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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
51/161

51

 暗闇がステージを支配している。

 幕の向こうからは客のざわめきと、時折耐え兼ねた如き、リョウ! という怒号が聞こえて来る。

 ミリアは不安気な眼差しでリョウを見上げた。

 無論緊張、というのではない。ステージの場数は年齢に不相応な程踏んでいる。ただ、リハでは十分な声とギターの技量を見せ付けたとはいえ、今から始まる約一時間半に及ぶ客との対立、いわば闘争にリョウの一時はほぼ壊滅状態にまで失われた体力が持つのか、それだけが不安であった。目の前のリョウは坊主頭で痩躯、つい先日まで病に瀕していたという事実が誰人にも理解できる容貌なのである。

 リョウは無言裡ににやりと笑んで、あたかも見てろ、とでもいうようにそれに応えた。

 ミリアは渋々小さく肯いて、そのまま下唇を噛んだ。そしてえい、と破れかぶれの気持ちでエフェクターを片っ端から踏みつけ、ピックで六弦に軽く触れた。

 幕の向こうから絶叫がした。

 「リョウの音じゃあないのに。」ミリアは小さくリョウに抗議の声を上げた。

 「お前の音も俺の音も一緒だろうが。」

 ミリアはぱっと笑顔になった。リョウと一緒、それだけでミリアは天にも昇る気持ちである。リョウと同じ音を出すために、リョウと同じ経験、すなわち父親から長らく虐待を受けてきたのだという理屈をミリアは信じ切っていた。それによって絶望の、隠蔽する以外に生きる術のない記憶を、音楽へと昇華することができるようになったのである。それを教えたのは他ならぬリョウであった。

 次いで後方からアキがバスドラを踏み、ひとしきり歓声を上げさせると、土砂崩れの如きドラミングを披露した。怒声か歓声かわからぬ声が次々に上がっていく。最早幕を越して熱気を感じる程である。

 「奴等、待ちくたびれたって感じだな。」

 リョウは三人を振り返った。それがあたかも見えているが如く、

 リョウ! リョウ! リョウ!

 個別の怒声はやがて一つの塊となり、リョウの身を突き刺していく。

 三人は息を潜めて、リョウが世界を創り出そうとするその一瞬を待った。

 「行くぞ。」リョウがどこを見ているのだかわからない、既にこことは違う世界を一足早く覗き込んだ目で天を仰いだ。アキがそれを見、スティックを掲げ、そして満身の力もて下ろした。一秒と違わず幕が下りる。

 客は一気にステージへと押し寄せた。それと共に熱気も一つの塊となって四人を襲う。

 ミリアはそれに流されまいと、圧されまいと必死にリフを弾いた。リョウのそれと何一つ変わることなく、全て同時に同質に繰り返されていく。大丈夫だ、とミリアはものの一小節で安堵した。

 リョウは、大丈夫だ。何のブランクも感じさせない。そればかりか――とてつもない強さではないか。

 ミリアは本当にリョウが病に侵され死ぬような目を見たのかということさえ訝り、リョウを見た。

 坊主頭に細い腕、細い腰。ミリアは肯く。やはり、あれは事実であったと、視覚では、どうにか、理解する。

 しかしこの音、この全ての頂点に君臨する音、声。これがつい先日まで死と闘っていた人間のものであろうか。ミリアは到底信じられない。無論シュンも、アキも、観客もそうである。誰もが訝った。これが永の闘病生活を送っていた人間のものであろうかと。

 リョウはライブが決まってから、幾度となくミリアに語っていた。

 「病の経験が、デスメタラーとして生きていくのに必須だったと確信する時が来る。」

 リョウの言葉を信じなかったわけではない。しかしミリアはリョウの予知がこんなにもすぐに現実化するとは思いもしなかった。だってこれは、復活後最初のライブなのである。

 ミリアは困惑と歓喜とに揺れながら、ちらを客席を見た。

 見知った精鋭たちが号泣している。涙で顔を濡らしている。大の男が揃いも揃ってこんな表情を見せることに、ミリアは胸を突かれるような驚きと、それと同時にやはりリョウには間違いがないのだという確信と歓喜、誇りを覚えた。

 リフと同時に響き渡るリョウの絶叫が、その心を更に掻き立てていく。ミリアは耐え難くなり、前へと踏み出した。

 ソロが到来する。

 リョウはちら、とミリアを見た。ミリアはにっと口の端だけで笑んで、モニターアンプに脚を置き、ほとんど客の中に突っ込むようにしてソロを弾き始めた。リョウを守る、リョウを立てる柱となる、それだけの眼目でミリアは弾いた。腰を落とし頭を振り乱し、本能だけの獣となって弾いた。客の歓声が曲を割って突き上げて来る。ミリアはリョウの共振となれたことににっと笑って身を翻しソロを終えた。最後の音に重なるようにリョウのソロが始まる。世界の創造者の、ソロ。有無を言わせぬ、是非さえ問わせぬ、絶対的なソロが。

 だからそれは世界を物語る。

 支配からの革命を。無から生み出す無限の力を。何物にも屈しない反抗を。

 ミリアははっきりと胸中に思い浮かべる。かつて亡き父から与えられた地獄の日々を。全身にその時の痛みが蘇る。それは幻ではなく、現実であった。再現であった。

 反抗の術も、革命という言葉も、何も知らなかった。何も考えず、現実の支配下で余生を数えることしか知らなかった。そこでリョウが教えてくれたのだ。自己の意志で生きるということを。それは真の意味での誕生であった。第二の真の生であった。

 ミリアの瞳に輝きが宿る。ミリアははっと面を上げた。そこには既にソロを終え、世界を終わらせんとする戦い切ったリョウの姿があった。必死にそこに追随する。――ここを離れては自分の生はない。

 一曲目が終わり、息注ぐ間もなく次なる世界へと突入する。今度は、新曲である。なぜこのタイミングなのか、客の聞き慣れぬ曲は終盤に持ってくるべきではないかと、リハの際にアキもシュンも異を唱えた。ただしリョウはここでしかあり得ないのだと静かに二人を制した。

 ――これは死を超える曲なんだ。死は最後じゃねえ。そこで全てが終幕になるんじゃねえ。少なくとも俺の解釈では、そうだ。その次にもっともっと濃厚な生が展開されてくる。より一層強靭な生が。だからここでしか俺はこの曲をやることはできねえ。――

 リョウにとってライブは一つの世界の構築であった。それを知っていたからこそアキもシュンもこの曲順に首肯した。そしてそれは、――やはり必然であった。創造主に誤りはなかった。

 新曲に躊躇することなく客は一層興奮した歓声を上げた。リョウ! という絶叫が曲を切り裂いて到達する。聞き慣れぬ、聞き慣れた、そんなことは一切お構いなしに、誰もがリョウの創り出す世界に酔いしれていた。その世界を何よりも愛した。

 そしてそこに呈示されるのは、――死。万人が逃ることのできぬ、到達点。それ故それ自体は憎悪すべきものでも排除すべきものでもないが、それに到達することを百も承知した上で強固に一音一音突き進んでいくリフは、逆説的ではあるもののやはり壮観であった。迷いなき、音の構築、羅列。

 死を見据えても一切ぶれることなく、躊躇することなく、勢いを減ずることなく、突き進む。そこに無上の強さがある。正視できぬものを正視し、恐れるものを恐れず、ゴールだとされるものの先に更なる道程を見据える、突き進み乗り越えんとする強さに、誰もが瞠目した。

 かつてのリョウの曲は形象あるものへの敵愾心であり、反抗であり、闘争であった。その形象を喪失させ絶対的な強さを与えても何ら変わらぬばかりか、一層の力を増幅させることに、一種の恐怖にも似た脅威を覚えたのである。リョウの新たなる境涯に、客たちはほとんど発狂した。

 曲は新旧交え次々と進んで行く。いずれも強固さを訴え、それを自明の如く表現し切っていく。アキ、シュン、ミリアも必死にその世界を構築すべく尽力した。

 そしてやがて、世界は、収束した。

 リョウ! リョウ! リョウ!

 絶叫は悲嘆ではなく感謝、愛惜、服従にも似た尊崇。

 リョウはそれらを満身に浴びながらステージを降りた。痩せた頬と落ち窪んだ瞳に、病後初めてとなる創造主としての達成感と満足感が表れているのをミリアは見逃さなかった。

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