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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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5

 翌朝、ミリアはいつもより一時間も早くに目を覚まし、リョウの寝床へとやってきた。

 「起きた? お粥持って来る?」

 「大丈夫だよ。今日は調子いいから。」無論そんなわけはないのだが、おそらく病院で深刻な事態を伝えられるであろうことに鑑みるに、そうでも言わないとリョウは押し潰されてしまいそうであった。

 努めて明るく立ち上がると、「ああ、いい天気だなあ。」と伸びをしながら窓の外を眺める。秋らしい澄んだ青空が広がっていた。

 リビングへと行くと、ミリアは何時起きで作っていたのかと思われるような朝食を次々にテーブルに出していった。鶏肉の入った粥、マーマレードジャムの入ったヨーグルト、輪切りにしたオレンジにキウイフルーツ、それからコーンポタージュにコーンとハムのたんまり入ったレタスのサラダ。呆気に取られていると、「栄養が一番なの。」とミリアは晴れ晴れと言った。

 その栄養とやらはがんにでも効くのだろうかと訝りつつ、リョウは「凄ぇな。」と呟いた。

 「食べて。」

 「ああ。」

 リョウは次々に皿を空にしていく。普段であれば朝から食べられる量ではなかったが、これを平らげられれば健康であることの証につながるような気がして、リョウはミリアの嬉し気な笑みに見守られながら全て食べ終えた。

 その後リョウはツアーに出る際に使うバックパックにタオルを詰め、下着を詰め、それから歯ブラシだのコップだのスリッパだの、それから少々のメタル雑誌を詰め込んだ。ミリアはそれを悲しく見詰めた。今宵、もう、リョウは帰ってこないのだ。だのにリョウは平然と荷物を作って、出て行こうとしている。ミリアは痛烈な胸の痛みを覚えた。否、違う。リョウだって辛いのだ。苦しいのだ。こうして平然と荷造りをしているように見えるのも、自分を慮ってのことなのだ。ミリアは喉の奥がごつごつと痛み始めるのを堪え、リョウがソロツアーにでも出立するようなそんな錯覚にわざと浸った。

 「これ、通帳とカードな。ATMに行ってカードを入れて、暗証番号を押すんだ。そうすると金が出てくる。暗証番号は……、0723。この数字の意味、わかるか?」と尋ねた。

 「0723? なあに?」

 「お前が初めて俺んちに来た日。俺たちが最初に会った、日。」

 ミリアの双眸がじんわりと濡れだした。「……リョウ、すぐ帰ってきてね。ミリア、毎日リョウの所お見舞い、行くから。リョウがいないなんて、絶対嫌だから……。我慢できないから。だから、お願い。」

 「わかってるよ。」リョウはそう言ってミリアの頭をくしゃくしゃと撫でた。「じゃあ、行くか。」


 眩い陽光の中を、リョウとミリアはほとんど無言で駅に向かって歩いた。暫くこの世界には出られないのかと、暗澹たる気持ちを抱きながら、しかしそれをミリアには悟られぬようリョウは努めて他愛のない話をした。

 「MESHUGGAHってさあ、新譜出しといて何で来日しねえんだと思う? 日本で結構人気あんじゃんな?」

 「人気あるのはリョウとシュンとアキと、そのぐらいだもん。クラスの誰も知らないもん。」ミリアはこんな話題は適切ではないのだと言いかねない不機嫌さで答える。

 「そうか。……なんでメロデスは高校生に人気ねえんだろうなあ? 史上最強にクールなジャンルじゃんなあ?」

 「高校生だけじゃないもん。先生だって用務員さんだって誰だって知らないんだもん。ミリアがギターとかバンドのお話すると、ああ、ヘビメタねって、言うんだもん。」

 「酷ぇなあ。蔑称じゃねえか。ぶっ飛ばしてやれ。」

 「みんな言うから、いちいちぶっ飛ばしてらんないもん。」

 「ああ、MESHUGGAH観てえなあ。超絶観てえ。俺のために来日してくんねえかな。」

 「してくれる。」ミリアは力強く答えた。「だから、……早く治して。ミリア、MESHUGGAHのチケット出たら一番に取っとくから。」

 「マジか。」リョウは本心での笑みを浮かべ、「頼むな。」とミリアの手を固く握りしめた。


 総合病院の玄関を入り、咽頭科に辿り着くと大勢の患者が待合室にいるというのに即座に診察室へと入れられた。最初に三時間も待たされたのは何だったのだと訝るものの、それだけ放っておかれぬ病状なのかと思うと少しばかりの緊張が走った。

 「黒崎亮司さん、お待たせいたしました。」

 一秒だって待ってはいませんよ、待合室のソファに座る間もなく呼ばれました、そう笑って言おうとして忙し気に診察室に入って来た女医を真正面から見据えた瞬間、言葉を呑み込まざるを得なかった。女医の深刻そうな表情に、冗談なんぞ言い出せる雰囲気は滅した。隣ではしっかと腕を絡めながらミリアが息一つもせぬようにして、医師を睨んでいる。

 「先日の検査結果ですが。」

ミリアの鼓動が二の腕にしんしんと伝わって来る。

 「結果は咽頭がんです。」一瞬、ミリアの腕が弛んだ。

 「転移はこれから確認していきますが、現在確認できる腫瘍の大きさから言って、初期の段階とは言えません。」ミリアの腕が遂に、離れた。「おそらくはステージⅢからⅣ。」

 「それって、……死ぬんですか。」さすがにリョウの声は幾分震えを帯びていた。

 「今後の検査にもよりますが。……もし、治療を施さなければ、残された時間は一年半でしょう。」

 「治療は、します。」リョウの声は掠れていた。

 「だとすれば、五年後の生存確率は70%です。もちろんこれからの治療の進展によって変わってはきますが。」

 リョウは深い息を吐いた。それが高い数字なのか低い数字なのか、見当もつかない。ただ、今まで考えたこともない死という闇が不気味に自分に肉薄してくるのを感じた。リョウは俯いたまま首を左右に振った。

 重苦しい沈黙を裂くように、「嘘。」そう呟いたのはミリアである。「嘘つき。」

 医師は聞かぬふりをして、「早速入院手続きの方ですが。今日は一般病棟に入って頂き、転移を確認してから無菌室での抗がん剤治療に入りましょう。」

 「宜しくお願いします。」

 「嘘。」再び呟く。

 「嘘じゃねえよ。」遂にリョウがミリアに向き合って言った。ミリアの顔は青ざめ、唇は細かに震えていた。リョウは息を呑んだ。

 「お願いだから、何でもするから。」ミリアはリョウを見、医師を見、双眸から大きな涙を溢しながら訴える。「だから、嘘って言って。」

 医師は暫くミリアを見詰めていたが、「嘘、ではないんです。」

 ミリアはその言葉を掻き消すように激しく首を横に振る。「リョウは、リョウは、風邪だって引いたこと、ないの。ミリアが風邪引いた時は必ずお粥作ってくれて、そんで、自分はちっとも何てことないの。それにライブでは一番強いし、かっこいいし、王様みたいだし。何かの間違い!」

 リョウは深々と溜め息を吐いた。「すんません。ちょっと、こいつ外に出してきます。」

 リョウに捕まれた腕を引き剥がして、ミリアは怒鳴った。

 「ねえ、嘘でしょう? お粥毎日、違うの作ってあげるから。朝ごはんも栄養たっぷりにしてあげるから。だから、だから……。」

 リョウが有無を言わさずミリアの腕を取って立ち上がろうとした瞬間、女医が「ありがとうね。お料理得意なの?」と優しく問いかけた。

 ミリアはこっくりと頷く。「調理部、なの。」

 「そう。病院食もあるけれど、お兄さんのために美味しいもの作って来てもらえると、たくさん栄養がついて、良くなるのも早くなるわ。無菌室に入ってしまったらそれも難しくなるのだけれど、一般病棟に入っている時なら、食べなれた食事を摂って栄養を付けておくと、がんと闘えるエネルギーが貯められるの。」

 ミリアは信じられないとでも言うように顔を上げた。「……本当に?」

 「ええ。家族の支えが一番治療には大切なの。好きな食べものを持ってきてくれるだけでも、顔を見せてあげるだけでも、回復が全然違うの。」

 ミリアは唇を引き結びながら頷いた。

 「だから、お兄さんの治療に、一緒に協力してくれる?」

 ミリアはこっくりと肯いた。

 リョウは安堵の溜め息を吐いた。

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