもおいで。お茶ぐらい出したげっから。」

 「うん。」

 主人はゆっくりと立ち上がり、もう一度ミリアの顔を真正面から見詰めた。そこに運命に翻弄されることのない、一種決意の込められた瞳の輝きを確認し、大きく肯くとにっと笑いかけた。そしてさっさと身を翻し、ひょいひょいと身軽にその場を立ち去って行く。

 ミリアは再び検査室の扉を真正面から眺め、そして軽く微笑んだ。「大丈夫」、その少々枯れてはいるが優しく温かな響きが耳朶に色濃く残っていた。

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