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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 ある日の日中、熱とだるさにも慣れつつあったリョウが、アマチュアギタリスト相手にギターレッスンに励んでいると、突然尻ポケットに入れておいた携帯電話が鳴動するのを感じて立ち上がった。画面には「S総合病院」の名が映し出されている。

 「ごめん。ちょっと、いい?」

 長髪のギタリストは「もちろんっす。今のフレーズ練習しておくんで。」と弾き始めた。リョウはスタジオの分厚い扉を開け、電話に出る。

 「S総合病院の野上ですが。」そういう名であったな、とリョウは診察室に掲げられた医師の字面を思い起こす。「検査結果が出ましたので、明日病院に来ていただきたいのですが。」

 緊張感を孕んで凛とした声は言葉以外のものも如実に語る。リョウは自分の腫瘍が悪性であることを、直感的に知った。

 「できましたらご家族の方、……妹さんも一緒に。」

 「その、……あのさ、その、つまりさ、……腫瘍が悪性、だったんでしょ?」

 医師は黙した。

 「がん、……だったの?」

 「はい、そうです。」きっぱりとした声が電話から響いた。「すぐに入院し、治療をしていきたいと考えています。命を長らえるために。」

 「わかったわかった。じゃ、明日入院の準備して行きますから。その、……よろしくお願いします。」

 リョウはそうは言ったものの流石に暫くは動けなかった。茫然と受付カウンターと待合室に体を向けたまま、そこのテレビにMETALLICAの『ENTER SANDMAN』のMVが流れているのをぼんやりと眺めた。衝撃的だったブラックアルバムの一曲目。自分は十代の頃これに魅せられて、必死になってコピーをした。挙句の果てにはJamesモデルのギターまで買って。あれを買うためだけに、連日引っ越し屋のバイトに励んだ。あの時は自分が大病を患うなど考えたこともなかった。

 「リョウさん。」『ENTER SANDMAN』が終わる頃、そう後ろから声を掛けられて、リョウは慌てて振り向いた。

 「さっきのフレーズ、一応形にはなってきたんすけど……。」

 そうだった。リョウは慌ててスタジオの扉に手を掛けた。

 「何か、悪い話だったんすか?」ギタリストは、そう言って青白いリョウの顔を見上げた。

 リョウは無言でスタジオに入り、扉を閉める。

 「俺さ、がんだったんだ。」言葉にするとそれは改めて現実としてリョウの身を襲った。

 はっと息を呑む音が聞こえた。

 「え、え。どういう、ことっす、か。がんって、病気の、がん?」途切れ途切れに口走る。

 「喉ん所にがんがある。明日から入院だ。暫くはレッスンもできねえ。悪い。」

 男は暫く口が利けなくなった。ただ、頭だけを左右に振った。

 「でも、……でも。すぐ治ります。絶対治ります。リョウさんが病気なんかに、負ける訳ねえ。」それはほとんど懇願の響きを秘めていた。「俺らの憧れなんだから。誰よりも最強のデスメタルバンドのフロントマンなんだから……。」

 リョウはふっと口許を弛める。「だよな。俺が死んだらミリアはどうなるっつうんだよ。」と言って、リョウは少なからず慌てた。デスメタルバンドのフロントマンとしてならば、自分をそういう存在として位置づけているならば、真っ先にメンバーやファン、こうしてレッスンを受けに来るギタリストたちの顔が思い浮かんで然るべきである。しかし今、ミリアの顔が真っ先に浮かんで来たということは、兄としての立ち位置が自分の中では最も大きいということになるのか。リョウはその事実に思い当たって改めて驚いた。

 「やめてください。」ギタリストは震える声で呟いた。あまりの衝撃に、真っ先にミリアの名が挙げられたことに気付かなかったのであろう。「俺らみんなみんなリョウさんのこと尊敬してるんです。必要なんです。リョウさんは、自分がどんだけの人の生き甲斐になってると思ってるんすか。Last Rebellionのライブ行くために、みんな日頃から一生懸命勉強したり仕事したり、リョウさんの凄ぇデス声とギターテク目の当たりにしたくて、みんな普段必死になって生きてんすよ。そんな人の思いを無下にしないでください。リョウさん、治療頑張ってください。勝って、そんで地獄から戻って来たマジモンの最強のデスメタラーとして俺らの前にまた君臨してください。俺ができることは何もねえけど、毎日CD聴きながらリョウさんに教えてもらったこと、何度も何度も反芻してレッスンの再開心待ちにしてますから。」男の眼は無理な輝きを帯びていた。

 リョウはそこから視線を反らすと、「そんなに言って貰えて、ありがてえよな。どマイナーなデスメタルしか作れねえ、歌えねえ、弾けねえ人間によ。」

 男は笑った。「だからこそ俺らのリョウさんなんじゃあないすか。他の誰のものでもなくって。」


 レッスンから帰ると既に陽は落ちていた。ミリアは既に帰宅しているのであろうと思うと、気が重かった。何をどう切り出したらいいものやら、がんだと聞いて反応するであろうミリアの動顛ぶりは幾らでも思い浮かんだ。

 「ただいま。」とドアを開ける。中からはコンソメのいい匂いが漂っていた。「おかえりなさあい。」と中からいつも通りの嬉し気な声が響く。

 アーミーブーツを脱いでリビングに入ると、手は離せないのか、台所の中から「今日はね、金柑茶なの。喉にいいの。」と鍋を覗き込みながら明るい声が響く。

 リョウは自然に「あ、俺、がんだったわ。」と言った。ミリアの笑みが固まった。ぽこぽこ、とコンソメスープの煮立つ音だけがする。

 リョウは苦笑を浮かべながら、「明日から入院だって。お前のこと一人にさせちまって悪いけど、飯、ちゃんと食えよ。それから俺が言わなくてもちゃんと勉強もしろよ。生活費は……、ちっと入院どれぐらいかかんのかまだわかんねえから、カードと通帳置いとくから。」

 ミリアはわあ、と声を上げて泣き出した。リョウは慌てて台所に行き、火を消しミリアを抱き締める。

 「泣くな。泣いたってしょうがねえだろ。」

 ミリアはしっかとリョウの背を引っ掴んで、胸に顔を押し付けた。声は次第に悲壮感を帯びて来る。リョウはミリアの頭を撫でながら、「大丈夫だから。大丈夫だから。」と何が大丈夫なのかはわからなかったが、そう低く呟いた。やがて、ミリアの泣き声が静かになり、そして、止んだ。

 「お医者さん、言ったの? がんって?」濡れた睫を人差し指で拭ってやる。「今日電話掛かって来たんだ。なんか声の感じからして深刻だしよお、家族連れて来いとか言いやがるから、こりゃまずい結果だったんだなって思って、がんですか、って聞いたらそうだとよ。」

 「間違い電話じゃない? いたずら電話でもない?」

 リョウは苦笑しながら「ちゃあんと、S総合病院からの着信だったしなあ。声もあの女医さんだったし。」と言った。

 ミリアは再び睫毛を伏せると「ミリアも明日、行く。」と呟いた。

 「いやでも、明日お前学校あるし。」

 ミリアは首を横に振る。「休むもん。」

 「いや、わざわざいいって。」

 ミリアはリョウの目の前にずい、と顔を持って来ると、「ミリアは妻よ。だから行くの。」と大口開けて宣った。リョウは唖然としながら目を瞬かせた。

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