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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 リョウは車いすに乗せられ、看護師と共に別室へと移動していった。

 麻酔を行う間、ミリアとシュン、アキは一階のレストラン兼喫茶店に行き、軽食を摂った。

 一面ガラス越しの店内は眩いぐらいの光に溢れていた。案内された窓際の席に座る三人は言葉少なで、どこか居場所を失って放浪している異邦人さながらに見えた。

 ミリアにどうにか食事らしいものを摂らせなければならない。席に着くなりシュンがほとんど使命感のように覚えたのはこれであった。モデルなどという人種がどういうものかシュンには皆目わからなかったけれど、とにかく昨今のミリアは痩せすぎているように思われてならない。おそらく一人きりでまともに食事も摂っていないのであろう。それは寂寥故か、貧乏故かはわからなかったが。

 シュンがちら、と眺めたミリアの横顔は青白く、長い睫毛が目の下に影を落としているのが何とも儚げに見えた。これでリョウに万が一のことが起こってしまったら……、ミリアは間違いなく破滅する。

 ともかく――、シュンはメニュー表を睨み、まずミリアに食べさせるものを選んだ。バンド練習後にみんなして飯を食いに行く時には、リョウが勝手にミリアの分を決めて頼んでやっていたものだ。好きな食べ物は、……卵。

 「お前はこれな。Aランチ。オムライスとスープが付いてるから、これだ。」

 「ふうん。」ミリアはどうでもいいという風情と首肯の合いの子のような微妙な返事をした。

 シュンはリョウにはまだまだ程遠いという落胆に似た感情を覚えつつも、「お前はどうすんの? 飯食う?」とアキに問うた。

 「食えねえよなあ。」とミリアに対するかのように呟き、「コーヒーとかねえの?」と問うた。

 「ある。焙煎コーヒー、何か特製で旨いらしいよ。」

 「じゃあそれー。」

 「ダメだよ、てめえも朝飯食ってねえんだから。あ、これな。ケーキセット。これだとコーヒー付いてくるしな。で、てめえは……、モンブランだよな。」シュンは躍起になって答えた。誰も彼も食欲を失い、まるでこれじゃあリョウの身に何かが起きてしまうようじゃあないか。

 「よし呼ぶぞ。」シュンは光溢るる場であるに関わらず、通夜か告別式じみた陰欝たる雰囲気を払しょくするべく、諸手を上げて「すんませーん」と怒鳴った。

 シュンは呼びつけた店員に、自分のナポリタンを含めさっさとメニューを告げ、「手術始まる十一時までに食うぞ。」と言い放ち、どっかと二人を睨みつけた。

 「リョウ、もう、寝ちゃったかなあ。」ミリアは俯き手を揉みながら呟く。髪の毛が陽光に照らされ、さらさらと肩に零れ落ちた。「昨日は、あんまし眠れなかったみたいなの。」

 「そりゃそうだよな。」アキが溜め息を吐いた。「手術なんて、いくらリョウだっておっかねえだろ。」

 「リョウは怖いって言ってない。」ミリアが不満げに口を尖らせた。

 「お前の前では言わんだろ。少なくとも、……お前の前ではいいかっこしてえだろうからな。」

 ミリアは憮然と外に視線を遣った。リョウはいつだって完璧であった。最強であった。デスメタルの、絶望の、慟哭の王であった。だからどんな方策を用いてもリョウを完治させ、再びステージに引きずり出さなければならない、そう思っていたのである。リョウの弱さなんぞを、ましてやこのタイミングで認める訳には到底いかなかった。

 「でもな、……お前がいて救われたと思うよ。お前のこの話す時はさ、表情が……何つうか、柔らかかったから。」

 シュンが呟き、ミリアの視界がじんわりと滲んでいく。鮮やかな緑が四方八方に散じた。

 「まあ、正直それはあるよな。」アキが後を続ける。「お前は自分ばっかリョウに救われたって思ってるかもしんねえけど、実際あいつの方がもしかしたら救われてんのかもしんねえって俺なんかは思うよ。あいつに人間性、みてえなのを植え付けたのは、お前だ。俺らじゃどうにもならなかったかんな。」

 やがて食事が運ばれてくる。ナポリタンにオムライスにモンブラン。

 「病院の癖してやたら本格的じゃね?」シュンが驚嘆した。

 「こんなでけえ病院だからさ、遠方から来る見舞客とかも多いだろうし、長く入院してる人も多いんだろ。だからじゃねえの。」

 「そうなの。床屋さんもあるんだよ。銀行もクリーニング屋さんもあるんだって。園城さん言ってた。」

 「園城さん?」アキがスプーンを手に顔を顰める。

 「そう。メタラーでお友達になったの。もう、ここに二年も入院してるんだって。」

 「へえ。」アキがぱくり、とモンブランを頬張った。「うんめえ。」

 「リョウがね、庭でギター弾いてたら寄って来て友達になったのよ。」

 「何だよその蛾みてえな言い方。」シュンがナポリタンの湯気をうまそうに嗅ぎながら言った。

 「蛾じゃないわよう!」ミリアは割り箸を握りしめた拳で、どんとテーブルを叩く。「園城さんは優しくて、色々教えてくれるんだから。」

 「へえ。その人も、その、……がんなのか。」シュンは一種の緊張感をもって尋ねた。

 「うん。リョウにニットの帽子もくれたの。禿げて寒くなるからって、いっぱい持ってるんだって。」

 シュンとアキは黙りこくって、それぞれ食べ始めた。

 「リョウ……大丈夫かなあ。」ミリアが再び泣き出しそうな顔で、割りもしないまま箸を膝の上に置いた。

 「お前、マジで食えよ。最近痩せすぎなんだよ。それとも……」と言って湯気の立つナポリタンの皿を近づけ、「こっちがいいか? やるぞ?」と問うた。

 ミリアは首を横に振った。

 「心配すんなよ。」アキが大きなモンブランを崩しながら言った。「リョウはこれで綺麗さっぱりがんともお別れできんだからさ。逆にめでてえぐれえのもんだ。」

 「そうそう。」シュンも慌てて咀嚼して後を継ぐ。「あの先生はユウヤだって治してんだぞ? 国内有数のデスメタル専門医なんだからよ、大船に乗ったつもりで任せときゃあいいんだよ。」

 ミリアは小さく肯いた。「でも……、リョウ、痩せたでしょう?」

 「そりゃあなあ。」シュンが答える。「でもしょうがねえだろ。抗がん剤治療やってたんだから、少しぐれえは。すぐに元に戻るよ。」

 「ご飯もあんまり食べてなくって……。手術、耐えられるかな。」

 「心配すんなって。」アキがミリアの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。「お前ステージで吠え狂うあいつの姿を忘れたんか? あんだけ強い男はそういねえぞ。」

 その時、「……あ。」とミリアははっと何かに気づいて立ち上がった。「園城さん!」

 店に入って来た車いすの青年にミリアはそう高く声を掛けた。

 「ああ、ミリアさん。」ニット帽を被った顔色の悪い青年は、それでもにこりと微笑んで、ゆっくりゆっくり車輪を回しミリアの近くにまでやってきた。

 「こんにちは。」園城は丁寧に頭を下げた。

 「あのね、この人園城さん。さっき言ってた人! リョウが庭でギター弾いてた時ね、友達になったのよ。メタラーなの。」さすがに寄って来た、のは間違った表現だと学んだようである。アキは噴き出しそうになるのを堪えて、頭を下げた。

 「ここに入院している、園城って言います。初めまして。」

 シュンもアキに倣って頭を下げた。リョウに比べても酷く痩せ、顔も蒼白く、病状は相当に悪いように思われた。とかく、街で見かけるような容態ではない。ある意味、その死を彷彿とさせる姿に、二人はさっと緊張感を覚えた。

 「リョウとミリアと一緒にバンドやってる、シュンです。こっちがアキ。」

 「ええ、本当に? 凄い! プロのメタルバンドマンすか。」園城は興奮した声音で言った。

 「否、プロなんつうと、何か仰々しいけど、まあ、……ただのバンドマンです。曲作ってんのは全部リョウすから。俺らは付属品みてえな感じで……。」

 「うわあ、凄いなあ。俺、リョウさん筆頭に凄い人と次々知り合いになれて、最近運を使い果たしているんじゃないかって思って。」

 「そんな、そんな。」アキが苦笑を浮かべる。「ただのメタルこじらせ野郎なだけすから。園城さんも、メタル好きなんでしょ?」

 「あははは。俺も中学ん時Slayer聴いてメタルにハマって、大学行ってた頃はサークルでバンド組んでギター弾いてたんです。プロなんて目指せるような身分じゃあなかったですけど、毎日爆音でメタル聴いてるだけで楽しくて楽しくて……。」

 「今度ライブに来てよ。」シュンが身を乗り出して言った。「リョウが復帰したら都内でライブやるから!」

 「そうよ!」ミリアがそう言って遂にオムライスに取り掛かった。シュンはそれを見て安堵の笑みを溢した。

 「そうそう、園城さん用にチケット取り置きしとくから。退院したらここに連絡頂戴。」と言ってシュンはポケットから財布を取り出し、名刺を取り出した。

 「え、マジですか。そんな、何か関係者みたい。凄ぇ嬉しい!」

 「でも、俺たちデスメタルなんっすよ。」アキが苦笑しながら言った。「メロディック要素は、まあ、一応、あるけど。」

 「知ってますよ。ネットで聴きましたもん。退院したら速攻CD買いに行こうと思ってるんすよ。」

 「マジで。」シュンはさも嬉し気に笑った。

 「シュンさんのベースも、アキさんのドラムも、もちろんミリアさんのギターも、マジ凄かった。本当、ライブ行けたらいいな。」

 「待ってる。」ミリアはもうオムライスを半分も平らげ、唇をケチャップで汚している。「ねえ、園城さんはご飯食べにきたの?」ミリアは明るく尋ねる。

 「いえ、何かコーヒーが飲みたいなって、思って。」

 「じゃあ、ここに座りなさいよ。お店の人呼んだげる。」

 ミリアは急に元気づいたように、「すみませーん」と声を上げた。店内は客もまばらで、すぐさまエプロンを付けた妙齢の婦人がやってきて、オーダーを取っていく。

 「あのね、今からね、リョウ、手術なの。」

 ミリアは救いを求めるように園城に告げた。園城はぱっと目を輝かせ、「手術ですか! よかったですね!」と言った。

 「良かった? 手術って、良いこと?」

 顔を顰めるミリアに、園城は穏やかな笑みを浮かべながら「だってそうでしょう。がんがあちこちに転移してたら、手術もできない訳ですから。」と答えた。「それから、抗がん剤治療が巧く効いたことなんじゃあないんですか?」

 湯気を立てた珈琲が園城の目の前に置かれる。

 「うん。シュヨウが小さくなったから、今がチャンスだって言われたの。」

 「ほら。手術して全部取り除ければ、もう、何も悪い所は体からなくなる訳ですから、すぐよくなりますよ。羨ましい。」

 そう言って園城は熱いコーヒーの香りを嗅ぎ、うっとりと目を閉じる。

 「ほらな。やっぱお前は悲観的にモノを考えすぎんだよ。」シュンはそう明るく言った。「本当に、飯も食わねえでひたすら心配してて見ちゃいらんねえんすよ。」

 「確かに家族が手術となると、心配ですよね。うちも両親に姉に、みんな迷惑かけて……。」

 「迷惑なんて思ってないよ! ミリアはリョウの所に毎日来るの楽しいもの。……そりゃあ、リョウが辛そうな時はミリアも辛くなるけど、でも、会えない方が辛いから。」

 「いい奥さんだなあ。」

 ミリアは嬉しそうに笑う。

 「俺もそんな奥さん、欲しかったなあ。」

 「何言ってんだ。若いんだからこれから幾らでも相手見つけりゃあ、いいじゃねえか。」シュンがそう言って園城の痩せた肩を軽く叩いた。

 しかし園城はそれに苦笑一つだけで答えると、ずるずるとコーヒーを再び啜り始めた。そしてふと、 「今日は天気いいし、コーヒーはいい香りだし、リョウさんの体からがんは消えるし、本当に幸せだなあ。」と独りごちた。

 ミリアはそれに誘われるように、窓の外を見上げる。都内の総合病院とは信じられないぐらいに緑に囲まれ、そこを通過する光が小さな丸を創って地に落ちていた。この美しい世界を、これからもずっとずっとリョウと一緒に生きていくのだ。サンタクロースもそれを叶えると約束をしたのだ。ミリアは力強く、最後の一口を噛み締めた。

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