表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
6/161

6

 案内されたのは四人部屋である。白髪の老人が二人に、もう一人は中年の女性であった。この人たちもがんであるのか、死の恐怖と闘っているのか、リョウは一瞬訝ったがこの赤い長髪がいかなる不安と恐懼とを彼らに与えているかという問題に思い至り、努めて笑顔を浮かべ、「宜しくお願いします。」と言いつつ、用意された窓際のベッドに腰を下ろした。と言っても体調はほとんど自覚さえない熱がある程度で、大したことがあるようにはとても思われないので、ライブのツアーでホテルに来ているような、一種わくわくした感覚さえ覚える。

 ミリアは見慣れぬ病室をじろじろと見回し、それから袋からスリッパ、歯ブラシ、タオルなぞを一つ一つ、タンスに入れて行った。

 「ああ、悪いけど着替えとか洗濯とかお前に頼みたいから、週一ぐらいで来てくれねえかな。」

 ミリアは睨んだ。「毎日来るって、言ったじゃん。ま・い・に・ち、来るの。」

 「……そりゃどうも。」

 「じゃ、明日、頼むわ。今日はありがとな。」

しかしミリアは俯いたまま、ベッドの脇に立ち竦んでいる。リョウはベッド脇のベンチを顎で示し、「座りな」と囁いた。

 ミリアはゆっくり腰を下ろす。

「ミリア、明日、美味しいもの作って持って来るから。」

「そりゃありがてえな。ミリアの飯は何だって最高に旨いからな。」

「何が食べたい?」

「何でもいいよ。つうか学校終わってから来るんじゃ忙しいだろう。飯なんか作ってる暇あるか? 大丈夫か?」

 「大丈夫。」

「……あーあ、シュンとアキにも電話しとかねえとな。」がん、という言葉は使えなかった。「こういう事情で、ライブ暫く空いちまうって。」

 「自分のこと。」ミリアは立ち上がって抱き付いた。「リョウは自分のことだけ、考えて。シュンとアキも、大丈夫だから。ね。そして早く治して。」

 「ったりめえだろ。いつまでもこんな所に押し込められてライブもできねえっつうのは、拷問だからな。んなのにおとなしく従ってる俺じゃねえよ。」リョウは精悍な感じに微笑むと、ミリアの頭を撫で回した。

 「早く、早く、治してね。」ミリアは必死の形相で訴えた。

 「当たり前だろ。」

 リョウの胸中にはしかし、五年後の生存率が70%というあの不気味な数値が渦巻いていた。自分はどちらに分類される人間であるのか。七割の方か、三割の方か。二つに一つであることは疑いない事実であろう。しかし自分はやはり、三割には入れない。ミリアを一人にする訳にはいかないから。がんだと言われただけで混乱するこれを置いて死んだら、どうなるかわからないじゃないか。それに、まだまだ書かねばならぬ曲もごまんとあるのだ。がんを経験したならば、もっともっと曲に痛苦と絶望と、悲叫のリアルな感情が投影されることは間違いないのだ。リョウはそれを思うと、心躍った。自分はやはりデスメタラーなのだ。死に肉薄できるのが、どこか嬉しくてならない。虐待を受けた、心身に癒えぬ傷を付けられた、それ以上の経験が曲に生かされたら、一体どんなものが仕上がるのだろう。リョウはそれが楽しみでならない。そしてそんな輝きを秘めたものを胸に秘めたまま土中に埋められるなんて、堪ったもんじゃあない。ライブもやりたい。海外からのオファーだって来ているのだ。それもミリアがまだ高校生であるから断っているだけのことである。これがそのうち高校を卒業したら、海外のありとあらゆる場所でライブをするのだ。人種を超え、国境を越え、まだ見ぬ客の前で演奏をし、この音楽を届けるのだ。シュンに、アキ、毎度ライブに足を運んでくる精鋭たち、ライブハウスの店員に音楽関係者、彼らと共に、音楽の高みに到達するのだ。そのために、神はがんを自分に与えたのではないか。リョウはほくそ笑んだ。

 「俺は必ず復帰して、最強の曲を書く。最強のプレイをする。待ってろ。」

 ミリアは涙目で肯いた。

 「じゃ、帰れ。」

 「もう?」頓狂な声が上がる。

 「お前は帰って勉強するんだよ。それから俺が復帰する時のために、ギターの練習をするんだよ。高校生兼ギタリストが頑張ることっつったら、それしかねえだろが。」

 ミリアはすがるような眼差しをリョウに向け、それが揺らがないと解るとふらふらと立ち上がった。

 「リョウ、元気でね。ミリアのこと、忘れないでね。」


 ミリアは正面玄関の自動ドアを潜ると、聳え立つ堅牢な病院を振り返って見上げた。リョウの病室は七階である。視線が上がる。するとそこには真っ赤な髪が見えた。ミリアは息を呑んで大きく手を振った。リョウも手を振り返す。

するとなぜだか胸が痛み始め、嗚咽しそうになった。入口に立っていた警備員が不審げにミリアを見詰め、その視線の先に病室があるのを確認すると、遠慮がちに目を伏せた。

ミリアは振った手をそろそろと下ろすと、しかし微動だにできなった。下唇を噛み締めて、二、三度瞬きを繰り返すと突如再び病院の中へと向かって勢いよく走り出した。はっはと息を弾ませて、リョウの病室に飛び込んで行く。リョウは驚いた顔をしてミリアを見上げた。

 「……何か、用?」ミリアは泣きそうな顔をしながらそう問うた。「……呼んだ?」何を言っていいのかわからないのであろう。リョウは仕方なしに立ち上がって震えるミリアをそっと抱き締め背を撫でた。

 「一人で帰して悪ぃな。」

 腕の中からひい、と切り裂くような声が響いた。

 「早く元気になって。一緒に帰ろうよう。」

 「そうだな。」

 「一人ぽっちで家にいたくないよう。」

 「すぐの辛抱だから。」

 リョウを見上げた瞳は涙に潤んでいた。再び胸に顔を埋め、「お願い。もうちょっとだけこうしてて。」と涙声で呟いた。リョウは溜め息を吐いてミリアの頭を撫でた。いつまでもさらさらと髪を梳くように撫で続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ