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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 帰宅をするなり、リョウの所に持って行く夕飯を拵え始める。

 また来週からは抗がん剤治療に入るのだ。そうしたら食欲もなくなり、何も食べられなくなる。ミリアはそう思ってまるで最後の晩餐さながらに、ユリから借りた本を穴の開く程熟読しながら料理に勤んだ。

 今日はひじきと大豆の煮物。にんじんスティック。ケールのジュース。バナナにオレンジ。それぞれを風呂敷に包んでいると、そこに突如、メール着信の音が鳴った。画面を覗き込むと、アサミからのメールで、スクロールするといつものように新しい仕事の紹介である。ミリアはほっと胸をなでおろした。これでリョウが治療に励める。でも、いつまで……。もっといろいろな仕事を紹介してもらえないだろうか。モデルの仕事でなくたって構わない。掃除でも料理作りでも、何でも。先日のような実入りのいい仕事はそうそうないかもしれないが……。アイカが言っていたAVの仕事が何度も頭の中を駆け巡る。

 俳優と疑似的セックスをする仕事――。そんなもの、リョウは反対するに決まっている。それどころではない。賛否以前の問題だ。そんなことを口にしただけで、卒倒する。自身だって、リョウではない人間と疑似的にしろ何にしろ行為をするなんて、考えただけでおぞましい。悪寒がする、吐き気がする、涙が出る。絶対に、耐えられない。でもそれはリョウの命と比べれば、この上なく軽微なことである。何ともないことだ。自分はいつか、猫とギターに囲まれ、リョウと結婚生活を送るのだ。ミリアは力なく咳込んだ。

 そこに再びメールが入った。画面を見ると、今度はカイトである。ミリアは息を呑んで早速中身を開いた。

 「例の、アドレスです。」文面はたったそれだけであった。ミリアは意を決して送られたアドレスを開くと、一秒で卒倒しそうになった。裸の女性たちが、あられもない恰好でポーズを取っているのである。小さな悲鳴を上げて思わず携帯を落っことす。そのついでに怒涛のような悲しさに襲われ、顔を覆った。

 こんな芸当はとても自分にはできない。何度生まれ変わっても、できない。催眠術をかけられたとしても、こればかりは、無理だ。しかし金が尽きれば、リョウの治療は終わってしまう。大切なリョウを失うよりも恐ろしいことなんて、この世にあろうか。

 ミリアは真っ白になった顔を掌の間から覗かせ、ゆるゆると落ちた携帯を拾った。

 ミリアは深く決心をした。できない、ではない。やるのだ。目を瞑って、地蔵になって、やるのだ。リョウの命を救うのだ。ミリアは片目を閉じながら、それでも適当に目に付いた(しかし一番普通の映像に見えるものの)、映像を開いた。

 直後、力荘の一室に劈くような悲鳴が上がった。


 それから一週間、リョウの最後の抗がん剤治療は無事に行われ、リョウは一般病棟へと戻ることとなった。最後の死闘を終え、坊主頭にした髪の毛はそれでもあちこちまばらとなっていて、やはり髪が抜け落ちたのがわかった。それに一週ずつとはいえ、計五回にもわたって行われた抗がん剤治療によって、リョウの顔は一般病棟にいた時よりも幾分青白く、そして頬は明らかにこけた。

 しかしそれでも普通病棟に戻れることは、ミリアにとって大きな喜びを齎した。なぜならそこでは何でも持ち込みが許されたから。無菌室には弁当一つ、かばん一つ持ち込むの容易ではない。全て丹念に消毒を仕切って、許されたものだけが入れられるのである。ミリアは既に見慣れつつある窓からの風景をうっとりと眺め、リョウの枕頭に、思い出の猫とギターばかりの珍妙なドールハウスを飾った。

 「……お前さ、受験勉強は、どうなの?」こんな時でも自分の心配をされてしまうのが、ミリアにとっては心苦しかった。「もう、三年生じゃん。」

 希望のコースごとにクラス編成がなされ、学校では確かに新たな学年が始まっていた。ミリアは私立文系コースである。カイトと別れてしまったものの、ユリとは同じクラスで、ユリの叔母という人からたくさんのがんに効く料理の本を贈られ、ミリアは毎日忙しく日々を送っていた。

 「うん。お勉強、やってる。」やってるわけがないのである。自宅に帰ってすることはまず料理、それからリョウの見舞に来て夜中まで頑として帰らない。それから週末は仕事、その後はやはりリョウの傍を付きっきりで離れぬのである。リョウもそれは、知っているはずである。

 「成績は、……どうだ?」

 「まあまあ。」そんなわけがない。授業での小テストは落ちに落ち、定期試験も模擬試験も、ど底辺の恐ろしい数値ばかりが並ぶようになってきた。大学、なんて到底考え難いレベルにまで落ち込んでいるのである。

 でも今はそれどころではなかった。実際、ミリアもそんなことで落胆することはなかった。それよりも、とにかく金である。リョウの治療を完遂するために必要な、金。社長から借りた(必ず返すのである、とミリアは決意していた)金はほぼ家賃に当てることとし、食費やその他生活費はどうにか自分でねん出しようと思っていた。社長の思惑も、決して自分が贅沢な生活をするためではなく、リョウを待つその場所を提供するための金だと認識しているに相違ない、とミリアは思っていた。だから、自分の糊口をしのぎ、少々身を小奇麗に保つ(風呂や石鹸等を使う)ためには、――もう術はないのである。

 「ねえ、もしミリアが……。」ミリアの年頭には先立ってカイトから教えてもらったサイトの、グロテスクとも思える男女の絡み合う映像が蘇ってくる。

 「もしミリアが?」

 「……大学生になったら、嬉しいね。」訳の分からぬ言葉になった。

 「そうだなあ、嬉しいな。」しかしリョウはそんなミリアの異変にはついぞ気付かず、満面の笑みを湛えてみせる。「大学卒業して、ちゃあんと一人でも飯食えるようになって、そしたら凄ぇ嬉しいよ。……てか何でお前、泣いてんの?」

 ミリアの頬には涙が伝い落ちていた。

 「何? どうしたんだよ、一体?」

 こんなに自分を思ってくれているのに、裸を晒して他の男と絡んだらリョウはどんな思いがするだろう。悲しむ。怒る。もしかしたら軽蔑されてしまうかもしれない。でもそうする以外に生きる術はない。ミリアは苦しくて悲しくてならない。

 リョウは慌ててミリアの頭を掻き抱き、背を撫で摩った。

 「お前最近、元気ないな。どうした? 何でも言ってみろ? 入院費なら暫くは大丈夫だから心配すんなよ……。」

 「違う、違うの。」

 「じゃあ、学校のことか? 心配しねえでお前は勉強してろ。大学の費用はこれから俺が何とかするから。」

 「違うってば。」

 リョウが黙りこくったのを不安に思い、ミリアは「こうやって、たまに、ぎゅっとして。……もう元気になった。」そう言ってミリアは力なく微笑む。そうするしかなかったから。

 リョウは溜め息を吐きながら、再び強くミリアを抱き締めた。何か、ある。ミリアは何か一人で抱えようとしている。その直感だけが鋭く働いた。

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