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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 リョウは夕暮れの駅前でギターを背負いドラッグスターに跨ったまま、呆然と人ごみを眺めていた。轟音を立てて電車が到着するたびに、改札口から溢れ出す人込みにミリアはいないかと探し続けている。迎えに行くなどとは行ってなかったし、連絡もしていないのだが、一人あの部屋でミリアの帰りを待つことができずにこうしてレッスンが終わった後待ち続けている。

 いっそ携帯電話に連絡を入れてもいいのだが、もしまだ大学にいるようであれば迷惑であるし、そもそも約束をしていないのだから勝手に待っていると告げるのもあまりに一方的に過ぎる、と逡巡している所に、突如背中から声を掛けられた。

 「こんにちは。」

 振り向けばカイトであった。「あの、お久しぶりです。すみません。学校出たら、見覚えのあるバイクが見えたから……。」

 「ああ。」リョウは肯きつつ、目を瞬かせた。明らかに自分を苦手としているのに、自分から声を掛けてきておいて、顔を強張らせているこの少年の気持ちが知れなかった。

 「今日、ミリアさん受験ですよね。」

 「……ああ。」それを知ってのことか、と思う。

 「お迎えですか。」

 「……ああ。」

 「僕も、ここに待っていてはいけませんか。」

 リョウは苦笑して首を傾げた。「あの、その、迎えっつうか。……約束はしてねえんだ。ほら、たまたま! ここ通ったからどうせなら、乗せてってやった方がいいかなって思って……。」

 「優しいんですね。」

 リョウは不貞腐れたように返事をせず、再び改札口を眺める。

 「実は僕も今日は全然授業に身が入らなくて。本当は放課後少し図書館で勉強して行と思ったんですけど、とてもそんな気分にならなくて……。」

 「ダメじゃねえか。お前は頭いい大学受けんだろ。人のこと心配してる場合じゃねえだろが。」

 「そうなんですけど……。」カイトはそう言って俯いた。

 二人は黙して肩を並べて改札口を見詰める。何度目だか知らぬ電車が入って来る。

 「今日、大丈夫だったかなあ。先生と何度も練習はしていたみたいだけれど。」

 「大丈夫でもダメでも……。」リョウは呟く。

 「そうですよね。大学に行けようが行けまいが、あなたの可愛い奥さんっていうことには変わらない訳ですから。」

 リョウは眉を顰めてちら、とカイトを見下ろす。

 「いいな。」羨望と嫉妬の入り混じった表情はしかし、真っ直ぐにミリアの来るはずである改札口を見据えていた。目を合わせないこの立ち位置が少々カイトを多弁にしていく。「大学合格したらライブしに台湾行くんですってね。この前会った時に、だから絶対合格勝ち取るしかないって言ってました。」

 「まあ、そうだな。」

 「志望理由書見せて貰ったんですよ。」

 リョウは聞き慣れぬ言葉に黙した。

 「ミリアさん、管理栄養士目指してたんですね。全然知らなかった。」

 「ああ、それか。」リョウは肯いた。確かに面接の練習をしながらそんなことを言っていたと思い出す。しかしそれは将来が未定であると面接の返答に困るからで、でっち上げたものとばかりに思っていたのだが。

 「ギターかモデルかを続けていくんだろうなって思ってたけど、病院で患者さんに栄養と元気を与える食事を提供したいんだって書いてありました。それってやっぱり念頭にあるのはお兄さんのこと、ですよね。」

 「さあなあ。」リョウは曖昧に答える。たしかに自分の病気の経験がなければ、管理栄養士などとは言い出さなかったとは思うが、それがミリアの本音であるのか建て前であるのかはわからない。自分としてはバンドだのモデルなどという不安定な職業よりも、国家資格を生かした職業に就けるのであればそちらの方が遥かに素晴らしいことのように思えた。

 「いいな。」また同じ言葉をカイトは悔し気に絞り出した。「やっぱり、お兄さんのことが本当に好きなんだ。」

 ふとリョウは思い立って言った。「お前勉強ばっかやっててストレス溜まってんじゃねえの。何つうかさっきから……。」何だか無性に言葉にはならない負の感情、を感じていたのである。

 「僕は、……」カイトは俯いた。「どんなに勉強を頑張っても、それって意味あるのかなあ。」

 「何だそりゃあ。」頓狂な声を上げた。

 カイトは溜め息でそれに答える。三年生になってから毎日必死に勉強をすることに迷いはないまでにはなったが、果たしてそれがどんな恩恵を将来自分に与えてくれるのかがふとわからなくなってきたのである。

 思えば自分はミリアに振り向いてほしい一心で、一年生の頃から勉強に励んできた。しかしそれは絶対に、――絶対などという概念はこの世に存在しないとは頭ではわかっていながらも、しかしそれでも絶対に、ミリアは自分を男として愛してくれることはないのである。そればかりか勉強などとは一切無縁の人生を送って来たことが明瞭な、この兄をばかり誠心誠意慕っているのだ。努力は必ずしも自分の願う結果をもたらしてくれるとは限らない。そうカイトは自分の胸に刻みつける他無かった。

 「やっぱり帰ります。」カイトは身を翻した。「ミリアさんは、あなたに笑いかけるから。」

 リョウは勉強ばかりし過ぎて頭をおかしくしたか、と唇をひん曲げた。その時である。

 「リョウ! カイト!」雑踏の中から遠慮なしの甲高い声が迸る。カイトは勢いよく振り返った。ミリアが大きく手を振りながら人込みを分けて駆け込んで来る。

 「ただいま、ただいまー!」

 リョウは思わず微笑んで小さく手を振り返す。

 「何でいるの! 何で何で?」興奮冷めやらぬ態でそのまま勢いを落とさず、バイクに突進する。

 「いや、レッスンちょうど終わった所で、いるかなと思って。」何だか付き合い立てのカップルのような遠慮じみた言葉が思わず口を突く。

 「僕も校門出たら、たまたまお兄さん見つけて。そんで。」

 「そうなの! ミリアも面接とプレゼンテーションと、あと学科試験と全部きれいさっぱり終わって今戻って来た所なの! 奇遇!」

 「で、どうだった?」リョウが深刻そうに尋ねた。

 「任して! ちゃあんと答えられた! 試験は、ちょっと、難しかったけど。」

 「学科は? 何?」カイトまでもがそう身を乗り出して息を呑む。

 「最初は英語ね。英単語はミリア苦手だからよくわかんなかったけど、食事のお話だったから何となく読めたでしょ。それから小論文。これはねえ、『今までで最も印象に残っている食事』っていう問題だったから、すーっごく、簡単だった。」

 「はあ?」リョウは思わず身を乗り出す。「そんな問題出るんだったら高級フランス料理の一つや二つ行かしてやるんだったあ! 何だそりゃ、貧乏人差別かよお!」リョウはそう叫んで頭を掻き毟る。

 「で、ミリアは、何て、書いたの?」冷静にカイトが尋ねる。

 「あのね、焼きそばのこと書いた。リョウが作ってくれた焼きそば。美味しいの。」

 「お前それ完璧アウトな解答じゃねえか!」リョウはミリアを指差し叱咤する。「きっと大学行かせる金もねえ、こんな奴入れたら貧乏臭がするって思われるパターンだろ!」

 「思わないわよう。」ミリアは口をとがらせる。「こう書いたの。……私は小さい頃、父子家庭で育ちましたが、その父が病死したことをきっかけに、それまで存在も知らされていなかった兄の家に貰われることになりました。初めて会った兄は、ひどくお腹を空かせていた私に色々聞く前に、温かい焼きそばを作って食べさせてくれました。それは私にここにいていいのだということを実感させてくれました。それ以来私は、不安が募った時、安心感が欲しい時にはいつも兄に焼きそばを作ってもらいます。たとえば今日のお弁当も焼きそばです、って。」

 カイトは目を見開いた。

 「バカか! そんな低レベルな食事じゃお前不合格確定だろ! ああ、でもそれもこれも俺のせいか、お前のせいじゃあねえよなあ。……ああ、でもまさか貧乏食が故に大学の道も断たれるとは、こんなんが受験に出るってわかっていれば、チクショウ、スーパーの半額シールが貼ってあるやつ以外はブルジョワの食いモンだから触っちゃいけねえとか、くだらねえこと絶対言わなかったのに……。」ぶつくさと述べるリョウの傍らで、カイトは苦し気に微笑み、「絶対合格するよ。その解答、完璧だよ。」と呟いた。ミリアは満面の笑みで肯いた。

 「今度はカイトの番ね。あのね、カイトがちゃあんと合格するようにミリア祈ってるから。台湾でお守り買ってきたげる。学問の偉い神様が、いるんだって。」

 「ありがと。」

カイトの目がうっすらと涙が浮かんでいるように見えたのは、夕焼けが眩しかったからだろうかとミリアは訝った。

「じゃあ、今日はゆっくり休んで。お疲れ様。結果は来週だったよね、合格来るまで僕も祈ってるから。じゃあ。」カイトはそう言ってまだ絶望しているリョウに軽く頭を下げると、身を翻しそそくさと歩き出した。

「ねえねえ、いつまでもぶつぶつ言ってないで、帰りましょうよう。今日は何食べる? スーパー寄って帰る?」

「ああ、……そうだな。何か半額のモンでも買って帰るか。……ああ、これだからダメなんだよ! クソが、ああ。」

ミリアは勝手にバイクの後部座席に跨るとヘルメットを取り出し、さっさと被った。リョウの腰に手を回し、ふふ、と笑ってその背に頬を押し付けた。

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