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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 リョウはいつしか安心感からか微睡み始めていた。水彩画のような取り留めのない夢を幾つも見ていたような気もする。それは自身の大きな夢を叶えるという前兆に相応しく、総じて幸福な夢であった。

 「ねえ、リョウ。起きて。」肩を揺すぶられ、リョウは一瞬ここがどこだかわからなくなった。薄暗く包み込む光――、ここは、天国?

 「ご飯の時間だわよう。」

 前方からCAが笑顔で食事を配膳して来る所であった。リョウは慌ててテーブルを出した。

 「リョウ変なの。」ミリアがくすくす笑ってリョウの腕を軽く叩く。「寝ながら笑ってんだもの。」

 「そうか?」リョウは照れ笑いを浮かべ、未だ夢現を彷徨いかけている目を擦った。

 「アメリカの精鋭に会うのが、そーんなに、楽しみなのね。」

 「……だな。」否定はできずリョウは肯く。

 「でもな」とシュンがぐい、と首を伸ばす。「今回のフェスは世界各国から60バンドも来襲すんだかんな、のんきに楽しみにばっかはしてらんねえよ。」物々しく言った。「俺は負けんのは嫌いだ。」

 「そりゃそうだ。俺だってその他大勢にはなりたくねえ。」アキもぷつんと呟いた。

 「ったりめえだろ。」そう言い放つリョウの口の端にはしかしどうしようもない期待感が滲み、そしてポケットに無意識に突っ込まれた手の先では、園城のピックを確かめていた。「負ける気はしねえ。どんな奴らとの対バンであってもな。やってやる、はっ倒してやるって、俺はいつもそう思ってる。……でも、いつからだろうなあ、完全にそういう気になったのは。」

 「お前最初負ける気あったんか。」シュンが身を乗り出して尋ねた。

 「お前な! 俺がいたいけな子どもだった時はギターだって巧く弾けねえで悩んだし、ステージ上がんのだって緊張したし、ライブでミスって眠れねえ夜もあったし、それなりに苦悩はしたに決まってんだろ。」

 「お前でも普通の人間みてえな過程があったんだな。」シュンが目を見開いて言う。

 「ったりめえだ。」リョウはそう言って舌打ちをする。

 「あのねえ」ミリアは眉間に皺をよせ、言った。「ミリアは、そんなことないの。」

 「なんだよ、そんなことって。」シュンがミリアを見詰める。

 「悩みも、緊張も、眠れないも。」

 リョウが瞠目してミリアを見詰めた。

 「だって最初っからステージにはリョウがいたでしょ。その時、ミリアは小さかったから、ギター弾けないって思われてお客さんにぶん殴られるかもしんないって言われても、ミリアはなんてことないって思ってた。だってリョウが絶対守ってくれるし、パパ……これは昔のパパね、に痛いことされるよりは絶対大丈夫って思ったの。」

 「ミリアの方が肝が据わってんな。」シュンはそう言って噴き出した。

 「まあな。……こいつは俺の妻だから。」

 今度はミリアが驚嘆のあまりにぽかんと口を開けた。そしてリョウ自身、自分は一体何を言っているのだろうと呆気に取られた。ミリアのギタリストとしての覚悟を間近で確認して以来、リョウはミリアに夢中であった。無論それまでもミリアを可愛がってきたのは事実であるが、それは庇護の対象としてであって、対等というものではなかった。それが自分と対等の、あるいは自分をも時に圧倒させる強さを感じ、リョウは痛烈にミリアに対する独占欲を覚えていたのである。

 シュンは噴き出した。「たしかにお前にはミリアしかいねえよ。その見た目からしてミリア以外の女に受け入れられる訳がねえしな。お前な、普通の女はほったらかしにしてギターばっか弾いてたらキレるぞ。」

 リョウは本心を悟られなかったことに安堵しつつ、ポーズとして憮然と腕組みをした。「知るかよ。」

 「ミリアはキレません。」気取った口調で言う。「ギタリストはギターを弾くのがお仕事ですもの。」

 「良かったな!」シュンはリョウの肩を力強く叩いた。「お前の妻に理解があって!」

 ミリアは心底嬉し気に微笑んだ。無意識に左手の薬指に嵌められたダイヤの指輪に手を触れる。それを見たリョウも嬉しかった。安堵感に溶け出してしまいそうに。

 それから四人は食事を摂ると、ミリアは映画を立て続けに三本も見、内容がごっちゃになったままいつしか眠りにつき、それをそのまま反映させた、海賊となり宇宙戦争をしながら、弁護に向かって奮闘するという奇怪な夢を見た。リョウは食事を終えるなりヘッドフォンを付け、EARACHEのオムニバスCDを聴きながら、海外のメタルシーンに思いを馳せた夢を見た。シュンはテトリスから始まって目の前のTVに収められているレトロゲームに片っ端から興じ、アキはワインを飲んだ途端眠気に襲われ、乱気流に伴う揺れにも微動だにすることなく機体が着陸するその瞬間まで眠り続けていた。


 そうして四人は遂にアメリカの地に降り立った。快晴の天気のせいもあろうが、何故だか空は一層高く、青く輝かしく目に映じる。四人は空港を出るや否や、暫く何も言わずただ、その澄み渡った空を眺めていた。この空を、この空気を、この大地を、DEATHやOBITUARYといった、既に伝説となったデスメタルバンドが日常に感じ取っていたと考えると、それはどうしたって四人にとっても特別なものであった。

 そこに、空港前で車を停めていた、「Last Rebellionの皆さんようこそ」の看板を手にした幾分浅黒い肌をした、しかし日本人と言ってもなんの不自然さもない一人の壮年が四人の元へと駆け寄り、「お待ちしていましたよ!」と流暢な日本語で叫んだ。

 「あ、もしかして。」リョウは指差しながら言った。

 「そうです! ナカジマです! アメリカでのツアーに同行させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。」

 壮年は二世で名をナカジマ・ジョージと言った。フェスの主催者の親戚筋に当たり、日本での滞在歴もあり(日本の大学に二年間留学をしていたことがあるとのことだった)、日本語も話せることから、Last Rebellionの世話を一任されたということなのである。

 「あなたたちの音楽は素晴らしいですね。」ナカジマは空港前に停めた古びたバンに四人と楽器を押し込めると、少々荒い運転でミリアを恐怖させながら言った。「このフェスの目玉になると、主催者も言っています。」

 「お世辞が巧いなあ。」シュンが苦笑しながら言う。「さすが日本人の血が混じってるだけある。」

 「お世辞じゃあないですよ!」ハンドルを叩いたので、再び車体が大きく揺れた。ミリアは声ならぬ悲鳴を上げ頭を覆う。「あなたたちのCDはこちらでもとても売れていますし、あなた方を最初にアメリカに呼べたということで、主催者は非常にメタルファンから讃嘆されているんです。」

 「ここの精鋭たち、……ミリアたちのこと、知ってんの?」恐る恐る問うた。

 精鋭? と首を傾げながらもナカジマは、「当然です。少し前まではメロディックデスメタルと言えば北欧至上主義がはびこっていましたが、今ではリョウさんのメロディーは北欧泣かせと言われていますよ。」と朗らかに言った。

 「へええ。日本の音楽をこっちでも聴いてくれてるんか。」リョウは喜ぶでもなく、ただただ感心した。

 「国なんて関係ありません。良い音楽は良い。悪い音楽は悪い。それだけです。単純明快なことです。」

 「至言だな。」アキが呟く。「余計な情報がないっつうのは、ありがてえ。完全音だけで勝負ができる。」ちら、とミリアを見遣る。未だ国内の頭の固いメタルファンの間にはミリアのような少女がギターを弾いていることに対し、批判的な意見もないではないのである。

 「そう。あなた方には十分その資質があります。どうぞどうぞアメリカの大地で大暴れして下さいね。サムライ、カウボーイ! イエーイーー!」アクセルが勢いよく踏まれ、バンは大揺れしながら前進していく。遂にミリアはリョウに抱き付き「きゃああ!」と悲鳴を上げた。それを歓声と勘違いしたナカジマは更にスピードを上げて行った。

 そのお蔭で時間は予定よりもかなり早く着いた。今宵の宿は明日会場となる海辺の目の前にあるホテルである。大きな窓からは、これが日本に続いているのだと感慨深くなる海がどこまでも広がっていた。例に倣って、部屋はリョウとミリア、シュンとアキに分けられた。

 リョウは部屋に着くなり、楽器を紐解くより早く携帯電話の電源を入れた。日本からの着信が無かったかを確認するためである。ジュンヤの容態は決して良くはなかった。いつどう変じてしまうかはわからないのである。

 しかし携帯の履歴には何もなかった。リョウは安堵しつつそこでようやくギターを取り出した。ミリアは既に隣でギターを検分し始めている。「お荷物預ける時にね、絶対にぶん投げたりしないで下さいね、優しくして下さいねって言っといたの。これはミリアにとって本当に、本当に、大事なギターなんですって。」ネック、ボディ、ヘッドを隈なく見回しミリアは安堵の溜め息を吐く。「だいじょうぶだ。」

 そして指のストレッチを兼ねた基礎練習を初めていく。リョウはミリアがジュンヤのことを言い出さないかと暫く緊張していたが、間もなく熱心に弾き出したので自分もまたギターに没頭し始めた。

 日本の築五十年にもならんとする力荘の二階でも、初めて訪れるサンフランシスコの絶景ホテルでも、過ごし方は一緒である。観光に来た訳ではないのだから、そんな言葉を口にするまでもなくミリアはライブだけに全てを集中させていく。

 リョウはそれが頼もしくもあり、寂しくもあった。それで思わず、「そういや、お前さ、カウボーイハットいつ買いに行くの?」と言った。

 ミリアはそれから1フレーズを弾いた後、「そのうち。」と答え、再びギターに戻っていく。リョウは何だか気恥ずかしくなり身を窄めた。

 暫くして、ミリアは指を止め言った。「英語の精鋭をアッと言わせんの。どんな絶望からもひとは這い上がれるって、ミリアの音で証明すんの。人は必ず最後は死んじゃうけど、でも、それまでは全部の力で、全部の気持ちで、全部、全部、意味あることにしてかなきゃなんないって……。」ミリアはしかし、不満げに口を尖らせる。ミリアに語彙力はない。言いたいことがあっても、それは言葉としては的確な形を取らない。

 「大丈夫だ。お前の言いてえこと、わかってっから。」

 ミリアはハッとなってリョウを見上げた。

 「でも、……やっぱ俺以外の人間には伝わりづれえから、ギターで伝えろよ。したら、英語圏だろうが何だろうが通じるから。」

 「そうなの。」ミリアは嬉し気に肯く。「あのねえ、ミリアにギターがなかったら、外の世界と繋がれなかったって思うの。それはとっても怖いことなの。それはリョウに会わなかったらってことよねえ。リョウに会わなかったらミリアはミリアじゃない。そんなの怖くて考えらんない。」

 暫く訪れた沈黙の向こう側から波の音が聴こえ出すのに、リョウは忽然とした気持ちで耳を傾けた。自分もミリアに会わなければどうなっていたであろうと思い立ち、まるで壁に当たったように何も考えられなくなった。そして目の前のFkyingVを抱えたミリアがとても美しく見え出し、衝動的にリョウは立ち上がってその額に接吻をし、慌てて目を丸くした。

 「なあに。」ミリアは嬉し気に額を手で押さえる。リョウはまるで恋を知らぬ少年が初めて芽生えた恋心に当惑するように、困惑し切った眼差しでミリアを見下ろした。

 今度は全ての雑念を押し流すように、はっきりと波の音が部屋の中に響いた。

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