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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 「いやあ、最高だなあ。」シュンが満面の笑みで楽屋のソファにどっかと腰を下ろす。

 ここは従来は客室であったのであろう。狭いがソファとテーブルとが中央に備え付けられており、丸くぽっかりと開いた窓からは海の中が見える。

 ミリアは案内されて入るや否や、その丸窓に釘付けとなり、時折通る魚の影を発見しては歓声を上げた。

 「いい感じの適当さだよなあ! まさかリハで二曲もフルで演奏して何も文句言われねえとは、豪勢なこった。」

 「音は大丈夫だったんかなあ。っつうっかちゃんとチェックしてたんか、あいつら。ビール飲んでたじゃねえか。しかも瓶ごと。」アキが首を傾げる。

 「大丈夫だろ。」リョウが即答する。「アキの最初の一音で俺はイケるって確信した。」

 「皆さんお疲れ様です。」四人を案内するなり姿を消していたナカジマが、数人のローディーを従えて飲み物とハンバーガーやらサンドウィッチやらの軽食を持ち運んできた。そしてそれらをテーブルに並べていく。「いやあ、素晴らしかった。本番が楽しみです。……あとは、出番まで三時間。開場になるともう外には出られませんから、こんなものでも召し上がって待っていて下さい。まあ、開場までは自由に船内を歩いてもらっても結構ですけれど。」

 「今の奴等みてえに、他のバンドのリハで暴れててもいいんか。」シュンが尋ねた。

 「もちろんです。」ナカジマはそう言って頻りに肯いた。

 「はあ。……マジで自由の国だな。」リョウが感嘆したその時であった。尻ポケットに入れた携帯電話が振動したのは。リョウは一瞬何事かとぞくりと身を震わせて、映し出された画面を見た。――ジュンヤさん母(日本)。

 リョウは決然として立ち上がり、無言で楽屋を出た。

 「もしもし。」足は早まり、自ずと突き当りまで行って止まった。

 「もしもし。……リョウさん、の携帯ですか。」遠くくぐもった声はマサヤであった。リョウは不吉な予感、というよりは絶望的な確信に既に目の前が真っ暗になった。

 「そうです。」

 「リョウさん。お忙しい所済みません……。先程……午後九時二十分、ジュンヤが亡くなりました。」悲痛な響きをどうにか押し止めているのがはっきりと分かった。

 「あっと、いう、間でした。……最後に意識が戻った時、ああ、もう、昨日になるのか、昨日の夕方……、ジュンヤはミリアさんと一緒に弾いた音楽を聴きたいと言いまして、私は最初は何のことだかさっぱりわからなかったのですが、母が言うには、あなた方が遊びに来て下さった時に、一緒にギターを弾いていたと。その時録音したものがあるのかもしれないと言い出しまして、私は慌ててジュンヤの家に行き、レコーディングルームを漁ってみますと、『ミリア』とタイトル表示のある、デッキの中に入っておりましたデータを見つけ、これだと確信して病院に戻りました。……しかしその時には既にジュンヤの意識はなくなっていたのです。……でも母が、耳は最後まで聴こえているからと、看護師さんからデッキを借りてそのデータをジュンヤの枕元で流しました。そうしましたら不思議なことに、低下する一方であったジュンヤの血圧はそれで少し、持ち直したんです。私たちはずっとずっとその曲を掛け続けました。ジュンヤの口元がほんのり綻んだようになって、ああ、嬉しいんだ、というか、ミリアさんと一緒にギターを奏でたのがよほど嬉しかったんだ、ということがはっきりわかりました。……それから数時間後、ジュンヤは、眠るように、満足そうに、……至極穏やかに旅立ちました。」

 「……済みません。」リョウが口に出来たのはそれだけだった。自分がミリアを連れてきてしまったから。そういう価値観を、無垢なミリアに教え込んでしまったから。そう思えば単なる絶望というよりは罪悪感と、それからあれ程の才を有したギタリストがこの世から消えてしまったという非情さに、足元から崩れ落ちそうにさえなった。

 「いえ。……あなたがジュンヤにミリアさんを合わせて下さったことで、ジュンヤの人生は本当にいい、素晴らしい、最後を飾れたんです。感謝してもしきれません。……母はまだ混乱していて話ができないのですが、母もきっとそう思っているはずです。」

 リョウは頭を振った。「俺がミリアを連れてきてしまって……、ジュンヤさんの人生の最期を……。」リョウは嗚咽が出そうなのを、必死に留める。楽屋からは遠く、ミリアとシュンの笑い声が聞こえてきた。

 「ジュンヤは音楽家です。おそらく彼は小さい頃から音楽家でした。音楽を生み出すということに、全てを賭すのが当然だと考え、それを実践していました。いいフレーズが浮かんだといって勝手に学校を早退して家で録音をしていて問題になってしまったこともありましたし、夜中練習をしている時にギターの弦が切れてしまって、楽器屋に店を開けてくれるよう必死になって交渉していたこともありました。そういう人間なんです。音楽家なんです。その音楽家がステージを投げ出して親の死に目を優先させるなんてことは、許されません。仮にミリアさんがそんなことをしたら、……ジュンヤはさすがに怒りますです。」

 リョウはこめかみを抑えながら、「その、……通夜とか葬式は。」と声を絞り出した。

 「これから葬儀屋さんと話し合います。おそらくは明日、明後日ぐらいになるかと……。でもそんなことは気になさらず、どうぞ最後までコンサートを頑張ってきてください。ミリアさんはそこにいらっしゃるのですか?」

 「いや……。」

 「ああ、良かった。ジュンヤのことは、……ミリアさんには全てが終わって落ち着いてから話して下さい。コンサートに集中できなくなったら、可哀そうです。」

 「そういう訳には……。」と言いかけてリョウは、背後でシュンと騒いでいるミリアの声を聞く。もしライブの三時間前に愛する父親の死を聞いたら、マサヤの言うよう、絶対に平常心ではいられないであろう。まだ十八なのだ。感情をコントロールし切れるような年代ではない。ましてやミリアはあれだけジュンヤを慕っていたのだ。ギターの腕も人柄も。何よりも血の通い合った実父なのである。そんな大切な、かけがえのない人の訃報を聞かされたら――。リョウはとてもではないがライブを完遂できる未来を予想することはできなかった。

 「済みません。今リハ終わったばかりで、三時間後にライブで、それが終わったら……。」そう言ってリョウはにわかに反吐の出そうな甘さを感じ、顔を顰めた。父親の死を知らされずにいることが、そんな暴挙が、配慮の形を取ろうとしていることに突如許せないと思い始めたのである。それはミリアのギタリストとしての覚悟を軽視することに繋がるのではないか。ミリアの人間的強さを、信じないということになるのではないか。

 「ダメだ、違う。ミリアには今、言います。そんな大事な話を、俺の勝手な判断で内緒にしてていい訳がねえ。済みません。通夜も葬儀も参列はできませんが、ミリアと一緒にこっちで、ジュンヤさんの冥福をお祈りします。」

 「ご無理はなさらないで下さい。あなた方のコンサートが台無しになってしまったら、ジュンヤも無念です。」

 「大丈夫です。俺らはデスメタルバンドすから。絶望を糧にして曲を生み出すんです。そういう音楽なんです。」

 暫くの沈黙があった。

 「……わかりました。ご一任致します。ありがとうございます。」ほっとしたような溜め息が聞こえた。「ジュンヤの死を、受け止めて下さって。ありがたいです。」

 「いえ、そちらも……これから、葬儀等の準備、ご心労も嵩むことと思いますがどうかよろしくお願いいたします。お母様も高齢ですからご無理をさせぬよう。」

 「ありがとうございます。」

 電話を切るとリョウの身はずしりと重くなり、そのままずるずるとしゃがみ込み、何も考えられなくなった。あの、稀有な音を生み出す天才ギタリストが、この世からいなくなってしまった。ミリアを愛したあの男が、この世からいなくなってしまった。リョウはまずは自身でしっかと現実を受け止めなければならないと思いつつ、なかなか立ち上がれなかった。しかしいつまでもこうもしていられない。ミリアに伝えなければならない。

 ちら、と視線をやった楽屋からミリアの声が聞こえてくる。

 「ねえねえ、こっちのミリアのオウレンジジュースも飲んだらいいわよう。こーんな大っきいのに入れてくれるんだもの、全部飲んだらお腹がポチャになっちまう。」

 「アメリカっつう国は加減を知らねえんだろなあ。何せでけえ国だから。」

 「アメリカは昔っからどこもかしこも、こーんな大っきいのに入れることに決まってたのかしら。パパもライブ前にこーんなビール出されて、お腹ポチャにしてたのかしら!」ミリアの笑い声が響く。

 リョウは数度頭を横に振り、それから満身の力を籠め立ち上がった。

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