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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 「すっかり、影はなくなりましたね。」CTの画像を見ながら、野上医師はそうはっきりと言った。

 ミリアの隣でリョウの肩がぞくり、と震えた。

 「本当に、よく頑張りました。術後リハビリも毎日よくやられているようですね。」

 「ええ、まあ。喉はもともと強いんで。」リョウがはきはきとした口調で答える。ミリアはその低音をうっとりと聴いた。

 「何せデスメタルのボーカリストっすからねえ。ちっとぐれえ切ったって、何てこたねえんですよ。あっははは。」

 野上医師はくすり、と笑った。「樋口さんも同じようなことをおっしゃって退院していきました。デスメタルボーカリストっていうのは、そういうものなのかしら。あなた方お二人しか存じ上げないのですすが。」

 「まあ、基本はそうっすねえ。くよくよしてる野郎はあんま、デスメタルには向いてねえかな。」

野上医師は俯きくつくつと笑みを漏らすと、「喉以外に調子はどうですか?」と問うた。

 「もうね、毎日内庭に階段で降りてギター弾いて、今度は階段上って帰って来るのが日課だから、足腰もバッチリすね。結構ギターも、重みあるんすよ? これ。」と言ってリョウは足下に置いたJacksonVを指差した。「最初の二、三日はさすがに辛かったっすけど、今は全然余裕。」

 「本当ですか? ここ六階ですよ?」

 「ハッハー! 俺はメタラーなんで、屈強なんすよ。体の出来が。」

 「そうですか。……では、喉以外でも全く問題はないようですね。」

 「当然。あと髪の毛伸びねえかなあ。こんじゃあステージには立てねえよ。」と言ってリョウは五分刈りのような頭を撫でる。

 「そうですか? 似合っていますよ。」

 「似合っても似合ってなくても、メタラーは長髪以外はダメなんすよ。そういう掟なの。多分。」

 「……大変なんですね。」医師はCTの画像を片付けると、「では退院の日程を具体的に考えていきましょうか。」と言った。

 「やったあ!」そこまで黙って聞いていたミリアが手を叩いて飛び上がる。

 手術から一か月、再三にわたる検査でも異常は見当たらず、日に日に元気になっていくリョウを見るのが嬉しくてならず、ミリアは毎日学校を終えるなり料理を作って飛んでやってきた。時には冷まさずに弁当箱に入れたため手をやけどしたこともあった。しかしリョウはそのたび旨い、旨いと感嘆しながら完食してくれ、いつになったら退院できるのかとやきもきしてたのである。

 「もう、おうち帰れるの? リョウと一緒に、おうち、帰れるの?」

 「そうですね。今週末にでも。」

 ミリアはうわあ、と感極まった声を出してリョウに抱き付いた。

 「しかし検査には来てくださいね。まだ向こう五年間は再発の危険性があります。五年間、再発しなければその時点で寛解となりますが。」

 「五年間、……その間、どのぐらいの頻度で病院にくればいいんですか。」

 「最初の一年間は三か月に一度、その後からは半年に一度です。」

 「それっぽちでいいの?」ミリアの感極まった声が響き渡る。

 「万が一再発しても腫瘍が大きくならないうちに、転移しないうちに早期発見できる目安として、三か月です。」

 ミリアはごくり、と生唾を呑み込んだ。目頭がどうしようもなく熱くなる。

 「それっぽちの約束で今週末……。土曜日に、もう、帰ってもいいの?」ミリアが恐る恐る尋ねた。

 「土曜日になさいますか? いいですよ。」

 はあ、と溜め息のような感嘆のような声を漏らし、「リョウ、リョウ、おうちに帰れるよ? ミリアと一緒に帰れるよ?」ミリアは遂に泣き出した。

 「あ、……ああ。」リョウは困惑しながらミリアの頭を撫でてやる。

 「どうしたの、リョウは嬉しくないの?」睫毛を濡らしながらミリアが見上げる。

 「嬉しいよ。……嬉しすぎて、よく頭が回んねえぐらいだ。」

 ミリアは激しく何度も何度も肯いた。

 「今後もバランスのよい食事に、規則正しい生活を十分に気を付けて頂いて……。」

 「大丈夫です!」ミリアは涙を振り払い、意気揚々と立ち上がった。「ミリアが全部面倒見ますから! もうお肉やお塩は食べさせないし、早寝早起きさせますし、それからそれから……。」思いつかずに「他なんでも!」と叫んだ。

 「よろしくお願いしますね。」医師はにっこりと微笑む。

 「もちろんです。妻の務め、ですもの。そうだ! 退院するんじゃあ、お部屋お片付けしてこないと! 病室行ってくる!」

 「おい、ちょっと。」

 ミリアは聞く耳持たずさっさと病室へと急いだ。勝手に身が走り出してしまう。飛び上がりたくなる。いやったー、と口から出てしまう。もうこれからひとり、真っ暗な家に帰らなくて済む。もうずっとずっとリョウと一緒に居られる、リョウが家で待っていてくれる。こんなに幸せなことがあろうか。ミリアは思い切り飛び上がった。


 病室に入ると、ミリアの目にドールハウスが目に飛び込んできた。もう、後はこれに向かって進んでいくだけでいいのだ。リョウの病状が悪化したらとか、リョウがこのまま退院できなかったらとか、そんなことはもう、考えなくて済むのだ。うっとりとミリアは猫とギターだらけの菓子箱を覗き込んだ。そして、大切そうにそっと蓋をする。

 ふと見ると、その隣にはニット帽が置かれていた。園城から貰ったニット帽。

 「園城さん。」ミリアはふとそう呟いて首を傾げた。最近は内庭に行っても、全く顔を見ていないことに気付いたので。もしかしたら体調が悪いのか、無菌室にでも入っているのか。ミリアは今更ながら心配になってきた。しかし、たしか病室はこの上の七階だと言っていたことを思い出し、リョウが戻ってきたら退院報告とお礼に病室を訪ねることを提案してみようと思った。


 やがてリョウはいくつかの書類を手に病室へと戻って来た。

 「おお、随分片付いたな。ようやくここともお別れだ。」にっと笑う。「随分色んな人に世話んなって……。つうか、お前だよな。ミリア、ありがとう。」リョウはミリアを深く胸に抱き締めた。

 「妻だもの、当然だわ。」腕の中からもごもごとくぐもった声で答える。

 腕から離すとミリアは少し紅潮した顔で暫く茫然としていたが、「そうだ。」と首を傾げ「リョウ、ミリアにお手紙書いてくれたでしょう。あれ、ミリア貰っていいんだわよね?」と言った。

 「お手紙? ……え、ええ?」リョウは思い当たって目を丸くした。

 「あのね、テレビの下にこっそり置いてあったの、見つけちゃったのよ。でもミリアへ、って書いてあったしミリアのものかと思って、大事に取ってあんの。」

 リョウは書類をはらはらと落とし、両手で頭を覆い蹲った。

 「……読んだ?」

 「読んだ。」ミリアは晴れ晴れと答える。「読んじゃ、ダメだったの?」

 「ダメつうか何つうか、あの時は死ぬもんだと思ってて、……その……。」

 ちら、とリョウはミリアを見詰める。無邪気に微笑むその顔には、自分への軽侮や嘲弄は無論見当たらない。

 「ま、いいか……。」

 「返す? 返したくないけど、どうしてもって言うんなら、いいよ。」ミリアは不満げに唇を尖らせる。

 「ううん……。」リョウは暫く考え込んで、「やっぱいいや。あれはあれで……。実際、俺は一回死んだような気がすんだよな。」

 「何で!」ミリアの金切り声が響いた。「リョウは死んでない!」

 「まあ、実際には死んでねえんだけど、何かさっぱり生まれ変わったような、気がするんだよ。」

 「髪の毛なくなったから?」ミリアは泣き出しそうな顔で訴える。

 「あははは、まあ、それもあっけど、なんつうか一人で生きてんじゃねえんだなって、改めて思い知ったっつうか。一歩前進するためには、必要な体験だったのかもしれねえ。」としみじみと言った。

 「一人で生きてたの?」不満げにミリアが言う。

 「否、別にお前の存在を忘れてる訳じゃねえからな。……ただ、なんつうか、俺は所詮バンドマンだろ? 社会から排除されてる立ち位置っつうか、アンチ的な立ち位置っつうか、そんな風に自分を思ってたところが、あって。でも、違ぇんだなって。」

 「ミリアはずっとリョウのそばにいるわよう。ユウヤにぴよぴよしてるって言われても、いるわよう。」

 「ぴよぴよ?」

 「そう。」ミリアは眉間に皺を寄せる。「ユウヤはね、ミリアがリョウを好きでいるのは、ひよこが最初に見たものにいつまでもどこまでもくっついていくのと、一緒っていうの。全然違うのに。」

 リョウはああそれか、と思い返し噴き出した。

 「あ、そんでね、退院するんだから園城さん所にご挨拶行きましょうよう。」ミリアは卓上に置かれたニット帽を指さして言った。

 「元気かなあ。最近内庭で弾いてても、全然会わねえんだもん。どうしたかな。」

 「そんでね、ミリア考えたんだけど、お世話になったお礼にLast RebellionのCDプレゼントしたいんだけれど、いい?」

 「そうだな!」リョウは目を輝かせる。「ライブ来るための予習しといてくれって言ってな。お前、家からCD見繕って持って来てよ。在庫、タンスん中入ってたから。」

 「うん。」ミリアは満面の笑みを浮かべる。

 「明日にでも行ってみっか。たしか、この上の階って言ってたよなあ。」

 ちら、とリョウは天井を眺めた。

 「すぐ近くなのに、なあんか直接病室へは行き辛くてな。だってここよお、フロアごとに扉閉まっててナースステーションに正体打ち明けねえと、行けねえんだもん。」

 「ミリアはここ、すぐに顔パスになったわよう。」満面の笑みで答えた。「奥様ね、って言われるようになったわ!」

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