18
ミリアが無言でリョウの手を握りしめていると、そこに先程の看護師がニット帽を手にやって来た。「お待たせしました。乾燥終わりました。」
ミリアは視線だけで答えようとするリョウの代わりにそれを受け取り、頭にすっぽりと被せてみた。
リョウはどうにか苦笑を浮かべると、「似合うか?」と小声で尋ねた。気分は最悪である。今にも吐きそうであるが、吐けば胃が、喉が、痛むだけである。リョウは幾度にもわたる嘔吐からそれを学んでいた。だからリョウは極力吐き気を意識せぬように、気持ちを他所に持っていく以外になかった。
ミリアは困ったような顔をしたまま、目を瞬かせる。
「何だよ、似合わねえのか。……あ、そうかお前はロン毛じゃねえとダメだったんだよな。ロン毛フェチだもんな。」リョウは苦痛を紛らわせるように、そんなことを口にした。
「違うもん。」
「んじゃ、どこの誰だよ。床屋に怒り爆発させて乗り込んできた野郎は。」
「怒り爆発なんて、ミリア、してないもん。」
「嘘つけ。せっかくお前が学校行ってる時狙ったのに、怒り心頭で乗り込んでくるんだもんなあ。」
ミリアは思わず頬を紅潮させ黙した。
「でも、ダメだかんな。ロン毛に言い寄られて見境なくひょいひょい付いて行くのは。」悪戯っぽく笑う。
「ミリアはそんな、そんな、浮気者じゃあない!」顔を真っ赤にして抗議する。
「そうか? 心配だなあ。」リョウは力なく笑みを浮かべてみせる。
「ミリアはロン毛が好きなんじゃないの。リョウが好きなの。そんでリョウがたまたまロン毛だったの。それだけなの。」
口からぺっぺと唾を吐きながら熱弁を揮う。リョウはおかしくてならない。
「ミリアは、リョウがロン毛だったらロン毛が好きで、坊主だったら坊主が好きで、ちょんまげだったらちょんまげが好きなの。だからねえ、リョウなら何でもいいの。リョウがいいの。」
「……そうか。」これ以上引っ張り続けるのも気の毒な気がして、リョウは「……なら、良かった。」と呟くように言った。
ミリアはふう、と胸をなで下ろす。そして机の上にタッパーを並べ、「一つだけでも、食べて。」と言った。タッパーの中にはたくさんの色とりどりのフルーツが詰められている。オレンジにバナナ。キウイフルーツ、りんご。
「あのね、可愛く剥いて来たかったんだけれど、クリーンルームは皮付きのまんま持ってこないとダメなの。だから、どれでも好きなもの、今剥いたげる。りんご、ウサギさんにもしたげる。一口だけでもいいよ。」
そう言われてリョウはまじまじとタッパーを見詰めた。食欲などというものは完全に死滅したようにも思えるが、ミリアの懇願を拒絶するのも忍びなかった。どれか一つを選ぼうとじろじろと見ている内に、これら季節外れの果物は高くないのだろうかという疑念が頭を過り出した。「……お前さ、金、大丈夫なの?」と問うた。
ミリアは一瞬ぎくり、としたものの慌てて笑みを拵え、「あるよ。」と答えた。「全然、ある。」しかしミリアの頬は紅潮していく。掌は汗ばんでいく。悟られぬように、そっとスカートの裾で拭った。
「入院費が結構かかっちまってるから、お前の生活費あるか心配で。」
ミリアは笑おうとしてできず、怒りを含んだ表情で答えた。「リョウはそんなことちっとも心配しなくていいの。そんなことは。」
「こんなことになるんなら、もっと金貯めとくべきだったなあ。と言ってもそんな手立てもねえんだが……。」
「大丈夫。ミリア、売れっ子だから。」
「お前のは手付けんな。お前の将来のための金だからな。さすがにお前の金奪ってまで病気治そうなんて思わねえよ。」
「何でそんなこと言うの!」怒気を帯びた叫びに、リョウは最早ミリアは自分の稼ぎを生活費に、あるいは入院費に投じていると直観する。ああ、ミリアの給料を入れているカードの暗証番号をミリアの誕生日なんぞにしおいたから、引き落としも容易なのであろう。リョウは己の安直さに一瞬顔を顰めた。
「お金なんかよりリョウのことが一番大事でしょ? リョウが治るためならお金なんて全部あげる。いらない。」
リョウは深々と溜め息を吐いて、「……あのさ……、否、わかった。ありがとう。まあ、それは、それとして……、いい加減ギター売ろうと思うんだけど、お前夜なら家いれるよな? 知り合いの楽器屋に出張買取してもらうからさ、その時家に……」
「そんなの必要ない。」ミリアはリョウを睨んだ。「ギター売らない。全部リョウのだもん。全部リョウに弾いてもらうの、待ってるんだもん。」
「こいつと」とKingVをちらと見た。「お前のFlyingVはさすがに売らねえよ。でもそれ以外に、何本あるよ。別に入院費云々は置いといてさ、元からあんなにはいらなかったんだよ。だから、今度楽器屋に話つけて……」
「否! 売るっていうんならミリアが買う。」
リョウは重苦しい溜息を吐いた。
「……リョウのなの。リョウのギターなの。もう、お金のことは言わないで。まだいっぱいあるんだから。心配しないで。リョウのお金、いっぱいある……。」
嘘を、リョウはそう解した上でくるしく聞いた。そうするしか、なかった。しかしそうしつつも、一体どうしたらミリアの生活が成り立つであろうかと、そのことばかりが胸を重苦しくさせた。一種、自分の治療以上にそれはリョウを苦しめた。