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フェスは順調に進んで行った。Last Rebellionもほぼ予定時間通り、前のバンドの演奏が終わるや否や、幕を下ろし即刻準備に入った。
「大丈夫か。」
FlyngVを抱えてとぼとぼとステージに歩いて来たミリアに、シュンが咄嗟に歩み寄って言った。
「弾けるか。」
ミリアは小さく肯く。
シュンは今度はリョウに歩み寄って、耳打ちした。「おいミリア、元気ねえじゃねえか。大丈夫なのかよ。」
「大丈夫だ。」リョウは何でもなさそうに、足下のエフェクターを設置しながら答える。
「マジかよ。」
「あいつはくたばってもステージ放棄するようなことはしねえ。そんで一旦ステージ立ちゃ、最高のパフォーマンスをする。」
そう言ってリョウはアンプの電源を入れ、エフェクターをセッティングし始める。その隣ではミリアも同じく準備を始めていた。シュンは心配そうにミリアを見下ろしてから、自分の準備を始めた。
セッティングを終えたリョウがギターを爪弾きながらふと後方を振り向くと、ミリアのアンプの上にはカウボーイハットが置かれているのが目に入った。リョウははたと手を止めそれに見入った。
あれは、ジュンヤへの土産であるからこそ、自分と同じ風景を見せる必要があったのではないか。しかし今やあれは主を喪った土産である。ミリアは何を思ってステージにあれを置いたであろう。単なる惰性とは思われない。ミリアはジュンヤが夢で伝言したという通り、ジュンヤを近くに感じながらステージに上がりたいと自らも懇願しているのだ。どうして? --寂寥感、孤独感、悲嘆、痛苦……。否、追善。
リョウはふとそう思い至り、突然ソロを奏で始めた。天まで届けとばかりの、うねりくる、ソロを。
ミリアははっとなってリョウを見上げた。リョウは笑顔で顎でしゃくって、ハモリを促した。ミリアは心得顔に肯いて、僅かなズレもなく完璧に合った呼吸でリョウの音に重ねていく。
シュンとアキは安堵の微笑みでアイコンタクトを交わし、それに合わせる。
――あなたの肉体は滅びても、その汚れ無き魂はここに確実に受け継がれている。悲嘆も絶望も全て呑み込んで音に昇華し、全てを悠々と見下ろす気高き女神によって。あなたはこれを生み出したという一点においてだって、自分の人生を最大限に称賛していい。なぜなら受け継がれた魂が今宵も幸福を世界に齎すのだから。
リョウはそう叫ぶ代わりに音を奏でた。ミリアの目じりから涙が一筋零れ落ちた。幕の向こうから耐え切れぬといった客の歓声が上がった。出番の合図がステージ横から出された。
Last Rebellionの最初の一音と同時に、幕が引き摺り下ろされる。目の前には既に興奮に襲われた観客たちが押し寄せていた。
リョウは情け容赦もなしにデスボイスをがなり立て、その隣でミリアは峻峭な顔付きで観客を睨み下ろした。力強いリフが会場全体を振動させていく。
すぐさま拳が突き上げられ、曲を熟知している風の観客たちに当のリョウが驚嘆した。その隣ではミリアもまた、観客の口が歌詞をはっきりとなぞっていることに驚いた。ナカジマがこちらでもCDが売れているのだと言っていた、その言葉が今はっきりと解されてきたのである。
ミリアはモニターアンプに足を置き、睨み付けるようにしてリフを刻み続けた。この耐え難い苦しみを、このどうしようもない哀しみを昇華しようと思えば、今自分たちが生み出しているこの音楽に自我を埋没させる以外にはなかった。ミリアは時折発作的に喚き散らしたい衝動に駆られながら、それを忠実に音にしていった。
ミリアが愛らしい少女に過ぎないと思い込んでいた連中は、その様に恐懼の念を覚えると共に、その意外性に更に熱狂した。ミリアの前では猛烈な勢いを有するサークルピットが生じ、メタルファンたちの熱気が渦となって充満していった。しかしミリアは僅かにも満足げな顔することなく、ソロの到来と共にステージの中央に進み出、観客の全てを圧する音を奏でた。バックでリフを刻んでいたリョウさえも、一瞬瞠目してしまうような気迫と、緊迫感、リアリスティックな絶望がそこには生み出されていった。
ミリアは最後の一音を延々と伸ばし切ると、くるりと身を翻しリョウを救いを求めるように一瞥した。その一瞬だけ、ミリアは少女の顔に戻った。父を亡くし、どうしようもなく苦しく、悲しく、その理不尽さに怒りを覚える、いたいけな少女に……。リョウは任せろ、と言わんばかりに代わって中央に進み出た。観客の絶叫が更に高まった。
ジュンヤがミリアに言った、「幸せに」という言葉が耳朶から離れない。自分だってミリアを幸せにしてやりたい。世界で一番、幸せにしてやりたい。でも幸せとは何なのか。ただぬくぬくと笑みを溢していられるのが幸せなのか。自分は、そうは、思わない。自分にとっての幸せとは、現実におけるこの人生で、だから不幸も理不尽も盛りだくさんのこの現実で、それらを受け入れながら、それら全てに意義を見出し、一つ一つ昇華をして音にしゆくことだ。それは世間でいう幸せからは懸隔したものなのかもしれない。しかし自分にとっての幸せはこれ以外には考えられない。それは自分がデスメタルのバンドに身を投じ、そのリーダーとして曲を生み出す立場にいるから、であるというのは論を待たぬところである。でも、いかに社会が発展しようが、科学が進展しようが、不幸は一つもなくならなかった訳ではないか。というよりも、消えた不幸の分だけ確実に新たに生じたというのが事実ではないか。だとしたら永遠に払拭し切れぬ不幸を呑み込み、生きることこそが追い求めるべき人生なのではないか。
リョウはそんな思いで一曲目を終えると、ちらとミリアを一瞥する。
ミリアは眼光も鋭く、客を見据えている。否、自分を――?
アキによる二曲目のカウントが始まった。リョウは地を砕けよとばかりに、強烈かつ攻撃的なリフを刻んでいく。ミリアもそれに僅かにも劣らぬ音でもって曲の土台を築き上げていく。そうでもしていないと、頽れてしまいそうであった。自分という存在が砕け散ってしまいそうであった。
―-パパ、パパ、どこにいるの? どうしてこの世からいなくなってしまったなんて言うの? そんなの嘘でしょう? どこかにいるのでしょう? 世界中のライブハウスを探したら、きっと「見つかっちゃったな」と照れ笑いして出てきてくれるのでしょう? 早く、早く、出て来てちょうだい。
ミリアは涙を振り払い、嗚咽をする代わりにリフを刻んだ。もしギターがなければ、音を出す場がなければ、自分の心は微塵に粉砕してしまったことであろうとミリアは感謝を覚えた。この場が与えられて良かった。この場に立てる才と環境とに恵まれて、自分は幸福であった。これがあれば、何だって乗り越えられるから。何にも危惧しなくて済むから。
ミリアはきっと前方の観客たちを睨み、ステージ中央に歩み出た。絶望から這い上がり、天にまで到達せんとする強靭さを籠めて、ソロは奏でられる。タッピングによって高みに上り詰めた音階は、天を劈くようなビブラートで終息した。「……パパ。」ミリアの口はそう形作った。
その隣にぴったりとリョウが歩み出た。荒々しさの中に明確な強さを持った音。必然的にそれはミリアの心を激励する。俺もジュンヤさんも、ここにいる。お前は一人ではない。だから何があってもこの世の生み出した絶望に負ける要素なんぞ、ない。
ミリアはリョウの音を支えるリフを刻みながら、再び涙を振り絞った。それに気付いた前方にいた観客は息を呑んだ。少女の泣き顔はしかし、同情を誘う類のものではなかった。絶望的なまでの悲嘆に呑み込まれそうになりながらも、必死にそれに抗い、僅かにも屈しまいとする戦いが繰り広げられていた。それは曲と見事なまでに合致しており、幾人かの観客はただ唖然としてステージ上の少女を見上げる他なくなった。
曲は次々に進んで行く。それに伴ってミリアの内面においても、何かが変わりつつあった。リョウの曲に導かれて、全てを乗り越え行く強さが自身の内側に満ち満ちていく。ミリアは幾度も咆えた。ソロで飛翔し、リフで大地を震撼させながら。そして最後の曲にならんとする時、ミリアの頬にこびりついた涙の痕は、笑みに歪んでいた。
ミリアは客を煽り、盛んに自身も頭を振りながら至極攻撃的な音を生み出していった。一切抗えぬ運命というものに対して、それに屈してしまいそうになる自己のどうしようもない弱さに対して、完膚無きまでに攻撃を与えていった。そのミリアの姿に観客たちは心を揺す振られ、一体となりたいと冀い、力の限りに暴れた。最早、自分の目当てとしているバンドまで体力を残存していこうなどという考えは、誰の中からも雲散霧消していた。ここで力尽きて構わない。そんな刹那的な願望が客席を支配していた。
ミリアは最後の音を出したまま、左手で高々とネックを掲げ上げた。観客たちはこの新たな女神を心から賛美し、それに従順とすることを懇願した。その誓願の絶叫が渦を巻いてフロアを埋めていく。そしてミリアは、四人は、ステージを、去った。