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暫くの間二人はただ波間に揺蕩うように至極自然にギターを弾き続けた。じっくりとセッションなんぞを二人きりでするのは久しぶりで、リョウもミリアもまるで時間を忘れた。まだ外は明るいのに時差のせいか体は眠りたがっていて、徹夜明けのようなふわふわした感覚があり、いつもとは違ったフレーズが次々に生み出されていくのである。リョウもミリアも時折その意想外さに笑いを漏らしながら、ギターを弾き続けた。するとそこに部屋のベルが鳴った。
リョウが戸の穴から来訪者を覗き込むと、そこにいるのはナカジマである。
「リョウさん、ミリアさん、夕食を食べにいきましょう。」
リョウは驚いて戸を開け、「もうそんな時間か。」と言った。
「そうですよ、美味しいステーキ屋を予約してありますから。しっかり栄養付けて。明日のために。」
「へえええ。ステーキ食べんの?」ミリアも玄関先に駆け出してくる。「リョウ、早く行こう行こう! お肉食べに行こう!」
さんざこれから向かうステーキ屋の自慢を聴かされ、ミリアは「アメリカの人はお肉ばかし食べてるの?」と、荒々しい運転にも慣れ、上半身を運転席に凭れさせながら訊ねた。
「まあ、日本人よりは量的にも頻度的にも多いかもしれませんねえ。でもベジタリアンもいますよ。私の妻もヴィーガンですし。」
「ヴィーガン?」ミリアは首を傾げる。
「そうです。肉も卵も食べませんし、革の服や靴も身に着けません。生き物を傷つけないようにして生きている人々です。」
「へええええ。」ミリアは目を丸くする。「そういう人が、いるの。」
「そうですよ。日本人にもいますよ。」
「ふうん。」ミリアは暫く考え込み、「……ミリアも猫ちゃんは大好きだし絶対傷つけたくないけど、……お肉は食べたいなあ。」と呟いた。
「人は自由です。」ナカジマは晴れやかに言った。「特にアメリカは自由の国ですからね。人様を傷つけたり、迷惑をかけない限りにおいては人は皆自由です。」
「俺も肉禁止は無理だ。」リョウは深々と肯いて言った。「肉なしでデスボイスが出るかっつったらかなりの疑問だな。」
「そうでしょうそうでしょう。これから行くステーキ屋はどんな日本人を連れて行っても美味しいと言いますよ。楽しみにしていてくださいね。」
ナカジマ自身が相当楽しみにしているのか、スピードはぐんぐん上がっていく。ミリアは後部座席に倒れ込んだ。
「そうだ。皆さん、今夜部屋で食べたり飲んだりするものとか、フェスに持って行くものとか、何か必要ですか? スーパー寄りますよ。」
道路沿いにある巨大な建物を指差しつつ、ナカジマは言った。
「これ、スーパーなの?」
「そうですよ。日本のより大分大きいでしょう。」
「へええ! 倉庫かと思った! ミリア行ってみたい!」
「じゃあ、まだ予約には時間がありますからちょっと寄ってみましょうか。リョウさん、シュンさん、アキさん、よろしいですか?」
既に興味津々となっているリョウは、即座に「ああ、いいよ。」と答える。車は急激な左折をしてスーパーマーケットの駐車場に闖入した。
駐車場ではカートに高々と商品を積み上げながら、主婦と思しき女性が車の後部座席にどんどん荷物を入れていく。
ミリアは遠慮なしに車窓からその様子を凝視し、「あの人、随分お買い物すんのねえ。大家族なのかしらねえ。」感嘆したように言った。
「こっちは商品も冷蔵庫もなんでも大きいですからね。週末にまとめ買いするような家庭が多いですよ。うちも大体はそうです。」
「ふうん……。そうだ!」ミリアは突然立ち上がった。「ねえ、スーパーにカウボーイハット、売ってる?」
「お前、スーパーっつうのは食いもんとか飲みもんとかそういうの……。」リョウの発言を遮るように、「ありますあります!」ナカジマが嬉し気に言った。「服でもダイヤでも、なんでもあります。」
「やったー!」ミリアは手を叩いて飛び上がった。「ミリア絶対カウボーイのお帽子が必要なの! 絶対絶対! オシャレなの売ってるかしら? あのね、飛びぬけてオシャレなやつ!」
「どうでしょう。でも本格的なものから子供用まで多種多様にありますよ。実は私もね……この前娘にピンク色のカウボーイハット買ってあげましたばかりなんです。毎日それ被って庭で犬と遊んでいますよ。」
「きゃあ、ピンク!」
「ミリアさんは自分のですか?」
「ううん、違うの。パパのお土産なの。」
リョウはにわかに胸の痛みを覚えた。
「そうですかそうですか。じゃあ大人用ですね。お父さんに似合うの、あるといいですね。」
バンを駐車場に停めると、幾分長旅の疲弊を感じていたリョウたち三人は入り口付近の雰囲気の良さそうなコーヒーショップに待機することとした。ミリアはナカジマと一緒に早足で「じゃあ、行ってくるね。」と言って広大な店内へと入って行く。
「ミリアはどこでも元気だな。」シュンがミリアのみるみる小さくなっていく背を見詰めながら言った。
「……父親のこと、全然言い出しやしねえ。」リョウは不満げとも取れる口調で言った。
「ああ。」シュンは思い出したように言った。「どうなったんだ、ミリアの親父さん。」
リョウは携帯電話をポケットから取り出し確認する。「まだ、……連絡ねえな。」
「そんなヤベエ状態なのか。」
「そうだ。」リョウはきっぱりと言い放つ。「正直……俺はこれで良かったのか悪かったのか、未だわかんねえ。自分だったら絶対ぇ迷うまでもなくここに来てるけど、……あいつは第一フロントマンじゃねえだろ、ギターだろ。それに女の子だ。父親と邂逅したのだってつい最近だ。もっともっと互いに知り合うための時間は必要だったろうよ。」
そこに一人レジへと向かっていたアキが、花瓶のような大きさのカップを三つ携えて戻って来る。
「何だありゃ。」シュンが身を乗り出した。
「おいこら、Mサイズだぞこれで、Mサイズわかるか? 普通っつうことだぞ。」アキはテーブルの上に、コーヒーを置いていく。
リョウはカップを取り中を覗き込んだ。アイスコーヒーが満ち満ちて入っている。
「ほう。これでMサイズか。気前がいいな。好きだぜ、俺は。こういうの。……ま、でも心配することねえよ。」シュンがストローで中をかき混ぜながら言った。「だってお前とあいつとは血は繋がってなかったのかもしんねえけどよお、やっぱお前と瓜二つだもんよ、プレイも音も考え方もさ。小さい頃からお前が育てたようなモンだし、だから、やっぱあいつはあいつの意志でここへ来たんだよ。ちゃんとステージに立つ覚悟も出来てるし、情に流されて生きるような女じゃあねえ。」
「ああ、ミリアの話か。」アキがそう言ってコーヒーを吸い上げた。「あいつは最早完璧女版リョウだよな。」
「何だそりゃ。」
「シュンの言う通り。お前がこうしてえってことは、大概ミリアもこうしてえって思ってるはずだ。お前が悩まねえんだったらあいつも悩んでいる訳ねえよ。喜び勇んで親父への土産買いに行ったしな。」
リョウは黙ってコーヒーを啜った。日本を発った時から抱き続けていた罪悪感めいた思いが薄らいでいく。
「正直、俺はあいつに遠慮したことも同情したこともねえ。どんな音を持ってくんのか、期待してるぐれえなもんだ。だってお前見てるような気がすんだもんよお。」アキは続けた。
「そうか。」リョウは次第に胸中の暗雲が晴れてような感覚を覚える。
「そうそう。たとえどんなに辛ぇことがあったとしてもさ、あいつなら絶対乗り越えてくんだろっつう、そういう信頼があるよな。」シュンがそう言って微笑んだ。「これ思ったよか旨ぇな。」
三人はそれから明日のフェスのこと、次なるフランスでのライブについて話に花を咲かせた。そこにミリアとナカジマが戻って来る。
ミリアは頭に紺色の、そして所々金銀に輝いているカウボーイハットを被っていた。
「お待たせ!」
「何だお前、それ土産じゃねえのか。」
「そうよ。パパへのお土産だわよう! 見て、こんなにおっしゃれーなのあったの! だってね、ほら。」と言って帽子を脱ぎ、リョウの目の前に突きつける。「夜空の星なのよ、これ! ここが北斗七星! ここが北極星! 最初にジュンヤのライブ行った時、窓の向こうはこうなってたじゃないのよう! ミリア、これ見て、一発でこれはパパのお帽子だって思っちゃったわよう!」
「じゃあ何でお前が被ってんだよ。」
「いいの。」ミリアは再び深々とカウボーイハットを被り直して言った。「ミリアとおんなじアメリカの風景をたーっぷり、見せとくの。明日もこれ被って会場行くんだから。でもライブ中はヘドバンしたら吹っ飛んじゃうから、……アンプの上に置いとくことにする。」
「そうか。お前はアンプの上にやたら物置くのが好きだな。」
「リョウが教えてくれたんじゃないのよう。一番最初ステージ上がる時、ミリアがちゃんとできるようにって、猫ちゃんのお人形並べてくれたんじゃないのよう!」
リョウはよくそんな大昔のことを覚えているなと感嘆しながら、「そう、だっけか。」と再びコーヒーを啜り上げた。
ミリアは上機嫌で、「さあ、ステーキ屋さんに行きましょうよう。そんなでっかい飲み物飲んだらお腹ぽっちゃぽちゃになっちまうわよう!」とやたら似合いのカウボーイハットを、人差し指でついと持ち上げ叫んだ。