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翌朝、リョウが眩い旭日の光と共に目覚めると、既に隣のベッドではミリアは目を覚ましていた。とはいえ、目覚ましが鳴った様子はない。ミリアは目をうっすらと開いたまま起き上がるでもなくベッドの中で、茫然と天井を見上げているのである。その頬に涙の跡があるのを認め、リョウは上半身を擡げると「どうした。」と掠れた声で訊ねた。
しかしミリアは天井を見詰めたまま、ただ瞬きを繰り返すのみで答えない。
「どっか具合でも悪ぃのか? 寝れなかったのか?」
「……違う。だいじょぶ。」ミリアは顔を掌で覆う。「ちょっと、……嫌な夢を見ただけ。」
リョウは安堵の溜め息を吐き、「まあ、時差ボケとかそういうののせいもあんだろ。何せ十六時間も時差があるっつうんだからな。でも今日はライブだぞ、イケるか。」
「イケる。」ミリアは短く答えて、目を擦った。
一体ここまで酷くミリアを落ち込ませる夢がどんな内容であったのかということは正直気にはなったが、それを言語化することでミリアが余計に落ち込んでしまうことはこのタイミングでは絶対に避けたかった。何せ、アメリカ初のライブなのである。種々のメタルバンドを輩出したこの大地でのライブで、失敗は絶対に許されない。
リョウはさっさと起き上がるとカーテンを勢いよく開け、「今日も天気いいな。海の上でのライブだぞ。陸上とはどう違ぇんだろなあ。楽しみだよなあ。」とどうにかミリアの機嫌を前向きにしてやろうと言葉を継いだ。それにミリアも促されゆっくりと、というよりは脱力し切った様子で起き上がると、ふらふらと洗面所に赴き口を漱ぎ着替えを始めた。
階下の食堂に降り立ち、パンにスープといった簡単な朝食を摂ると、四人は今日の会場となる海辺に停泊してある船へと徒歩で向かった。
海上に大きな豪華客船が見え出した時には、リョウたちは瞠目しながら、「あれなのか?」、「あれじゃねえよな。」、「でもあれしかねえぞ。」等と短い言葉を交わし合い、それでも高まる興奮に次第に足を速めていった。
そうして目前に迫った、かつて四人が四人見たこともない豪華客船にはMonster of Metal Festivalの大きな垂れ幕が降りており、「やっぱこれかよお! マジかよお!」とシュンが大声を上げた。
それまで何とはなしに元気を失っていたミリアもみるみる頬を紅潮させながら、リョウの手を強く握りしめた。
「お、お船! お船ってこんなにでっかいの?」
「ま、待て待て。」とは言いつつ、リョウも事態をまだ呑み込めないのである。ミリアの今にも走り出しそうな腕を引っ掴んだまま陸から掛けられた桟橋を進むと、そこには数人の若者たちを従え楽器を運び入れようとしているナカジマが四人に気付き、大きく手を振った。
「おはようございます、皆さん! いよいよですねえ。頑張って下さいねえ。」ナカジマはそう言って手短に若者たちに楽器の搬入先を指示すると、まるで海賊船の旗を思わせる骸骨のデザインのバックステージパスを四人に手渡していく。「はい、こちらが皆さんの分のバックステージパスです。」裏をひっくり返すと、バーコードが刻まれていた。「このバーコードで飲食もできますから、首に掛けて、なくさないようにしてくださいね。」
「ねえ、このお船すっごいわ! こんなにおっきいなんて全然知らなかった!」ミリアはそう感嘆の声を上げながら周囲を忙しなく見回す。海風がミリアの髪の毛を容赦なく靡かせていく。
「そうでしょうそうでしょう。収容人数二千人! ステージのフロアなんてちょっとしたホールぐらいはありますよ。それに食事や休憩をするフロアも別にあります。もう、これで皆さん方メタルバンドと世界一周なんてできたら幸せでしょうねえ。」そう言ってナカジマは今にも投げ出されてしまいそうなミリアのパスを首から掛けてやった。
「二千人だって。チッタの倍だわね。」ミリアはこっそりと、かつてBlack Pearlの前座として出させてもらった会場の名を告げた。
「そうだな。」リョウもそう答えつつ、デッキを忙しなく行き来しているたくさんのローディーと思しき若者たちと楽器を目で追った。
「リハも朝の五時から始まって、順調の時間通り進んでいます。ですから多分、あときっかり一時間半で皆さんの番が来ますよ。もう機材は運び終えますから、船内の様子やら他のバンドのリハでも見てもう少し時間潰していてください。朝食は食べました?」
「ええ、ホテルで。簡単に。」
「こちらでも食べられますから、もしお腹が減った時にはこのバックステージパスで……、」
言い終わらない内に、「わあい!」とミリアは遂にリョウの腕を振り切って走り出した。
「おい、待てこら!」
「大丈夫ですよ。時間までにステージ脇に来てくれれば何の問題もありません。パスがあれば船内では何でも飲み食いできますしね。」
「マジか。」シュンは目を輝かせながらパスを凝視する。「凄ぇな。」
「演者の皆さんはビールでも軽食でも何でも無料で提供して貰えますよ。皆さん方も演者として観客として、どうぞどうぞ楽しまれて下さい。そう主催者からも言われています。日本人の得意な『お・も・て・な・し』大層気に入っているんですよ。」
「随分太っ腹だな。メタルフェスってそんなに儲かるんか。」アキが腕組みしながら言った。
「ここでの名物になりつつありますからねえ。このフェスをやり始めたばかりの頃は、まあ、メタラーですから長髪に白塗りの方なんかも大勢いて、地元の人々は顔を顰めたものですが、なになに、実際来てみれば見た目に寄らず皆さん礼儀正しい。ゴミ拾いして帰るメタラーたちも大勢いて、まるでびっくりしたんですよ。それに実際観光業界が莫大な利益を得られるようになって、今となっては地元も随分協力的なんですよ。」
「ブラックメタラーたちがゴミ拾いなんかしてたんか。」シュンがそう言って目を瞬かせた。
「あいつらMAYHEMのせいで社会じゃ教会に放火しただの、バンド内殺人やっただの、散々社会じゃあ迫害されてっから、社会貢献頑張ってんだろ……。」アキも茫然と呟く。
「俺、ちっと先にステージ観てくるわ。音響とかどんなもんか気になるし。」リョウはそう言い残すとできるだけ浮かれ足に見られぬよう、慎重に歩み出した。
「俺、飯見てこようっと! なんか食ったばっかなのに腹減ったような気がする。」シュンが去り、「俺もステージ見てくっかな。ドラムセット組んでどんぐれえスペースあっかな。」とアキも歩き出した。
「楽器運び終えたら、楽屋案内しますねえ! 必ず時間までにステージ脇に来てくださいねえ!」ナカジマが三人のLast RebellionのTシャツで揃えた背中に向かって叫んだ。