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楽屋に戻ると四人は暫く黙し続けていた。肩を震わせ、息も絶え絶えに。それは久方ぶりのライブ、というだけではなかった。今までは届かなかった境地に確実に着地した、そんな達成感とそれに相応しい疲弊感とがあった。
リョウはソファに凭れかかったまま天井を呆然と見詰める。タオルで顔を覆い絶え間なく流れ落ちる汗を拭う。ミリアとシュン、アキも同様だった。楽器さえ放置したまま。
「兄貴、最高だったな。」リョウの頭上から覗き込むように言ったユウヤの目は充血し切っている。ちょうど今しがた目の前に泣き叫んでいた精鋭たちのように。
リョウはにやりと笑んだ。
「じゃあ、行くか。俺らも負けちゃいられねえ。もともとは俺らのCD発売記念だからな。」後ろに控えたギタリスト、ベーシスト、ドラマーにユウヤは一瞥をくれ、ギターのネックを握り締めてステージへと向かっていく。
「ユウヤ。」その後姿にリョウは幾分枯れた声で呼びかけた。「……今日は、ありがとな。」
ユウヤはふふ、という笑い声を漏らし「こっちこそ。」と振り返りもせず言って、そのまま足早にステージへと向かって行った。
「リョウ、……体は? 大丈夫?」ミリアはようよう落ち着いた呼吸と共に、リョウの隣に身を滑らせて言った。
「大丈夫。」
たしかに顔色は悪くはなかった。懸念していた声も最後までしっかと出されていた。その分今は少々掠れているけれど。
ミリアはペットボトルのキャップを開けて水を手渡す。リョウは無言でそれを呷った。
「みんなおかえりなさいって言ってたわねえ。」ミリアは微笑んでリョウの前に小首を傾げた。「まるで、百年も待たされた人みたいだったわねえ。」
「たしかに、最初から誰もが誰も狂ったみてえに大暴れしてたよな。」アキが苦笑する。
リョウも思わず噴き出した。「だな。」
ステージではLunatic Dawnが既に演奏を始めている。
リョウはふと腰のポケットに手を当てた。ミリアはそこに何が入っているのかを知っている。園城の青いピックだ。今朝家を出る際に入れていた――。
だから死ななくてよかったね、とは言えない。ステージに戻って来れてよかったね、とも言えない。その両方を叶えられなかった人の思いをリョウはしっかと胸に抱いているのだから。ミリアは無言裡に目を瞬かせた。
リョウはそれに気づいてミリアに微笑みかけた。
「こいつが行った所とこことは隔絶してる訳じゃねえ。繋がってんだよ。今日は絶対ぇ観てくれてるはずだ。で、きっと喜んでくれたんじゃねえのか。音響も何もねえところでしょっぼい生のギター聴いても、あんだけ喜んでくれたんだからさ……。」
シュンやアキにもそれが何を言わんとしているのかはすぐに知れた。
ゆっくり三人は今し方のライブを胸中に反芻していく。死をも真正面から超越していこうとする絶対的な強靭さ。死を当前の如く見下し、天をも貫けとばかりの気迫でそこへ一抹の躊躇もなく向かっていく頑強さ。三人は我知らず溜め息を吐いた。
その時である。突如楽屋の電気がチカチカと点滅し出した。
「やべ、停電か。落ちんじゃ……。」シュンは立ち上がって心配そうにステージを見遣った。しかしその言葉を遮るようにして、「園城さん遊び来てくれてんだろ。おい、最高だったろ! 俺ら!」とリョウは天井を見上げ、明るく叫んだ。自ずと点滅は止まった。三人は思わず噴き出した。
いつしかLunatic Dawnのステージが終わり、汗だくになった四人が楽屋に戻って来た。
「お疲れ。」シュンの声にユウヤは肩を上下させながら「ういっす。」と手を挙げて応える。「兄貴の次だったからだかんな。……盛り上がり半端ねえよ。何だよあれ。」
「だろ? 俺ら的にも今日みてえのは初めてだよ。復帰前より凄ぇよ。」シュンが誇るように晴れ晴れと言った。
「俺、物販行ってくるわ。」シュンが立ち上がり、「俺も。」とアキもそれに続く。ユウヤもドラマーを引き攣れて、汗を拭い拭い楽屋を出て行く。
それらを見送ると、ミリアはリョウの肩を揺らした。
「あのね、精鋭たちが海外でやるの、楽しみにしてんの。どことかいつとか、リョウも客席行って教えてきて頂戴よう。」
「何お前。もう言っちまったのか。」リョウは目を丸くする。
「うん。そう。」一切悪びれた様子もなくミリアは答える。「だあって、精鋭たちに内緒ごとはよくないもの。だあって精鋭だし。」
「お前なあ。せめて正式に決まってから言えよ。ライブ直前だかんな、決まったの。ブッキング担当から文句言われんの俺だぞ?」
「そしたらミリアが慰めてあげる。」ミリアはにっこりと微笑んだ。
「そりゃどうも!」リョウはケッという妙な声を出してタオルを放った。
「リョウ。」その時、扉が開きシュンが顔を覗かせる。「精鋭たちが海外公演の告知聞きてえとよ、お前の口から。」
「わーかったよ。」リョウは立ち上がりミリアも意気揚々とそれに続いた。
「リョウさん!」
薄暗くなった客席に出るなりリョウはあっという間に囲まれた。
「リョウさん、おかえりなさい!」ミリアとそっくり同じ文句を、赤い長髪の松下が叫んだ。その瞳は濡れていて、そう言えば最前列でずっと号泣していたなとリョウは思い返す。
「ただいま。」照れながらリョウは呟いた。
「もう、完璧復活っすね! 何つうか今までよりももっともっと凄ぇパワーアップして帰って来てくれて、俺は、もう……。」言葉にならない思いを、唸るような叫びで続けるのは黒髪のタカである。
「リョウさん次は海外なんすね、遂に日本を出て行くんですね。日本のメロデスしっかと聴かしてやってくださいよ。いつまでも北欧至上主義じゃねえってことを、突きつけてやってくださいよ!」浩二が拳を振り上げる。
「で、海外って、どこ、行くんすか。」松下はそう言ってごくり、と生唾を呑み込んだ。
「台北。」
「台北?」
「そう、台湾のメタルフェス。」
「行きますから。」タカは不機嫌とも言える顔付きで言下に発する。「Last Rebellionがライブやってんの指咥えて日本で大人しく待ってるなんて、出来やしねえ。」
「俺も。」松下と浩二も各々憮然とした面持ちで肯く。
「ありがとな。お前らの応援のお蔭で俺らはいよいよ海外でやれるようになったんだ。本当に感謝してる。」
「そ、……んな。リョウさんの才能じゃないすか。」松下は頭をぐらぐらさせながら言った。「血沸き立たせる曲バンバン作る、リョウさんの才能っす。」
「そうそう。何で次から次へとあんな曲が書けるんすか。今日の、何すかあれ。俺はもう……。」再びタカが泣きそうになり天井を仰ぐ。
「至上最高、って思ったキラーチューンが、次の新曲ですぐ覆されちまうんすよ、毎回。っつうか、特に、今回。」浩二はそう言ってはっきりとリョウの顔を見据えた。「本当の、マジモンの絶望を味わって、それを音楽に昇華したんだなあと思って。」
リョウは暫く焦点の定まらぬ目を彷徨わせ、「……そう、だな」と頷いた。「俺は……曲作るようになってから、絶望的な苦難にも親しみっつうか、絶対無かったことにはしねえぞっていうか、どうにかして音楽で乗り越えてあってよかったことにするっつうか、そんな風に考えてる節があって。今回病気んなった時は確かに治療も辛ぇし、頭痛ぇ嘔吐しまくり、息できねえ、マジで死んだ方がマシなんじゃねえかって思うことも何度かあったけど、それよりもっと辛かったのは……友人が死んだんだ。」唐突に言った。三人は息を呑んだ。
「メタル好きな奴で、内庭でアンプも通さず弾く俺のギターを心底嬉しそうに聴いてた。俺らのライブに来てえって、ヴァッケンにも行きてえって、ずっと言ってた。でも死んじまった。ずっと余命宣告受けてたのに、……最後までそういう希望を喪わなかった。」
精鋭たちは沈黙した。
既に客席はまばらとなり、ライブハウスの店員たちがステージに上がって片付けをし始めている。
「その友人が、死ぬって言われても最後まで抱き続けた希望に対するアンサーソングを創りてえと思って。それが今回の新曲。」
やたら多弁になっているリョウに傍のミリアもシュンも、アキも少なからず驚き目配せをした。今までリョウは自分の曲に秘めのテーマだメッセージやらをメンバーに対しても言葉にしたことはなかったから。だから無論精鋭たちもどうしていいかわからずに、ひたすら身を固く拝聴していた。
「海外行くことに決めたのも、まあ、これまでも漠然と考えていたことではあったし、漸くミリアが高校卒業するタイミングっつうのもあるけど、それよりでけえのは、……俺と同じ病気で死んじまったあの人の夢を俺が追いてえんだよ。最終的にはヴァッケンに行って、世界最高峰のメタルバンドと共演して、人種も言葉も違ぇ人たちと最強のキラーチューンぶっ飛ばして……そしたら、……喜んでくれんだろ。あいつも、もちろんお前らも、それから俺らにかかわってくれた人、全員。」
「一緒に行こうね。」ミリアがリョウを見上げ、にっこりと微笑んだ。「リョウと一緒にリフ弾いて、大暴れするお客さんが大勢目の前にいて。そしてお空からは園城さんがニコニコして観てるのね。考えるだけで、すっごい楽しみ。」
リョウは優しく微笑むとミリアを見下ろした。ぱっと客席にライトが点いた。そろそろ閉店にしたいということらしい。
「早い所HPで台北公園のアナウンス出すから。……そん時はよろしくな。今日はありがとう。」シュンが言い、リョウとミリアが三人と固く握手を交わした。
「ありがとう。」口々にリョウもミリアも、アキも、それから精鋭たちも言い合い、名残惜しく三人は出口へと向かっていった。
ミリアはリョウの手を強く握りしめた。自分もまた同じ夢を追うのだという表明を伝えたくて。その隣でシュンとアキが微笑みながら目を合わせていたのも同様であるのに相違ない。ミリアはますますの力を以て、リョウの、今度は腕を力いっぱいに抱き締めた。