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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 ギターを抱えたままふと、リョウはスタジオの壁に掛けられたシチズンのデジタル時計を見た。十時十四分。そろそろ午前中のプレゼンテーションが始まる頃合いではないかと思いなし、自ずと鼓動が早まる。

 「どうしたんすか?」黒髪を背まで伸ばした青年が、目の前のリョウを不思議そうに眺めた。

 「え?」

 「いえ、このコード進行のフレーズって言って止まっちまったから……。」

 「ああ、ごめんごめん。」リョウは慌てて表情を引き締めて渾身のギターソロを弾き始める。ミリアへ届けとばかりに。虐待を受けた小さく無力だった少女が、大学と名の付く所へと到達するように。奇跡でも偶然でも何でもいいから、とにかくミリアの持ち得る限りの力量が全て発揮できるように。リョウはソロを弾きながらいつしかこのスタジオから遠のき、ただミリアのいる世界に没頭した。誰よりも愛らしい澄んだ瞳と、つんと上を向いた鼻と、華奢な人形のような手足と、それからふっくらとした、それでいて何を紡ぎ出すか知れないあの魅惑的な唇。幾度となく自分に唐突な接吻を繰り出してきたあの唇。リョウは今朝のことを思い返して笑いが込み上げて来てならず、思わず最後のチョーキングで音を四分の一ほど上がり過ぎてしまうという初歩的なミスを犯した。

 「否、凄いすね……。」青年はしかしそれには気付かぬように感嘆する。「何かあったんすか……。」

 リョウは再びスタジオに戻されていく。

 「実はな」唇を湿す。「……ミリアが受験なんだ。今。」

 「今?」

 「今。」青年は一瞬神妙に聞き入ったがやがてぶっと噴き出した。「マジすか! つうかリョウさん、……ミリアちゃんのことになると人変わりますよね。」

 リョウは慌てて身を仰け反らせて、「いやな、ほら、あいつ喋り方とか変だし頭も悪いし、そんでプレゼンテーションで大学受験するっつうからさ、ほら、……不安だろ? どう考えたって不安じゃねえか!」落ちたら絶対に泣き喚くに違いない。そうしたら最低、三日三晩程は慰め続けねばならないではないか。

 青年は俯いてくつくつ肩を震わせている。「そう、かも、しん、ねえすけど……、でもダメだ! こんな厳ついデスメタルバンドのフロントマンが、妹の大学受験の心配してんのは、どう考えたって面白すぎる!」

 リョウは不機嫌そうに唇を歪め、「いや、だから、しっかりした子ならいいんだけど、あいつはちょっとおかしいから。……だってな? まずな、あいつ今日持って行く弁当絶対に焼きそばだって言い張んだぞ? 普通卵焼きとかハンバーグとかじゃねえか。ちなみにな、焼きそばっていっちばん最初に俺があいつに作ってやった料理。ん? 料理って言えんのか? でもよお、しょうがねえ、あいつが焼きそばじゃなきゃ頑張れねえとか、うだうだ言うんだから。で、朝早くから焼きそば作りだよ、俺は。どこの健康的なテキヤさんだよ。」

 あっはははは、と膝を叩いて青年は哄笑する。「マジすか! リョウさんが早起きして弁当作るんすか! マジで? エプロンとかしちゃうんすか?」

 リョウはぷいとそっぽを向いてギターを爪弾き始める。「しねえよ。」一度ミリアが新婚夫婦なのだからとお揃いのエプロンをしようと言ってきたことがあったが、それは何としても拒絶し、切ったのだ。そんなマネをしていたならばさすがにメタルの神も愛想を尽かす。

 「でもミリアちゃんいよいよ大学生なんすねえ。何か、感慨深いなあ。俺なんてただのファンだけど、なんか小せえ頃から見てるから勝手に妹みてえな気がしちまって……。たしかにあの小っちゃかったミリアちゃんが大学受験に挑んでるなんて思うと、ドキドキするなあ。ライブだったら安心して観ていられるんだけどなあ。」

 「言っとくが『受かれば』大学生、だかんな。受かんなかったらそりゃあ、……ただのバンドマンだ。社会的には何の価値もねえ。」

 「俺らにとっては、価値、ありまくりなんだがなあ……。でもちっちぇえほっそい小学生の女の子がデスメタルバンドで、屈強なリョウさんシュンさ、アキさんに少しも引けを取らないギター弾いてたあの姿は一生忘れらんねえなあ。あの子がいよいよ大学生か、早いなあ。」と、追い目をして呟いた。

 「だよなあ。あいつ、料理の勉強するって言って。なんつったけかな? 管理、栄養士? 俺みてえな病気で入院してる患者が美味しく栄養満点に食べれる料理を作れる人になるんだっつって、大学に……。」リョウはそこまで言って突然目頭の熱くなるのを覚え、はっとなった。慌てて瞬きを繰り返し、溢れ出んとする涙を霧散させようと試みる。

 「立派じゃねえすか! とてもメンバー固定さえできなかった、人間的に欠陥ありまくりのデスメタラーに育てられたとは思われねえ……。」思わず本音を溢す。

 「俺があいつに教えたのはギターだけだ。」そう言ってリョウはふん、と鼻を鳴らすと先程のコードで再び違うパターンのギターソロを弾き始める。「あいつを育ててくれたのはモデル事務所の社長だろ、社長の美人秘書さんだろ、それから学校の先生も小中高と、寄ってたかってよーく面倒見てくれたしな。まあ、回りに恵まれてんだよ。」

 「中でも旦那には一番恵まれたんじゃないすか。」

 リョウは一瞬指を止めて睨んだ。

 「もう、喋ってばっかいねえでさっさと弾けよ。レッスンの時間終わっちまうぞ?」ちら、と時計を見て、リョウははっとなった。「あ! 忘れてた! ちょっと待て。俺はお祈りの時間に入る。」リョウはそう言って胸の前で手を合わせ、何やらぶつぶつと呟き始めた。「ミリア頑張れ、俺がついてっから。メタルの神様、ギターの神様、それからダイムバック・ダレル様、どうかどうかミリアの願いを叶えてやって下さい。あいつは馬鹿だけどいい子だから。頼みます、どうか、頼みます。」もとより祈り方なんぞ知りもしない。思えば人生で神社も寺もろくすぽこの方訪れたことはない。ミリアは寺社教会に通い父親を呪い殺したと言っていたが、そんな敬虔さだか信仰心だかはこの兄には皆無なのである。

 いつの間にかギターを教わっていた生徒も両手を組んで頭を垂れている。「ミリアちゃんがこれからもずっとずっとLast Rebellionの恒久的ギタリストとして、俺らに超絶凄腕ギターを聴かせてくれますように、そのために大学生んなって生活がまあまあ整って、バンド活動に精出せますように。」

 「お前、わかってんじゃねえか。」

 リョウは満足げに頷くと「ほら、次のフレーズやるぞ。」と促した。

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