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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 翌朝、すぐに手術の日取りは決まった。それは昨日医師が告げたよう、来週末、わずか十日後のことであり、つまりは、ミリアが三年生としての始業式を迎え、すぐのことであった。


 いつもより早く学校に到着した始業式、既に多くの生徒に囲まれた昇降口の前に出された掲示板を見上げ、ミリアは思わずにんまりと微笑んだ。

 それはまず、三年次の担任は、一二年次と同じ小久保教諭であったから。ミリアはクラス名簿の一番上に掲げられたその名を見て、安堵と喜びを覚えた。思えば一年次に映画撮影で精神的な均衡を崩し入院したことも、二年次でもバンドのツアーやらで一か月に及び欠席したことも、それからリョウががんで入院したことも全てを解ってくれているのだ。

 そしてそのままするすると下へと視線を辿らせ、無事にユリの名があるのにミリアは小さく飛び上がった。残念ながらカイトの名は二つ隣のクラスとなってしまい、そこには落胆をしかけたが、それもカイトが国立大学合格という目標を達成するためだと、ミリアは自身を納得させ新しい教室へと入った。

 「おはよう、ミリア。」

 ユリが机に頬杖つきながら言った。

 「三年間一緒だね。」

 「何でかな! 仲良しだから先生がくっつけてくれたのかな!」ミリアは早足でユリに近寄る。

 「違うよ。学力が一緒ぐらいだからだよ。」と言ってユリはくすくすと笑った。ユリもミリアも成績は調子よくて中の下、大抵は下の中である。

 「ユリちゃんのがちょっと、いいよね。」

 「ああ、この間の学年末はねえ。」ユリはその頃、ミリアが毎晩病院通いをするために勉強なんぞからきししていなかったことを知っている。そしておそらくは金のためか、毎週末は朝から晩まで、時には二か所の現場を回ってまで仕事に励んでいたことも。

 「あれは、たまたま先輩に教わったところが出たからね。実力じゃないよ。」ユリはミリアを見ぬようにしてそう言った。「っていうかさあ、あんな底辺争いしてる時点で、どっちもダメだって! あははは!」ユリはそう大声で笑った。

 教室にはよく見知った顔ばかりが続々と入って来る。ミリアは満面の笑みを浮かべて、「おはよう」と声を掛けた。


 始業式が終わるなり早速担任の元へ行き、ミリアはリョウの手術の日程が決まった旨と、その日に学校を欠席する旨を伝えた。金銭面でも心配をしていた担任に、社長からの援助があったことを伝えると、深々と安堵の溜め息を吐きながら、何度も「良かった、良かった」と呟きながら、そしてこんなことを訥々と語り始めた。

 「黒崎は自分で気づいていないかもしれないが、憎まれないというか人好きがするというか、とかく周囲に慕われる人間なんだよ。それは別に何もしないで、という訳じゃない。何にでも一生懸命で誠実で、裏表がなくて、って、とにかくそういう所が、周囲を応援したいという気にさせるんだ。だからファンに支えられるモデルやらギタリストやらというのは、お前にとても向いているような気が、するよ。もちろん厳しい社会だろうし、一生涯続けていくのは難しい部分もあるのかもしれないが、できる限り続けていってほしいと思う。社長さんという人もお前のそういうところを見込んで、お金の面も含め、お前を大切にしてくれているんじゃあないかな。だから、お前がこれからやっていくことは、とにかく今まで通り、何事にも誠実に向き合っていくことだ。」

 ミリアは頬を赤くしながら聞いていたが「でも、勉強が……」と呟くと、担任はぶっと噴き出した。リョウが入院してからの定期試験やら、模試やらの結果は、その原因を知るからこそ担任はお咎め一つ与えなかったものの、結果、弁明のしようもなく惨憺たるものとなっていたのである。

 「まあ、確かにお兄さんが大変な状況で勉強が手に付かないというのは、わかる。手術などが行われれば、これからも大変だろう。すぐに勉強に専念できるようなことには、なるまい。そこでこれは、一つの提案なんだが……、」と前置きして、「学力を今から上げるのは、正直、大変だ。いまの生活のままじゃあ、まあ、無理だともいえる。でも大学に入るには一般入試だけではなく、推薦入試、AO入試という手段もある。黒崎は入院とかツアーのせいで長期欠席してしまったから、学校として推薦はできないんだが、AO入試なら、何とかなるかもしれない。」

 「AO、ですか?」何だか響きがAVに似ていてミリアは不安を覚える。「何ですか、それ。」

 「アドミッション・オフィス入試のことだ。」

 ミリアはますます意味がわからなくなり、眉を顰める。

 「学力試験じゃなく、何か、得意なこととか好きなことを武器に、面接や小論文で入試に挑むんだ。」

 「……そんなの、私には……。」

 「あるじゃないか。ギターに料理に……。」と言って教師はううむと唸って腕を組む。「でも、音大は基本的にはピアノが必須だしなあ。黒崎はピアノは弾けるのか?」

 「弾けません。」ミリアは即答する。「ほんのちっとも、弾けません。音符だって読めないです。」

 「そうだったのか! ……でもそれでよくあれだけ弾けるなあ。」再び腕組みをし直す。

 「リョウ……、お兄ちゃんの弾いてるのを見ただけです。」

 「そうか。……でも、エレキギターじゃあ、どんなに巧くっても音大はちょっと難しいなあ……。でも料理なら、行けるかもしれない。栄養学とか、どうだ? 大学で学んでみたくは、ないか?」

 ミリアは暫く考え込んだ。たしかに自分にとって興味のある、人よりも長けたものといえば、ギター、料理、それしかない。

 「部活以外でも、料理とかするんだろう?」

 「……します。」

 担任は顔を綻ばせて、「最近はどんなのを作ったんだ?」と聞いた。

 「最近は……、お兄ちゃん、じゃない、兄に、持って行く、がんに効く料理を毎日作ってるんです。ユリちゃんの叔父さんが昔がんになって、叔父さんの奥さんって人が、がんに効く料理の本をしこたま買い込んで勉強して、その叔父さん、もうバスの運転手のお仕事普通にしてるっていうんです。だからその本をたっくさん、今、借りてて、それ見て毎日ご飯作ってるんです。これでリョウも絶対治る。絶対、絶対、治る。そう思うの。」

 担任は目を瞬かせた。「……お前、それ、凄いじゃないか。」

 「全然凄くないです。……この前、管理栄養士さんにも教わって作ってみたけど、リョウ、体調悪くて食べてくれなかった。」

 「……それだ!」担任はぺち、と手で自分の太ももを叩いた。「それは十分に売りになるぞ。たしか……」と言って机の棚をごそごそと何やら探し出す。そして取り出したのは「大学推薦入試・AO入試一覧」と書かれた分厚い本であった。ぺらぺらと捲り、J大学の項目を指でなぞる。

 「黒崎、ここな、この大学。到底お前の今の学力じゃあ到達しない所だが、栄養を学ぶなら一番権威のある大学だ。ここのAO入試、面接と、プレゼンテーションになっている。挑戦してみたらどうだ。実際に高校生活で家族ががんになり、それをサポートする料理を毎日作ってきました、というのは他の高校生にはない経験で、お前だけの売りになる。ちゃんと部活動の顧問の先生にも見て頂いて、この大学に挑戦してみないか。」

 ミリアは目を瞬かせた。「……お料理で、大学入れるんですか。」

 「お前、人の話聞いていないな? 去年からホームルームで進路の話をしているじゃないか。部活動やボランティア、その他自分独自の課題を頑張ってきた生徒は、推薦やAOで挑戦するのも手だと、言ってきたはずだぞ?」

 ミリアは頬を赤らめた。

「黒崎、お兄さんががんになられてから、どんなことに留意してどんな料理を作って来た?」

「ビタミン、お野菜、お肉は控えて、お豆と穀物もたくさんにして、そんで……。」

「そうか。それをな、資料に書いて発表をするんだ。管理栄養士さんに教えて頂いたことも踏まえて。……それで、最後にお兄さんが自分の料理を食べて無事に退院され、寛解されましたと結論付けるんだ。」

 ミリアは目をぱちくりとさせた。「リョウは、まだ、……退院してないし。手術も成功するか、わかんない。」

 「でも、必ず成功するんだろう? 今お前、そう言ったじゃないか。そうしたら入試は今年の十月だ。この夏休みまでにしっかりと資料を作り上げて、それで発表の練習していこう。いいな?」

 有無を言わせぬ担任の物言いにミリアは、恐る恐る肯いた。

 「今日から、とにかく毎日作った料理の写真をケータイでも何でもいいから撮って、献立、栄養素をメモして、それからどういう風にがんに働きかけるのかちゃあんと、ノートに書いて置け。それが三か月分もたまったら、次にプレゼンテーションの資料作り、そして練習に入るから。」

 ミリアは次第に合点が行き始め、「ありがとうございます。」と微笑んだ。

 「それは合格してから言えよ。」担任はにっと笑ってミリアの肩に手を置いた。「とにかく『挑戦』だ。始業式の日言ったろう? 勝手に自分はできてもこのぐらい、とか、ここまでしかできない、なんて壁を作らないで、何だって挑戦してみるんだよ。まだ十七、八なんだ。今から挑戦すれば、何だってできるんだ。お前が世界的モデルになるか、世界的ギタリストになるかはわからんが、どっちだってモノにできる。俺はそう信じてる。」

 ミリアは今度は力強く肯いた。

 「先生もお兄さんの手術の成功を祈ってるから。黒崎ももうしばらくの辛抱だ。頑張ってくれ。な? それで、お兄さんのためだけじゃなくって、自分でも最高の結果を勝ち取っていくために、頑張っていこうじゃないか。二人して勝利するんだよ。先生も、そのために精一杯できる限りの応援をするぞ。」

 ミリアは幾分頬を紅潮させたまま、肯いた。どこからともなく吹奏楽部の演奏するホルストの『第一組曲』の軽快なマーチが流れてきた。

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