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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 翌日、学校を終えミリアが向かったのは病院ではなくモデル事務所であった。

 受付に走り込んだ途端、書類の束を持ったまま偶然そこを通りがかったアサミが、「ミリアさん、一体、どうしたんです?」と目を丸くして問うた。連絡も何もなかったのである。それに仕事の要件はミリアが学生であるということに配慮し、メールで済ませている。現場で何かトラブルでもあったのだろうか。アサミは訝った。

 「あの、……その。」とりあえずミリアは息を落ち着かせる。「アサミさんに、話があって来たの。」

 アサミは小首を傾げて、「中へ入って下さい。」と二階の会議室へと招き入れた。

 アサミは扉を開けながら、「この間のA社のパンフレット、とても好評でしたよ。また来年度お願いしますって、先方からお話がありました。」と言い入室すると、一番手前の椅子を引いてミリアに座るよう促した。

 しかしミリアは顔を固くし立ったたまま、黙りこくる。言わなければならない。わかってはいるものの、何と言い出したものか、皆目わからない。

 「高校もあと一年で卒業ですね。ミリアさんはどの大学を受けるとか、もう考えているんですか?」

 「アサミさん」ミリアは立ち上がって、アサミの前に一歩進み出た。「セックスする仕事、紹介して下さい。」

 アサミは目を剥いて「は?」と頓狂な声を上げた。

 「あのね、お金が要るの! とっても要るの。お金が無いってバレると、リョウ、退院するって言うかもしれないの。それから病院に払えなくなったらリョウが追い出されちゃうかもしれないの!」わあ、とミリアは顔を上げて泣き出した。「だからだから、男のひととセックスする、AVの仕事、下さい。」

 アサミは唇をわなわなと震わせ、それからミリアの肩を両手で揺さ振った。

 「何を、何を、言っているの? 自分で言っていること、わかってる?」

 「アイカちゃんに聞いたもの。それに、……サイトも見た! だからわかってる! でももう、それしかないの。ミリア頑張る。ゲロ出ちゃうかもしんないけど、頑張る。だから、お仕事下さい。」

 「落ち着きなさい! そんなこと大体リョウさんがそんなことOKする訳ないでしょう?」アサミはミリアを射抜くように見つめ、「落ち着いて。」自身に言い聞かせるように言い、無理やり椅子に座らせた。

 ミリアは真っ赤な顔をしてひっくひっくとしゃくり上げている。

 「リョウさんの入院が長引いて、お金がないのね?」

 ミリアは肯いた。「ギターはメイン残して全部、売ったの。でもリョウがいつになったら治るかわからないの。いつまで病院にいるのか。なかなか治らなかったら、お金はやっぱり足りないの。それにそれに、おうちの毎月払うお金がなくなったら、リョウが帰って来るところがなくなっちゃう。どうしても、お金、必要なんです。」

 「それで、……お金を稼げる仕事が欲しいのね?」

 ミリアは濡れた眼で再び肯いた。

 「それで、……AVが儲かると、聞いたのね?」

 ミリアは涙を拭って肯いた。アサミは「ここで待っていて。」と言い残すと、足音高く部屋を出て行った。

 ミリアのしゃくり上げる声だけが部屋に響く。ミリアはふと頭を上げ、窓の外にたくさんのビルが立ち並んでいるのを茫然と眺めた。どのビルにも、どの階にも、仕事をしている人がいる。それぞれそうやってお金を稼いでいる。そう考えるとミリアは下唇を噛み締めた。そこに自分が連なれないことが、悔しくてならなかった。働きたい。お金がほしい。リョウを守るために。


 間もなくそこにアサミが社長を引き連れ、慌てて入って来た。

 「ミリア。」

 ミリアは血相変えた社長の顔を一目見るなり、再び大声上げて泣き出した。

 「せっかくファッションモデルとしてここまで来たのに、何でAV女優なんだ。」社長の声は怒気を孕んでいた。

 「だから、お金が欲しいの、リョウを治すお金、おうちを追い出されないお金……。」

 「幾らだって俺が用立ててやる。」

 ミリアは息を呑み、それから信じられないとばかりに顔を顰めて社長を見据えた。

 「何が必要だ? とりあえずリョウの入院費か?」

 ミリアは唇をわなわなと震わせたまま、言葉を出せない。

 「あとお前の家賃か? 生活費か? いつだって寮に住んでいいと言っているじゃないか。」

 「……リョウが元気になって帰って来るから。おうちないと。」ミリアは震える声でそう言うと、ごくりと生唾を呑み込んだ。

 「じゃあ家賃ぐらい肩代わりしてやる。大体、お前また痩せたんじゃないか。そろそろ不健康の領域だぞ。飯代もないのか。そんで勝手に一人で思い悩んでAV女優になるなんて言い出したのか。相変わらず突拍子もないな。言っておくがAV女優は演技力と性的関心のないお前には無理だ。才能が壊滅的に、ない。リョウ以外を男として認識しているのかも疑わしい。それに大体そんなぺたんこの癖して勤まると思ってるのか。とんだ自惚れだ。」

 「社長!」アサミが思わず制止の声を上げる。

 「とにかく。」社長は再びミリアに向き直って言った。「リョウの入院費については何の心配も要らない。滞納してるのか?」

 ミリアは首を横に振った。

 「じゃあ、来月からは俺が払う。お前の家はどうなんだ? 家賃、電気代、水道代、ガス代、そういうのは払えているのか?」

 「今月は払えたの。でも、ギターのお金はリョウの入院費だから、もう、……家賃とかの分はないの。この前のパンフレットのお仕事の分のお金が入れば、払えます。」

 社長はポケットから財布を取り出すと、一万円札をごそりと引っこ抜いた。「当面の生活費だ。これを使え。」

 ミリアはさすがに恐れ戦き、一歩下がった。

 「自分の会社のモデルが街で腹減らし過ぎて倒れたなんてことになったら、困るんだよ。給料もろくに支払わない天引き事務所だと思われたら、会社の評判はがた落ち、商売あがったりだ。後でお前が稼げるようになったら返してくれればいい。」

 「稼げるようになるか、わかりません。」ミリアははっきり言った。「……でも、でも、モデルで稼げなくても、会社の寮でご飯作ったり、番をしたり、事務所のお掃除とか、何でもやります。モデルでダメならそうやって、返します。……だから、ありがとう。」

 社長はミリアの手に一万円札の束を握らせ、その上から両手でミリアの手を包み込んだ。

 「心配するな。リョウには言うんじゃないぞ。変に気を回されたら、軽口を叩き合えなくなるからな。それはそれで、寂しい。」

 ミリアは片手に一万円の束を握り締め、もう片方の手で瞼を押さえながら「ありがとう」と呟いた。

 「ミリア、ちっとも売れてないのに。有名でもないのに。」

 「んなわけあるか。雑誌だってお前のページは増えていってるし、広告にお前を指名してくる企業だってあるんだぞ。これからだ。自信を持て。」

 ミリアは俯いたまま、小さく震えるかに見える程度に肯いた。

 「とにかく、お前はもう金の心配はするな。うちの社員である以上、そんなことで悩まれちゃあ、社長としての沽券にかかわるんだよ。」社長はそう言ってミリアの頭に温かな掌を軽く置くと、「じゃあな。また何かあればアサミに言いなさい。」さっさと踵を返して部屋を去って行った。後には途方に暮れたアサミとミリアだけが残された。

 「……よかった。」アサミがそう言ってふっと微笑んだ。「社長の言う通り、これからは一人で抱え込まず、何でも相談して下さいね。ミリアさんのことでも、リョウさんのことでも。私からはできるだけ、お仕事、どんどん紹介します。……でもミリアさん、学校は? 受験勉強、あるでしょう?」

 ミリアは固まった。

 「勉強、……どころじゃないですか……?」

 「最近全然勉強してないの。このままじゃ、大学、行けない。」

 「でも。」アサミは焦燥したようにミリアの顔を見詰めた。「リョウさんは確か、ミリアさんを大学に行かせたいって、言ってましたよね。」

 ミリアは肯いた。

 「リョウの所にがんに効くご飯持っていかないと。それからいっぱいいっぱいお喋りもするの。リョウを元気にしたいし、ミリアもその方が寂しくないから。でもそうすると帰りは遅くなるし、おうちで勉強するのはすっかりやめちゃうことになって、授業もどんどんわかんなくなって。こないだ先生に、怒られた。……大学、行くの辞めて働きたいの。その方がいいの。」

 アサミは暫し言葉を喪う。

 「でもリョウさんには、それ、言っていないんですよね……。」

 「でも、大学行かない方がいいの。うちにはもう全然お金ないし。……こんなこと、リョウには言わないでね。悲しくしちゃうから。ちゃんと、ミリア、勉強してるって言ってね。」

 ミリアは力なくかばんを開けて一万円の束をそっと差し込むと、「アサミさん、ありがとう。なんだってして、必ずお金は返します。ミリアが、返します。社長にも、もう一回そう言っておいて。」

 ミリアは頭を下げ、力なく部屋を出ていった。

 どうしたものか、何と声をかけたものか、答えの出ぬままアサミは扉を呆然と見詰めていた。

 自身が高校生の頃といえば、田舎ではあったが進学校に通い、中でも難関大学を受験する生徒ばかりのクラスに在籍していた。常に成績は上から数番目。勉強は、出来た方であった。家も父親が銀行員で母親は専業主婦、というよくあるやや裕福な家庭そのものであり、経済的な不安なんぞ感じたことは今の今まで一度もない。自分は勉強だけのことを考え、そして周囲に促されるまま大学受験に挑み、無事、都内の有名大学に合格を果たした。幾つか合格したそれえらの中でも一番自分のやりたかったことを学べる大学に決め、入学をしたわけであるが、今考えればその際にかかった受験料も、東京に滞在したほぼ一か月に及ぶホテル代も、それから実際に合格が決まってからの入学金、授業料、アパート代、生活費等の仕送り、相当に親には負担をかけて大学生活は始まり、そして無事に終了したのである。自身では何の経済的苦悩もなく。

 しかしミリアは――それは決して同情ではなかったが――、ただ、自分とのあまりの差異を感じざるを得なかった。正直言えば、自分が高校生の頃は、こんなにまで経済事情を考えなくてはならない、そうしてその不備を自らの稼ぎで補填しなければならない高校生がいる、などということを考えたこともなかった。そんなことを可能としようと、たとえ頓狂であろうとも考え、実践しようとする少女がいるということに、アサミは正直内心驚嘆したのである。その感情は、初めてであったが、色々言葉を与えようとしてみて尊敬、に類するものであるのかもしれないという局所に逢着した。自分よりも随分年下の、言うならば子供に対する感情としてはおかしいのかもしれないが、アサミはあまりにも自分とは異質な少女に対するそのような感情が自身の中に芽生えているのを、認めざるを得なかった。

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