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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 「リョ、ウー!」小声で叫ぶという妙技を披露しながらそこにミリアが入って来た。

 カーテンを勢いよく開けた瞬間、そこにいつもの看護師がいるのに気付いてミリアははっと顔を赤らめ「……こんにちは。」と呟いた。少女が妙齢の女性に憧れと共に一種の劣等感を覚えるように、ミリアもリョウの世話を焼くこの看護師にそれらの相反する感情を抱いていた。

 自分は常にはリョウの傍にはいられない。学校にも行かねばならぬし、仕事だってある。その間この女性がリョウの世話を焼いているのだ。それは羨ましいと同時にリョウの心を奪ってしまうのではないかと危惧する所でもあった。

 「毎日ご苦労様。学校終わったんですね。」

 「うん、そう。」ミリアは恥ずかし気に風呂敷包みを、テーブルの上ではなく、そうっと椅子の上に置いた。自分が持ってきた料理を、この女性にあれこれ検分されてしまうのが気恥ずかしいのである。

 「おお、また夕飯作ってきてくれたのか、お前のは格別旨いからな。」リョウは上半身を起こしながら感嘆の声を上げた。看護師がベッド脇のスイッチを押してベッドごと起こしてやる。

 ミリアは思ったよりリョウの顔色が良いことが嬉しくてならず、抱き付きたくて堪らなくなる。しかしここには、綺麗で、賢そうな大人の女性がいるのだ。兄妹で抱き合ったりしたら、変だと思われる。ミリアはそう思うことで衝動をどうにかこうにか抑え込んだ。看護師をちらちら見ながら、ミリアはスカートの裾を正しつつ大人しくパイプ椅子に座った。

 「ねえ、由比さん、こいつ、小学生の頃からね料理大好きで、ずっと調理部入ってて、もうプロ並みなの。」

 ミリアは頬を赤らめた。リョウがこの女性の前で自分を褒めてくれることが、自尊心を甚くくすぐる。

 「それで毎日夕飯作ってきてくれてるんですか。高校生なのに、凄いわあ。私なんて、看護師なのに外食ばかりで全然ダメなの。教えてもらいたいわ、料理。」

 ミリアは慌てて首を横に振った。「本読んで、作っただけなの。がんに効く料理の本を、ユリちゃん……クラスの友達が貸してくれたから。」

 「熱心なのねえ、お兄さんのために。勉強だって忙しいでしょうに。ねえ、黒崎さん。」そう言って看護師は意味深にリョウの顔を見据えた。

 「あ、……ああ。」リョウはごくり、と生唾を呑み込む。

 「そういう、……そういう所が、その……可愛いよな。」

 ミリアの頬がぴくり、と痙攣した。

 「可愛い? 今、リョウ、ミリアのこと、可愛いって、言った?」

 ぐい、とミリアの真顔がリョウの目の前まで迫る。

 「あ、あの。顔じゃねえぞ、そういう、思いっていうか挙止動作っていうか……。」

 ミリアは矢も楯もたまらず抱き付いた。最早誰の目も気にならなかった。

 「まいんち、まいんち、リョウの所来るから。おうちにいてもしょうがないの。だってリョウがいないんもん。でも早く帰ってきてね。みんな待ってる。」

 「みんなって誰だ。」

 「ギター。」

 看護師は噴き出して、慌ててカーテンを捲り上げ、その場を立ち去った。

 「そうそう、あのね、今日のご飯。」ミリアは看護師が去ったことで初めて、持ってきた風呂敷包みをテーブルの上に置き、解いた。中からは色とりどりのタッパーが出てくる。「リョウに一番必要なのはビタミンでしょ? お野菜でしょ? 豆でしょ? クリーンルームに持って来るために、豆は火も通してあるから、大丈夫。」

 「肉は必要じゃないのか。」

 「うん。」

 「ラーメンは? ビールは?」

 「ちっともちっとも必要じゃない!」ミリアは眉間に皴を寄せて答える。

 「そうか。」

 「だから、今日もこれちゃんと食べてね。そうすれば治るから。」

 リョウは微笑もうとして、何だか次第に気分が悪くなってきているのに気付いた。吐き気がする。ふと、これが抗がん剤の副作用というものか、と思い至った瞬間、突然猛烈な吐き気に襲われ、リョウはそれでも一瞬身を捩って一応ミリアの反対側に顔を向けて勢いよく嘔吐した。

 「リョウ!」

 異変を察知した看護師が慌ててカーテンを捲り上げ、タオルでリョウの顔を拭った。それから、ペーパーで床を拭き始める。

 「済みません、マジで、済みません。」

 「いえいえ、まだ吐き気は続くと思いますからベッドに凭れて、ゆっくり深呼吸してください。よかったらこのトレイ、使って下さいね。」

 看護師はそう言ってリョウの手元にシルバーのトレイを差し出した。

 ミリアは顔面蒼白となりながら、その場に立ちすくんだ。

 看護師は手際よく吐しゃ物を片付けていく。その様をミリアは微動だにせず見下ろすことしかできなかった。

 やがて、鼓動が収まると、「リョウ、気持ち悪いの? 点滴すると、気持ち悪くなるの?」と悲し気に問うた。

 リョウはしかし、「ああ」と溜め息だか肯定だかわからぬ声を発したきり、枕にぐったりと頭をもたげたまま、幾分充血した目でミリアを呆然と見上げた。

 ミリアは悲しくリョウの手を握りしめた。「辛いのミリアが代わってあげたい。リョウの辛いのよりミリアの辛いの方が大丈夫だから……。リョウ、リョウ。」ミリアはリョウの手に自分の顔を押し当てて、泣いた。

 それからリョウは三十分ごとに嘔吐し、そのたびに忙しなく看護師がトレイを洗浄した。最後には胃液しか出ずに、リョウは苦し気に胃の辺りを手で抑え出す。額には脂汗が浮かび、顔は青白くなった。ミリアは始終その隣でがたがたと震えていた。

 そうして点滴が終わり、暫くすると、少しずつリョウは落ち着きを取り戻した。

 「ひでえ所、見せちまったな……。」

 ミリアはうんうん、と首を横に振る。今度は熱が上がってきたのか、顔を真っ赤にしている。看護師が慌てて氷枕を作り、リョウの頭に置き、解熱剤を飲ませた。

 リョウは氷の感触に身を委ねるが如く再びぐったりと目を閉じた。ミリアは暫くその顔を眺めていたが、やがてリョウの手を握ったまま自分も目を閉じた。

 既に面会時間は過ぎ、外は真っ暗であったがここを動くことはできなかった。ここでリョウと同じ夢をここで見たかった。リョウと一緒であれば、どんな辛い夢でもよかった。でも目を閉じた時に思い浮かぶのは、今まで見たことのない壮絶なリョウの苦しみの姿で、ミリアはそれだけは耐えられなかった。

 あのリョウが。いつも最強の存在だったリョウが、点滴をされて嘔吐に苦しんでいる。どれだけ辛いのだろう、どれだけ苦しいのだろう。ミリアは声を上げて泣きたかった。しかしリョウの前ではそんなマネはできない。

 ミリアは嗚咽を呑み込み、リョウが目を閉じているのを確認すると、クリーンルームをふらふらと出た。ぱたん、と背中でドアを閉めると、わあ、と声を放ってミリアはその場にしゃがみ込んだ。両手で口をしっかと押さえるものの、悲嘆の声は漏れ出してしまう。ミリアは肩を震わせながらそのまま暫く泣き続けた。

 気付くと目の前にはナースシューズが見えた。不審に思って視線を上げると、先程の看護師がそこに立っていた。ミリアは思わず泣き腫らした目を反らした。こんな無様な様子を、患者の家族として失格の姿を、見られたことが恥ずかしくてならなかった。

 看護師は座り込んでミリアにティッシュボックスを差し出した。ミリアは無言で一枚、二枚、そこから引き抜くと目を抑え、鼻をちんとかんだ。

 「黒崎さん、自慢してるんですよ。ミリアさんが雑誌モデルやるぐらい可愛くて料理も上手で、ギターも上手だ、って。」

 ミリアは悲しいままの表情で看護師を見上げた。

 「黒崎さんがなんで辛い治療に入ったのだか、わかります? ミリアさんと暮らすためです。ミリアさんのことをとても一人にはできないって、決意して治療に挑んだんです。」

 ミリアの双眸から涙が零れ落ちた。

 「でも、でも、……リョウが辛そうで、見てられないの。見てると、泣いちゃうの。元気な風に、してられないの。どうしたらいいの。」

 看護師は丸めたティッシュをミリアの手から引き剥がし、そのまま温かくミリアの手を両手で包み込んだ。

 「傍にいてあげてください。それだけで、十分ですから。これから2クール、3クールと治療は一か月間続いていきます。それが上手く行ったら、その後は手術です。黒崎さんの治療は今日始まったばかりなんです。」

 ミリアは決意を込めて肯いた。「……我慢するけど、たまにはここ、出た所で、泣いてもいい?」

 「ええ。そうしましょう。吐き出しながら、一緒に支えていきましょう。ミリアさんの辛いこと、苦しんでること、なんでも言って下さい。遠慮なさらずに。」

 ミリアははっとなった。常にリョウの傍にいて世話を焼くことができる看護師に対して抱いている、劣等感や嫉妬のような醜い感情がにじみ出ていたのかもしれないと思い、頬を赤らめた。

 「ごめんなさい。」

 看護師は首を傾げた。

 「これから、よろしくお願いします……。」敗北宣言、ではなかった。リョウの決意を込めての闘いの前で、邪魔立てだけはしたくなかった。そんなプライドは、一切無用であった。

 看護師は「こちらこそ、よろしくお願いしますね。」と微笑んだ。

 「……ミリア、リョウの奥さんなの。」しかし思わずミリアは口走った。どうしても、このことだけは譲れなかった。

 「知ってますよ。」

 そう言われてミリアは目を丸くした。

 「結婚式挙げられたって。リョウさん嬉し気に語っていましたよ。」

 「本当?」ミリアは目を瞬かせた。リョウが結婚の話を他人にするなんて、信じられなかった。結婚式だって、あれは承諾を得ず、有無を言わせず、自分が勝手に挙行したのだ。意味のないことだ、詐欺だと言われたって仕方のないことだとさえ思っていた。

 「ミリアさんがとっても綺麗だったって、言っていましたよ。」

 ミリアは鼓動の激しくなるのを感じた。

 「見て。」ミリアはそう言って制服のブレザーを捲って薬指にはめられた小さなダイヤの指輪を見せつける。

 「まあ、結婚指輪?」

 「そうなの。リョウが買ってくれたの。」

 看護師とミリアは見詰めあってふふ、と笑い合った。

 「リョウの顔、もう一回見てくる。」ミリアは再びクリーンルームへと入って行った。その後姿を看護師は微笑みながら眺めていた。

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