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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 そのちょうど一週間後のことである。予定通りにリョウは検査のため病院に赴いた。一つ予想外であったのは、リョウの隣に平日の朝だというのにミリアがぴったりとくっ付いていることである。

 「学校なんか、絶対絶対行かない。」いよいよ明日が検査に迫った晩、ぶっと頬を膨らませてミリアはそう言い張った。

 「でも、明日は合格発表じゃねえか。行けよ。」

 ミリアの受験した大学は、合格発表が無論キャンパス内にも掲示されるが、インターネットでも確認できることとなっていた。時間になったら授業を抜け出してもいいから、学校のパソコンで確認しようと担任教師から言われていたのである。

 したがってリョウは、「先生、お前の合格を学校で待ってんじゃねえかよ。行けよ。散々世話になっといて、その仕打ちはねえだろうが。」そう何度も言い聞かせたのだが、一向に聞きやしない。

 「受験番号は先生に言ってあるから、勝手に見てもらうの。ミリアは病院で見る。もう、決めたの。だから絶対病院行くの。先生には後でどうもありがとうって、言うの。」

 酷い頑固者である。リョウは途方に暮れて、遂に「ああ、もう知らねえよ。勝手にしろ。」と言い放った。

 ミリアは一人固く肯き、以来文字通り勝手にむしむしどこまでもリョウに付いて来る。一人でこっそり病院に行かれては損だとばかり、リョウが朝、出がけにトイレに入った所にさえ付いて来ようとして、さすがに押し出された。

 そればかりではない。リョウは検査のために昨夜九時以降食を断っていたが、何故だかミリアも勝手に夕飯を済ませてからは何も口にせず、翌日も当然の如く朝食を断ち、玄関を出るなりリョウにぴったりと身を寄せ、まるで一心同体とばかりに離れないのである。

 「寒いの?」

 リョウにそう聞かれ、ミリアは不機嫌そうに無言で首を横に振る。

 「なんか、歩きづらく、ねえ?」

 アパートの階段を一段一段降りるのさえ、隣でぴったりとくっついて離れないものだからそう尋ねたのだが、ミリアは再び首を振る。

 リョウは溜め息を吐いて、異様に固い顔をして蒼褪めさせたミリアをバイクに乗せ、ヘルメットを被せてやり、いつも以上に力を込めて抱き締めるミリアの細い腕の感触を覚えながら病院にやって来たのである。

 

 久方ぶりの堅牢な館は相変わらず堂々とした佇まいで、二人を呑み込むように受け入れていく。ミリアは守衛の立つ大きな自動ドアに入る時に、思わずリョウの腕をぎゅっと抱き締めた。

 「お前さ、俺のことばっか考えてねえで、合格発表の方心配してろよ。自分のことだぞ。」

 「いいの。」

 「……いいの、って何がだよ。」

 「だって、……考えたってしょうがないんだもん。」

 「俺の検査だって、そうじゃねえか。」リョウは思わず噴き出す。

 「だってリョウは、一番大事だもの! 大学とは違うもの! 大学なんて……。」どうでもいいのだ、とはさすがに応援をしてくれていたリョウや担任教師のことを思えば口にはできず、ミリアは悔し気に下唇を噛んで黙した。

 「今日一日何してんだ? 本でも持ってきた?」リョウは病院の長い廊下を歩きながら尋ねる。

 ミリアは黙って首を横に振る。

 「それじゃあ、さすがに飽きんだろ。じゃあさ、ちっと小遣いぐれえやるから、近くで映画観て来るとか、喫茶店でケーキでも食ってくるとかしてこいよ。ほら、お前の好きなイチゴのケーキとかさ。」

 「いい。」

 「じゃあ、外来の待合室にいさしてもらって、テレビでも見てたら。朝っぱらだし、つまんねえのしかやってはねえだろうが。」

 「いいの。」

 全て頑なに拒絶をされ、リョウは溜め息を吐きながら、辿り着いたエレベーターのボタンを押す。間もなく扉が開く。

 「がん、……ないよね。」

 ミリアは泣き出しそうな声を漏らし、扉が閉まるのと同時にリョウの胸に抱き付いた。

 「大丈夫だよ。」そんな根拠は一つもないが、そう言わずにはいられない程にミリアは不安と焦燥に駆られていた。リョウは左手でミリアを抱き留める。

 「ほら、昨日はとろろマグロ丼米粒一つ残さねえで食ったし、ああ、半額だけど旨かったなあ。また売ってたら買ってこような。……そんでほら、最近ちったあ肉も付いてきたろ、髪も伸びてきたし。もうちっとすりゃあハーフぐれえ出れるぞ。」

 「マラソンなんか、いいわよう。」

 「でも、ライブはやらなきゃいけねえだろ。」

 「ライブはやってよう。」

 扉が開き、検査室の前へと到着した。

 「とにかく俺は大丈夫だから、心配しねえで飽きたらどっか遊び行ってこいよ。小遣いあるか?」

 ミリアは眉根に深い皴を作って俯く。

 リョウは溜め息を吐いて、受付に診察券を差し出した。じっとりと泣きそうな、というよりは恨めしそうな顔でミリアはリョウの腕をぎゅっと抱きしめる。

 「ここで、待ってる。お医者さんのお話、ミリアも聞く。だから呼んで。」勝手にそう断言して、受付の前に置かれた隅のソファに座り込む。膝を揃え、小さくなってリョウの足元辺りをじっと見つめた。

 リョウはさすがにそのまま検査室に赴くこともできず、ミリアの傍まで来ると、「……じゃあ、待っててな。その……、俺は大丈夫だから。今回ばっかりは無性に大丈夫な気がすんだよ。なんつうか、バンドマンの直観ってえ奴だな。結構鋭いんだぞ、こう見えても。」

 しかしミリアの硬い頬は僅かにも動じない。

 「来年春んなったら、お前と一緒に海外でライブやって。見も知らねえ客大暴れさせて。そんで日本帰ってきたらお前は女子大生っつうのになってて、でもそんでも一緒に飯買いに行って、作って、一緒に食ってっつうのは変わんねえで。そんで……」他に何か喜ばせてやれる要素はないか、とリョウはふとミリアを見詰める。

 「たまには一緒に夜更かししてギター弾いて、そんで一緒に寝て……。」

 ミリアははっとなって顔を上げた。その目は確実に潤んでいた。やっぱり、とリョウは目を細める。

 「ミリアもそう思ってんの! ぴったしおんなじに!」

 「だよな。」リョウはにっと歯茎を見せて笑った。「じゃ、二人ぴったり合った直観っつうことだ。こりゃ絶対過つことはねえな。……じゃ、行ってくっから。」

 リョウはそう言ってミリアの頭に手を置くと、さっさと身を翻し、検査室の中へと入って行った。ミリアはその後姿をじっと眺めて、暫くその場に立ち尽くしていた。


 やがてミリアは目を閉じた。たしかにリョウは最近は食欲も出、肉も付いてきた。見るも無残に現れ出た頬骨や肋骨は、今やすっかり埋もれてきた。それをどんなに嬉しく眺めていたことであろう。昨今唐突に撫で擦って嫌がられたことも一度や二度ではない。だから絶対に、がんなどはもうリョウには寄り付かないはずなのだ。

 日々の食事にだって、リョウが作ろうがミリアが作ろうが、徹頭徹尾野菜、果物中心の食事にしているし、ラーメンや丼物の外食はとんとしなくなった。だから、大丈夫なのだ。そう言い聞かせながらもしかし、ミリアは次第に喉の奥がごつごつと痛み始めるのを覚える。

 ――絶対にリョウを喪いたくない。大学受験なんぞで運を使い果たすことになるのなら、何が何でも不合格にしてください。とにかくリョウがいなければ朝も夜も来ない。もう、この世は何の価値もなくなる。

 ミリアはほとんど激昂にも似た激情を籠めて神に祈った。

 「リョウとずっとずっと一緒にいられますように。」既に何度繰り返したかもわからぬこの文言でもって、突き上げるように祈った。


 その時である。ジーパンのポケットに入れて置いた携帯電話がブルブルと震え出したのは。ミリアは慌てて取り出して、画面に映し出された名前を見る。シュン。はっとなってトイレに駆け込んだ。

 「シュン、もしもし。どうしたの。」

 「どうしたもこうしたもあるか。今日はお前らの揃いも揃って運命の日じゃねえか。お蔭でこっちも何も手に付かねえ。で、今どこにいるんだ。学校か?」

 「授業中に電話したら怒られるわよう。」

 「ああ、ごめんごめん。じゃあ一旦切るわ。」

 「違うわよう! 今日はお休みしたの。だから病院なの。」

 「そうなんか。」

 「リョウにくっ付いて来た。学校行けっていっぱい言われたけど。そんなのちっとも聞かないの。」

 「ほう。殊勝な奥さんだ。で、お前の合格発表は?」

 「三時になったらインターネットで見られるのよう。」

 「ほお、随分ハイカラなシステムだなあ。」心底感嘆したように言った。

 「じゃあ、とにかく昼にはそっち行くから。リョウそれまでに終わるかなあ?」

 「終わんない。あのねえ、体中隅々まで視て貰うから。隅々まで。」

 「そうなんか。じゃあ、一緒に昼飯食おう。な。」

 「うん。」ミリアはほっと微笑む。リョウに合わせて昨夜から何も投入してやっていない腹は、気付けばぐうぐうと唸りを上げて猛烈に食べ物を要求し出していた。

 「まあ、退院してからリョウは傍目にも毎日良くなってるしよお。だからお前もどーんと構えてさ。あとちっとそこで待っててくれよ。な。さっさと仕事済ましてそっち行くから。」

 ミリアはうん!、とトイレ中に響くような声で肯いた。やはりリョウは良くなってきているのだ。誰が見てもそうなのだ。ミリアは次第に元気を取り戻していった。

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