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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 アキは手術室の手前にある、自動販売機とテーブルに椅子が置かれただけの簡素な待合室にぼんやりと立って外を眺めていた。

 なんだかまだ現実味が湧かない、というのが正直な所である。

 リョウから電話で、次のスタジオいつ入れるか、とでも言うようないつもの飄々とした口調で、「がんになったから、しばらくバンドやれねえわ。」と言われた時は、冗談かと思った。いつそれを打ち消すのか、暫く話を聞いていてもなかなか言い出さないので、遂に「で、がんはどうなった。」と笑いながら問うてやったら「何、これから入院すんだよ。」と言われ、茫然としたのである。

 世の中には生まれついて不幸の似合う人間と、そうでない人間とに分けられるとアキは思っていたが、リョウは完全に後者、すなわち不幸とは無縁の人間に見えた。たといその背に恐ろしい無数の傷を持っていようが(初めてツアー中の温泉で見た時には驚愕したものである)、かつて養護施設から脱走してきたという噂を耳にしようが、なぜだかリョウは不幸とは一切接点を持たぬ、天性の、神に愛されし男にしか見えなかった。それは自身がリョウの音楽センスに羨望し脱帽し、その特別なフィルターで眺めていたからかもしれないが、とかくリョウの近くにいるだけで彼に与えられる無量無辺の幸運が自分にも降り注いでくるような、そんな期待感すら持たせた。

 そのリョウが、がん?

 アキはいつまでたっても腑に落ちず、実際、リョウが手術をしている段となってもなぜだか頭がついていかなかったのである。

 ミリアが泣いている。ミリアが必死にリョウを励まし、どうにかリョウを治そうと闘争している。自分もそれに連ならなければならない、と思う。しかしそのために何をしても、どこか演劇的なのである。第三者が笑いながら眺めているのである。まさか、リョウが、よりによってリョウが、不治の病である訳がない、ただの風邪だろう、とでもいうような無根拠の前向きさというか深刻に考えられない自身がここに、いるのである。

 そんなことを思っている内に、待合室にミリアとシュンが戻って来た。その気配を背に感じながら、しかしアキはどこかそこに交じることのできない、疎外感を覚える。それは自分が未だ深刻にリョウの病を捉え切れない、その愚鈍さによる。だからアキはビルディングの聳え立つ風景をただただ眺めた。

 「ここ、座ってな。」

 シュンはミリアに椅子を引いてやり、ブランケットを掛けてやる。

 アキはようやく振り向いた。するとミリアの手にはしっかと何か紙、のようなものが握られていた。ぐしゃぐしゃになるのも構わで、ミリアはそれを必死に握りしめている。

 「何それ。」アキは尋ねた。

 ミリアは唇を震わせたまま、答えなかった。

 「……リョウからのラブレターだよなあ?」シュンは何かを知っているような口調で答える。

 「ふうん。……病室にあったの?」

 「……そう。ミリアへ、って書いてあったから……。」ミリアは視線を落としたまま深刻そうに答えた。到底『ラブレター』などというカテゴリーでは収まり切らぬ内容が書いてあるのであろうことは、アキにも容易に推測がついた。

 「そりゃあ、よかったな。ま、あいつにとってお前はこの世で一番大事なモンだからな。ギターなんぞ何本献上したって到底叶わねえぐれえにな。」

 ミリアははっとなって顔を上げる。

 「だろ?」

 ミリアは涙ぐんで肯く。

 そこにバタバタと忙しない足音が迫って来た。三人は何事かと入口を見遣ると、「遅れてすまん。」そう言いつつ駆け込んできたのは、ユウヤであった。

 「何だお前!」シュンが思わず声を荒げた。

 「何だお前って……敬愛する兄貴の応援に駆け付けたんじゃねえすか。否、ここ、なっつかしいなあ。俺もここで切ったんすよ、喉。」そう言ってユウヤが自分の喉を偉そうに親指で示す。

 ミリアは目をぱちくりさせた。

 「ミリア、ほうらいっぱい買ってきたぞ。好きなの飲みな。」ユウヤはどっかとテーブルにコンビニのビニール袋を置く。そこからお茶やらジュースやら、更にはおにぎりだのサンドウィッチだのが、顔を覗かせた。そして、まだ温かさの残るミルクティーをミリアに握らせた。「これかな。」

 「ありがと。」ミリアはようやく頬を緩めた。「ユウヤ、リョウの手術知ってたの?」

 「シュンさんに聞いてさ。で、仕事午後から休んで駆け付けたってわけよ。」

 「そうだっけ?」シュンが顔を顰める。

 「もお、忘れっぽいんだから。それに可愛い教え子がリョウ、リョウ、って泣いてんだろうと思っていてもたってもいられなくってさ。さあさ、あんま涙溢すと水分不足になるからな。これで水分補給しな。」

 ミリアは素直に頷いて、キャップを開け一口、飲んだ。「あまーい。」

 「シュンさん、アキさんも好きなの飲んで、食って。」

 シュンとアキは顔を見合わせ、それぞれ礼を言ってお茶とコーヒーを各自取った。

 「あのなミリア、手術なんて寝てる内に速攻終わってたからな。痛くもかゆくも何ともねえ。メソメソする必要は断じて、ねえんだぞ。」

 そうは言われても、ミリアの頭の中には、ポケットの中にねじ入れた手紙の内容がぐるぐると巡っていく。死ぬ前に――、俺が死んでも――何度死という言葉が記されていたろう。いやに飛び込んでくるあの、恐ろしい字。でも、どうしたってリョウを死なせる訳にはいかない。せめてリョウに自分がどれだけ幸せであるかを伝えない内には。リョウのお蔭でどれだけ毎日が、世界が、愛おしいか、素晴らしいか、輝いているか。ギターを教えてくれ、生き甲斐を与えてくれ、それによってどれだけ人生が変わっていったのか……。ミリアは次第に苛立ってきた。どうしてリョウはこんなに毎日顔を合わせているというのに、そんな簡単なことに気付かないだろう。鈍感ではないのかしら。ミリアは顔を顰めてゆっくりと立ち上がった。

 「何だ何だ。」お茶を飲んでいたシュンが、ミリアを訝し気に見上げた。

 「リョウはなんもわかってない。」低く絞り出すようにして言った。

 シュンは思わず噴き出す。

 「基本的には、あいつは人の気っつうモンはとことん感知しねえ。アンテナがぶっ壊れてやがんだ。」アキが肩を竦め呟く。

 「リョウは、リョウは、ミリアが不幸だと思ってるわけ? 何で?」ミリアの憤りは次第に大きくなっていく。「ミリアはリョウのお蔭でギターが弾けるようになって、リョウの隣でギター弾いてライブやって、くるしい気持ちもなくなって、毎日幸せに過ごせるようになったんじゃん!」

 「その通りだ。」シュンがしみじみと首肯する。

 「だのにね!」ミリアは唾飛ばしながら三人を見据えた。「一つも幸せにしてやれなかったとかね、猫飼ってやれなかったとかね、スウェーデン連れて行けなかったとかね、」ユウヤは身に覚えのある単語に思わず身を縮めた。「そんなの、どうでもいいじゃん!」

 アキは先程ミリアが握りしめていた手紙にはそんな内容が書かれていたのか、と一人首肯する。

 「兄貴、んなこと言ってやがんのか。」ユウヤは目を丸くする。

 ミリアは強張った顔で肯き、ポケットから手紙を握って突き出した。

 「いよっ、ミリア!」シュンが妙な合いの手を入れた。しかしミリアの怒りは収まらない。

 「まいにちまいにちリョウが好きなのって、リョウの曲がいちばん素敵って、凄いって、リョウと同じギター弾くのが幸せって言ってんのに、ひとっつも人の話聞かないで勝手に可哀想にして!」

 「麻酔冷めたら言ってやれ。ついでに麻酔覚ましてやれ。」アキがそう言って面白そうに微笑んだ。

 ミリアはちら、と『手術中』の点灯を見詰めた。リョウが死を勝手に意識していたことに憤怒を覚え、そんなことは断じて許さぬとの闘争心が燃え上がってくるのを感じた。

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