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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 「随分立派な資料じゃないか!」

 担任はそう感嘆の声を上げ、背を丸めてパソコン画面に没頭する。画面には料理の写真に栄養素が色別に記され、それがどのような効果をもたらすのかが美しく映し出されている。

 無論リョウが作ったのである。

 ライブ翌日からいよいよ資料作成に入ろうと、ノートをパソコンの上に置いたまま小首を傾げて待っているミリアを、暫く驚異の眼差しで見つめた後、リョウは深々と溜め息を吐き、「お前はそこいらで立って腹式呼吸から発表の練習でもしてろ」と言い放ったのであった。

 「ああ、もう何でこんな頓珍漢な娘なんだよ。原始人だってもうちっと手出せんだろ。」キーボードを忙しく操りながらぼやいた言葉にミリアは敏感に反応する。

 「娘?」ミリアは眉を顰める。「娘って何、ミリアは妻だわよう!」

 「……だあって、十八も違うんだぞ。年齢的には完璧親子だろ。」

 ミリアはリョウの顔とパソコンの画面の間にぬっと怒り心頭の顔を突き出し、「ミリアを子供なんて風に思ってるの? 一体全体どういうこと! 結婚したのでしょう? 結婚したなら夫婦でしょう? そしたらミリアは妻でしょう?」唾をぺっぺと吐き熱弁を振るう。

 リョウは身を仰け反らせ、「……そう、だ、な。」と答えた。

 「ちょっと邪魔。」リョウはミリアの頭を横に退け、再びミリアのノートを見ながらキーボードを叩き始める。

 ミリアは不満げにリョウの横顔を見詰める。「ミリアはリョウのお嫁さんなわけだし。そうしたら進路希望調査には『もうお嫁さんです』って書いちゃって、別に大学落ちちゃっても大丈夫かもしんない。」

 「大丈夫なわきゃねえだろ!」リョウが手を止めてミリアを睨む。人差し指でミリアの鼻先を指しながら「バンドマンの嫁なんかがお前、進路として認められる訳ねえだろ! ああ? バンドマン一匹でさえてめえの糊口凌げねえのに、バンドマンの嫁なんてなあ、お前食ってける方がむしろ奇跡の……、博打にもなりゃしねえ! 勝ち目ゼロの博打以下だ!」

 そんなに自分を卑下しなくたっていいのに、と、ミリアはふうん、とそっぽを向く。別に何もかもをリョウに負ぶさって、食べさせ続けてもらいたいわけではない。これからだって、万が一リョウが病気で働けなくなれば代わりに仕事を入れてどうにかしようと思うし、ただリョウといたいだけだのに、一つもわかってくれない。ミリアはますます詰まらなさそうに、今度はぐたりとソファに座り込んだ。

 「……リョウがもしまたお病気になったとしても、ミリアはお仕事いっぱい入れてもらって、どうしたってお金作るの。今度はAV以外の方法だってちゃあんと、考える。妻だもの。でもね、もうスウェーデンとかは、いいの。別に本当に結婚しなくったって、一緒にいられるだけで十分だもの。」

 ミリアの誰へともつかぬ呟きを聞きながら、リョウの指先が次第に緩慢になっていく。

 「前まではね、本当のこと言うとね、どうしてリョウと兄妹なんかになっちゃってて結婚できないんだろうって思ったけど、でもよく考えたらリョウとお揃いなのは何だって素敵って思ったの。音が似てるって言われるのも嬉しいし、弾き方似てるも嬉しいし、だから、血がお揃いなのも素敵でしょ。だから、もう、いいの。でもたまにね、結婚式のお写真を見ると元気になるよ。ミリアは綺麗なドレス着てたでしょう。そんでリョウの隣で笑ってるんだもの。」

 「わ、わかった。」リョウは幾分焦燥しながら立ち上がり、よろよろとミリアに歩み寄るとその両肩を握った。「お前は妻だ。たしかに俺の妻だ。だけど大学には行け。そこは別問題だ。だからそのために発表の練習をしろ。優先順位を過つな。」

 ミリアは「はあい。」と微笑んで立つと、たどたどしく何故だか「あえいうえおあお」の発声練習を始めた。リョウは一瞬手を止めたが、溜め息を吐きながら再び資料を作り始めた。

 自分はミリアをどうにか幸せにしてやりたいと思っている。最初出会った時からそれはずっと思い続けていることである。そのためにはまず、経済的基盤を整えさせることが先決であると思っている。吹けば飛ぶような自分の経済事情に全てが左右されるのではなく。自分一人でも生活していけるように。自分はその点、ミリアに恐怖と絶望を植え付け死んだ父親とは違うのだ、高校にだって大学にだって行かせるのだ。それがリョウの矜持となっている。ただそれがミリアが自分に寄せているような感情と同じなのか、と思うとそれには疑念が残る。自分にとってみればミリアが妹でも一向に構わないような気もする。でもそれは特別な妹だ。世界一幸せな妹でなければならない。最高の環境で最高の幸福に包まれて生きる妹――。

 ミリアは隣で意味のわからぬ発声練習を終えると、口をパクパクと大きく開けて、今度は「兄ががんになってしまいました。喉のがんです。がんが悪化しないように、がんと闘えるように、栄養を付けていかないといけません。それには美味しくて栄養のあるお料理が大切です。」などと言っている。

 リョウはほくそ笑みながらひたすらキーボードを叩き続けた。


 僅か一時間程度であった。出来上がった資料をミリアは目を瞬かせて手を叩き、「凄いわ!」と歓声を上げる。「綺麗! レストランのお料理みたい!」

 そして今、担任もパソコン画面を見ながら多かれ少なかれ同じ評価を下している。

 「栄養成分も解りやすいし、写真も綺麗に撮れているじゃあないか。しかもこれ、スープで揃えてみたのか。比較対象もしやすいし、いいな。たしかに、何も食べられない時には固形物は喉通らないからなあ。実体験にもちゃんと即しているし、黒崎独自の発表になったんじゃないか? ……で、これ、お兄さんにやってもらったんだろ。」

 「はい。」ミリアは苦笑を浮かべて俯いた。

 「……まあ、いいだろ。元々これはお兄さんとの共作だからな。お兄さんが病気にならなかったらこの発表もない。おそらくただお前が好きな料理作って、その写真撮ってちょっと栄養分析して、料理好きのブログと変わらない資料だったろう。ただし発表するのは黒崎自身だからな。いつもみたいにたどたどしい喋り方じゃあ、ダメだ。今日からしっかり練習していって、質問にもハキハキ答えられるようにしていかないと。……じゃあ、始めようか。」担任は今度はミリアに向き合い微笑んだ。

 「はい。」ミリアは今度は面を上げて肯いた。「よろしくお願いします。」

 担任はパソコンの画像を面接室の白壁に映し出す。ミリアはそれを見ながら、原稿を読み上げていく。ライブが終わってから何度もリョウと家で何度も練習をしてきたのである。  

 「あ、ちなみにお前がこれで大学合格できなかったら台北連れてかねえかんな。お前なしでやる。ギターにヘルプ入れて。」

 ミリアは絶叫する。

 「どうしてよう! 今ミリアのこと妻だって言ったじゃない! 何で妻を置いてライブ行くのよう! 何で妻以外の人とツインギター弾くのよう! 浮気者! 浮気者!」

 「っるせえな! お前、夫婦でツインギター弾いてるっつう方がレアすぎんだろうが! そんなの俺は知らねえぞ! っつうか俺は死ぬ気で挑戦しねえ奴は置いてく! 俺の夢の邪魔だ!」

 「……それは、ダメ、なの。」ミリアは息も絶え絶えに言った。

 「ダメもへったくれもあるか。」

 「へったくれ……。」ミリアは力なくへたり込んで呟く。「リョウとギター弾くのはミリアだけだのに。おんなじ音だのに。」

 「ちなみにもう一つキャンセル事項がある。」

 ミリアはじっとりとリョウを睨み上げた。今度は一体どんな罪を擦り付けられるのかと訝った。

 「ほら、これ。」リョウはパソコンの机上からぴら、と一通のハガキを見せ付けた。

 「……がん検診のお知らせ?」

 「そうだ来月受けてくる。俺がもし再発してたら……その場合も、海外公演は、無しだな。」

 ミリアは息を呑んだ。

 「大丈夫よ。……リョウ元気だもん。ご飯もいっぱい食べるし……ライブだってみんなパワーアップして復活したって、言ってたし。」ミリアは焦燥しながら手を揉んだ。正直、リョウが、ここ五年間は再発の恐れがあるために検査を定期的に行わなければならないということを忘れていたのである。

 「……だよな。」リョウは幾分強張った笑みを浮かべた。

 「ねえ、これ。」そう言ってミリアはハガキを取った。「いつ検査受けるの? この期間に受けるっていうこと?」

 「だな。」

 「じゃあ、一緒の日にしよ?」

 「一緒の日?」

 「うん、そう。十月二十三日。ミリアの大学受験の合格発表の日だわよう。」

 リョウは目を見開いた。

 「ミリアがもしダメだったら、台湾諦める。リョウがダメだったら……、」ミリアの唇がわなわなと震え出した。しかし間もなくキッと結ぶと、「また一緒に戦う。リョウがきっちり治ってまたステージですんごいパフォーマンス見せられるようになるように、それまでお金もお料理も、ミリアが作るから。」

 リョウは明確な眩暈を覚えた。これは、誰だ。どこの強靭で美麗な女神であろうかと。

 「だから、頑張ろうね。」

 リョウは頭を振って意識を取り戻していく。「……何をどう頑張るんだよ、俺は。」

 「毎日お野菜食べるとか。ビタミン摂るとか。ちょぴっとは運動するとか。」

 「全部もうやってんじゃねえか。」苦笑を漏らす。「……お前も、……プレゼンテーションの練習頑張れよ。」

 ミリアはにこりと笑んで、一種の覚悟もて肯いた。

 必ずや海外でライブを行うのだ。そしてリョウと園城との夢を叶えるのだ。その決意を胸に渦巻かせて。

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