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例によって飛行機の一番窓際の席に座りながら、離陸してからずっとミリアは真剣な眼差しで外を眺めていた。隣でリョウは一体ミリアが何を考えているのか、気になって仕方がないがそれを聞き出す勇気は到底、ない。
リョウの胸中にはバンドのリーダーとしての責任感と、それに向き合った結果の混迷とが芽生え始めていた。つまりは、ミリアにバンドを優先させ、危篤の父から遠ざけたことについて、自分がどう責任を取れるかということである。このツアーに参加させたということでミリアが親の死に目に遭えぬようになるかもしれないという事態に、リョウは自分は果たしてどう選択すべきであったのか、いつまで経っても晴れぬ胸中の暗雲に項垂れ、ただミリアの横顔を気にしながらその胸中を慮っていた。元気そうに、振舞ってはいる。ジュンヤの前でアメリカ行きも宣言した。ギタリストとしての自覚も、聞いているこちらが恐れ入ってしまう程の気迫で述べた。そしてそれに救われたと思える程の安堵を覚えたのも事実である。しかし、親の死というリョウ自身経験のしたことのないものにミリアがこれから向き合っていくのだと思うと、自分の選択は果たしてどうであったのか明白な答えは出なかった。
機体は雲の上を飛翔し、これから十時間、当然のことながら停止することはない。引き返したいと思った所で引き返せるわけがない。あれこれ考えた所でどうすることもできないこの場所で、しかしリョウはこのツアーにミリアを参加させたことが果たして正なのか邪なのか、ミリアの使命なのか自分のエゴなのかひたすら逡巡し続け、そんな自分にかつてない嫌悪感さえを覚えた。
リーダーに迷いは禁物である。そしてその、一度下した決断によって齎された結果に対しては、どうしたって全責任を取らねばならない。責任、――そんなことはどうでもいい。どんな犠牲でも払ってみせる。しかしたった一つ、リョウはミリアを傷つけたくはなかった。ミリアを悲嘆の海に放擲したくはなかった。そんな目に遭わせたとして責任も何もないではないか。リョウはジュンヤの生を、せめて帰国するまでその命を永らえてくれることこそを、ミリアを悲しませたくないためだけに祈った。
「……サンフランシスコ、どんな精鋭たちが待っているのかしらねえ。」
ミリアはリョウの視線に気づいて、そう笑顔で話しかけた。リョウはどくり、と己の心臓の鳴る音を聴いたような気がした。
「日本から十時間も離れたら、精鋭たちもまるで色々違っちゃうんでしょうねえ。」
「……英語くっちゃべるか日本語くっちゃべるか、そのぐれえだろ、違いっつうのは。音楽を好きだっつう一点においては何も変わらねえよ。」
「そっか。そうね。」ミリアは再び窓の外を見詰める。かつて天国のようだ、と言った雲の上は、今日も白銀の輝きを帯びながらミリアの微笑みを照らし出していた。
リョウはそれを見詰めながら、我知らず溜め息を吐いた。
ミリアは本当に今回の渡米に納得をしているのか。――優しい子なのである。自分を気遣っただけなのではないか。自分に嫌われたらまだ収入の少ないミリアは生活をしていくことができないから大学も続けていくことができないから、自分の望む選択を自分の選択として提示してみせただけなのではないか。それは自主性という衣を着せただけの強制ではないか。そう思えばリョウは苦しくてならなくなった。そして遂に、言った。
「後悔、してねえか。」
ミリアは驚いてリョウの顔を見上げる。
「何に?」
リョウは苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、「いや、だから、……ジュンヤさんの傍にいたかったんじゃねえのか。本当は。」と告げた。
ミリアは俯いて、唇をちょっと突き出し、「それは、ちょっとは、ちょっとは、……パパとお話ししてたい気持ち、あるけど、ミリアの使命は違うから。」それからはっきりと顔を上げてリョウを真正面から見詰めた。「ミリアは、Last Rebellionのギタリストだから。リョウの曲を聴きたがってる精鋭たちのために、生きるの。そう、決めたの。」
「……いつ。」リョウは意地が悪いと自覚をしつつもそう問わずにはいられなかった。自己の胸中に膨れ上がる不安のために。
「リョウがミリアをバンドに入れてくれた時。」ミリアは即答する。「リョウ、覚えてる? リョウが一晩中ミリアにステージングのことを教えたよ。ステージは自分の人生の辛かった部分全部を吐き出す場だって。それまでミリアは苦しいこと、悲しいこと、全部忘れようと思ってたよ。そうすれば幸せになれるって思った。でもね、リョウは違うって言った。カコに向き合って、そんで絶望から這い上がれることを音にしていくんだって。そんな強さをお客さんは求めてるんだって。それは大人になったらできるとか、そういうことじゃあなくって、ミリアだからできるって言った。」
リョウは呆然とミリアの顔を見詰める。たしかにそんな夜があったことを、リョウは懐かしく思い出していく。
「ミリアはだから、そうやって生きてけばもう可哀そうにならないで済むんだって思った。だから、ステージがなくちゃあミリアは幸せになれない。でもね、それは自分だけじゃあないの。お客さんはライブ中笑ってくれる、涙も流してくれる。ライブ終われば、最高だったって、気持ちも前向きになってくれる。だからミリアは自分のためにも、お客さんのためにも、何があってもステージ降りない。絶対、降りない。パパはギタリストだからね、それ、分かってくれてんの。」
「……ジュンヤさんとそんな話したんか。」
「したよ。パパは、パパってわかる前からミリアはパパが好きだったから、リョウのいない所でもいっぱい喋った。パパは、自分ではパパって言わなかったけれど、ミリアがギタリストで、自分とおんなしで本当に嬉しいって言ってた。だからミリアにギターを教えてくれたリョウにも、凄く感謝してるって。一緒に音でお客さんの幸せを築いていけるねって。ずっと友達でいて下さいねって。……友達じゃ、なかったけど……。」
リョウは初めて見たジュンヤのステージ上での笑顔を思い返す。音楽家としての幸福を一身に集めたあの、笑顔。
「だからミリアも言ったの。リョウん所に来たのは偶然だったけど、それで自分の生き方がわかっちゃったって。ミリアがいちばん幸せになれて、お客さんも幸せにできる生き方はこれって。だからこれからもリョウと一緒にギター弾いてくって言った。絶対そうするって言った。パパ、その時はパパって知らなかったけど、すっごい嬉しそうだった。」
リョウは窓の外に視線を移した。そしてミリアの幸福を強く強く祈った。それは単その人生においてに悲嘆がないという意味ではなく、何があってもミリアが全てを乗り越えていける、そういう強さを得るようになることである。そして世界を舞台に自分の隣でギターを奏で続け、自他共の幸福を生み出していってくれることを、苦しくなる程に祈った。