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「おい、何か新境地なんだけど。どうした。」
その晩リョウとミリアが夕飯の食卓を囲んでいると、早速シュンから電話がかかって来た。
ミリアは久しぶりにリョウが作ってくれた夕食のアジの開きを、満足そうに大口開けながら食べている。リョウが作ってくれたと思えば、とても夕方のスーパーで半額になっていたとは窺い知れない美味しさで、舌も心も幸せでいっぱいであった。
「そりゃあ、毎回おんなじような曲ばっか作ってたら飽きられんだろが。つうか挑戦の気概がねえやつは……。」
「ステージに上がる資格がねえんだよな。」シュンに即刻後を継がれリョウは、「ま、そういうこった。」と不承不承肯く。
「いやあ、にしても今回は精鋭たちもびびるな。なんつうか劇的なんだよ。こういう流れになるか、って意想外の所に連れてかれる、みてえな。」
「劇的か。」リョウはそういう感じ方もあるものかと、苦笑する。やはりミリアの方が理解力は上だと。その本人は今度はほうれん草のおひたしをやはり大口開けて食べているが。
「らしくねえ、と言いたいところだが、らしいところもあるんだよなあ。なんか半分新境地、半分お前って感じだな。」
「そりゃそうだ。俺が作ったんだから。今までもDEATHなんちゃら、DEADなんちゃらって散々歌ってきたが、今回はマジ本物を見てきたから信憑性が違うんだよ。そこ、心して弾け。」
「まあ、きっちり弾けるように持ってくわ。来週末だから、スタジオ。」
「ああ。」そう頷きながら、昼に来ていたメールに詳しい日時があったのを思い出す。
「ミリアはちゃんとギターの勘、取り戻したか。」
「まあ、毎日飯寝る以外は大体ギター弾いてるよ。サポート探しはしなくても大丈夫そうだ。」と言ってリョウはミリアを見下ろし微笑む。
ミリアは自分のことが話題になっていることに気付いて、リョウの携帯を奪い取り、もぐもぐ言わせながら「リョウがおうちにいれば、ちゃんと練習できて、ギター上手なのよ。」と言った。アジの骨を人差し指でつう、と口の中から取り出す。「今まではねえ、リョウがいなかったからギターが弾く気になれなかっただけなの。だってギターはリョウが教えてくれたんだもの。リョウの隣にいたいから、ミリアはギターを弾いてるんだもの。」
「そうだったんか。」電話の向こうでくつくつ笑う声が聞こえる。
「そうよ。」鼻息も荒く答える。
再びリョウが電話を取ると、「お前も他人事じゃねえからな。下手糞んなってたらサポートに代えっかんな。」と笑いながら告げた。
「おお、こわ! でもな、聞いて驚け。俺はこの八か月間ほぼ間仕事と家の往復のみで、修行僧の如く毎日徹底的にベース弾いてたから大丈夫だ。今更教本なんぞ買い漁ってな、それこそ基礎からみっちり叩き直すべく弾きまくった。お前が復帰するってことは、百パーセント信じてたからな。しかも単なるお久しぶりですね系の復活じゃなくて、一層パワーアップしてバンド復活の烽火を上げねえとお前が絶対満足しねえことまでな。」
リョウは息を呑んだ。
「あのアキ様もなあ、自分からは言わねえだろうが、毎日そりゃあ修羅の如くおぶっ叩きになられてたぞ。そのお陰でチンチン、チンチン、金物系の手数が激増したから覚悟しとけ。何せ週一で俺らリズム隊だけでスタジオ入ってたんだからな。お前、大みそかと正月、俺が誰と過ごしたと思ってる? アキとスタジオだぞ! そんでLast Rebellionの完コピ大会だ! なめんな!」
「……そうか。そうだったのか。」リョウは鼻の奥がじん、と痛みだすのを覚え、茫然と窓の外へと視線をやった。
「精鋭たちもなあ、今の内にライブ最前列で暴れるためにスポーツジム行って体力付けますとかなあ、残業しまくってツアー全通する金貯めますとかなあ、全員が全員例外なしにお前の復活を信じて疑わず待ってたんだぞ。何ならまだ取ってあっからメール見てみろ。」
リョウは奥歯をぎり、と噛み締めた。
「だからやるぞ。来月末が俺らの本当の再出発だ。お前以上に俺らも気合入れてっから。」
「わかった。」リョウはそう微笑んで言った。ミリアも聞こえているのだか聞こえていないのだか、至極満足そうにけんちん汁の里芋を口いっぱいに頬張っている。
「しかも、園城さんが来たがったライブだからな。あの人は決して生半可なものを観たがってた訳じゃねえはずだ。」
リョウの脳裏には病院の内庭で、自分のギターを心底嬉し気に聴く園城の姿がはっきりと蘇った。自分と同じ病気であったのにかかわらず、自分はこうして病院を出、そしてあの人は遠くへ旅立ってしまった。無論そこには安堵感やら優越感は無い。ただひたすらに何か自分のなすべきことがあったのだという生に対する責任感だけが渦巻いて起こった。そしてそれは自分にとっては音楽しか、ないのである。
リョウは新曲を思い起こした。あれは従来の自分を超え得るものだという自負はあるものの、これ一曲だけで済ませる気は毛頭ない。自分はこれからも自分を乗り越える曲を創り上げていくのだ。それ以外に自分の生きる道はないのだと固く決意をした。
「任せとけ。」リョウはそう言いながらパソコンデスクの上に置いた財布の中からブルーのピックを取り出し、じっと眺めた。そのウルテム素材のクリアなピックは、園城が旅立って行ったであろう高い空を思い起こさせた。