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「おっせーよ。」リョウはミリアが扉を開けるなりステージの中央からそう怒鳴りつけた。ミリアは慌ててステージに走り出し、よいしょ、と乗り上がる。
「ごめんなさい。看板見てきたの。シュン、何であんなへんてこりんな看板立てたのよう。」ミリアはアンプの前に置かれたギターを抱え、エフェクターボードを片っ端から踏みながら、ステージの右端で同じく準備をしていたシュンに語り掛けた。
「なんだよ、へんてこりんな看板って。」リョウがマイクをセットしながらミリアをちら、と見遣る。
「だってシュンがへんてこりんな看板書いたのよう。リョウの髪の毛ないから帰ってもいいですよ、なぁんて。」
「なんだそりゃあ!」リョウは即座に怒声を上げる。今日もデスボイスは好調である。
「お前一番に楽屋乗り込んで何やってるかと思いきや、んなことやってたのか。」アキも驚嘆する。
「そりゃあ、ライブハウスから消えて十か月も経ったらフロントマンがこんな激変してんだぞ。他のバンドだって思われちまうかもしれねえだろ、前もって言っておかねえと。」
「どうすんのよう、ホントに帰っちゃったら!」ミリアもエフェクターを踏み終え、今度は床を地団太踏みながら抗議する。
「帰らねえよ。凄ぇ新曲やっかんなってのも書いておいたし。」
「そんな俺、変わったかなあ。」
リョウはその場にしゃがみ込んでシュンのベースに自分の顔を映し出させ、右を向きそして左を向いた。「まあ、ちっと痩せたは痩せたか。」
「それ以前に髪だ、髪。髪はメタラーの命。」
「女だわよう。」
「ともかく。」シュンはリョウの目の前に一緒になって座り込むと、「見たくれは、正直随分ひょろっこくなって頭は五分刈り、ちっと老けたパンク少年みてえだが、大丈夫だ。」と真顔で呟いた。
老けたパンク少年? と、リョウは顔を顰める。
「リハん時までは心配してたが、お前の声は、入院前より悲痛と絶望に満ち、それでいで強靭で何者にも負けぬ気概が感じられるようになった。やっぱデスメタラーは一度は死に瀕しねえとダメなのかもしれねえ。お前はその特権を我が物にしてレベルアップしたんだよ。確実に。」
「そんなもんかな。」
「それにそれに!」ミリアまでも唾を吐き出しながら勢い込んで訴える。「新曲凄いのよう! 今までよりももっとずっとシリアスでおっかなくって、でもぶわーって強く乗り越えてくるんだもの、あれ聴いたらね、精鋭だって涙流すわ。あ、そうだ。」ミリアはアンプの前に置いた紙袋からはちみつの瓶を取り出してみせる。「これさっき、まっちゃんたちから貰ったの。リョウの喉にいいかと思って差し入れ持ってきてくれたんですって。後で舐めて、もっともっと凄いデスボイス出してね。」
リョウは瓶を受け取るとまじまじとその金色の輝きを見つめた。「あいつらわざわざこんなの持ってきてくれたんか……。」
「ビールは体に悪いから、はちみつにしたんだって。」
「よかったな、リョウ。」シュンは晴れ晴れとした笑顔でそう言い放つと、「さっさとリハ始めようぜ。」とリョウの背を叩いた。
「そうだな。」
まずアキのドラムの音量チェックから始まり、続いてシュンのベース、ミリアのギター、最後にリョウのギターとボーカルと、それぞれの音ごとにPAからOKを貰うと、曲を途中で切りながら少しずつ合わせていった。
ミリアは一曲目のイントロを奏でながら、どうしようもなく目頭の熱くなるのを押さえられずにいた。リョウが目の前にいる。幾分線が細くなったものの、死線から戻って来た雄姿がそこにはあった。マイクスタンドに覆いかぶさるように少々猫背になりながら、正確無比なリフを刻み、凄まじいデスボイスをがなり立てている。それだけでミリアは視界が歪んでくる。必死に瞬きを繰り返しながらミリア自身も、己の苦悩を、絶望を、巧みに音に変えていく。
「もうちょっとドラム上げて。俺の高音は気持ち下げていい。じゃあ、次。」リョウの指示で次々に曲を追っていく。
ミリアは次第に現実から切り離され、リョウが創り上げた世界へと没入していく。リョウが観ていた風景を観、リョウが感じていた五感を感じる。久方ぶりの、それももう二度と得られぬかもしれぬとさえ思った、呼吸をも忘れる程の満足感にミリアは浸った。
気付くとリハは終わっていた。
「お疲れ、兄貴!」そう叫んで感極まってステージに上がって来たのはユウヤである。
「ユウヤ!」ミリアは飛び上がった。
「ああ、俺はこの風景を凄ぇ楽しみにしてたんだよ! 兄貴がいて、ミリアが笑ってて、シュンさんアキさんが余裕でパワーアップしてて!」ユウヤはそう言ってリョウに抱き付いた。「もう持ち時間どんだけオーバーしても構わねえからな! 俺が許す!」客席の後ろでライブハウスの店主が苦笑を浮かべている。
「あはは。」リョウはさも可笑し気に大口開けて笑った。
「なあ、ミリア! 良かったなあ!」
ユウヤの呼びかけにミリアは大きく肯き、その瞬間堪えていた涙が思わず零れ落ちた。
楽屋に戻るとステージではLunatic Dawnのリハが始まっていく。その音を遠くに聞きながら、リョウはミリアに請われはちみつを一口、二口と舐め、それからソファに座りポケットからピックを取り出し暫く見詰めていた。三人はそれが園城の遺したピックであることを知っていた。そしてリョウが今何を感じているのかも、何とはなしにわかる気がするのである。なぜならそれは三人もある程度共有しているものであったから。すなわち、死者の叶えられなかった思いをここに現実化するのだと。それは園城と縁を有した者の義務であると。
ミリアはそっとリョウの右隣にぴたりと体をくっつけるようにして座り込み、一緒にその透明感のあるブルーのピックを眺めた。
「……綺麗ねえ。お空の色みたいねえ。」
リョウはそれには答えず、そっとピックをポケットにしまい込む。
「今度は海外に連れてってやるから。」
それはミリアに対してなのか、ピックに対してなのか、それとも精鋭たちに対して発せられたのかはわからなかったがミリアは至極満足していた。
「そういやお前、海外からオファーまた来たんだろう? どこから?」アキが問うた。
「ああ、台湾のメタルフェス。」
「マジで!」シュンがパイプ椅子から飛び降りた。
「ああ。」リョウは微笑んだ。「来年の三月中旬。ちょうどミリアが卒業式終わって大学入る前辺りかな。」
「もちろんOK出したんだろ?」シュンが頬を紅潮させながら言った。
「色々条件聞いてる所なんだけどよお、遠征費は結局半分出しって感じだ。まあ、名前が売れてる訳じゃねえしそこはしょうがねえよなあ。……で、地元のバンド以外にもヨーロッパやらアメリカからもメタルバンド呼んでるらしくって、去年は千人の集客があったっつう話だ。まあまあでけえフェスだよな。年々客は増えてるみてえだし、今年はそれ以上チケットはけるかもっつってるんだが、まあ、そこは見込みだからな、わからねえよな。で、持ち時間は丸々一時間あるって言うんだけど、どうかな。」
「いい!」と真っ先に叫んだのはシュンだった。「行こうぜ! 早くOKしとけ。今すぐ。さあ!」リョウの携帯電話を指差した。
「……海外行くのがお前の夢だったんだろう? じゃあ手始めに近場でいいんじゃねえか? 最終的にはヴァッケンだけど。あくまで手始めに。」アキも口の端を上げて言った。
「……台湾?」ミリアは頭の中で必死に世界地図を思い描き、「あ、タピオカジュース。」ぱっと笑顔で言った。
リョウは黙って携帯電話を取り出し、何やらメールを打ち始める。三人は笑顔で肯き合った。そろそろステージではLunatic Dawnのリハが終わり、再び静寂が訪れていた。