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「いい出来じゃねえか。」一通りサンフランシスコでのフェスで行うセットリストを終えると、そうシュンが満足げに呟いた。
ミリアも頷く。「こんでアメリカの精鋭たちを喜ばせてあげれる。」
いつもは手厳しいリョウも、アキも無言で満足げに頷いた。五時間に及ぶリハであったが、誰一人疲弊を訴えることもなく淡々と進んでいった。
「まだ、ソロの盛り上がりに欠ける。ミリア、これからもっとみちっと練習します。」
リョウは驚いたようにミリアを見た。せめて日本にいる間は、ジュンヤの所に張り付くものだとばかり思っていたのである。
「ほう、気合十分じゃねえか。いいことだ。」シュンがそう言ってうんうんと頷く。
「だってね、アメリカはね、ミリアのパパが修行積んだ所でもあんの。」ミリアはハンカチで汗を拭いながら言った。「だからそこで頑張れば、会えなかった時のパパの気持ちがわかってくるかもしんない。」
「パパ?」シュンが訝る。たしか、ミリアの父親はだいぶ昔に死んだ、というよりはミリアが呪い殺したと言っていたような記憶があった。
「うん、パパ。ミリアの本当のパパ。」
「ほう。」そう言ってシュンは首を傾げる。「今度はそんなのが現れたんか。お前ん所は色々複雑すぎてようわからん。」
リョウは知らんふりをしてペットボトルの水を呷る。
「本当のパパ……今頑張ってんの。」
「何を。」シュンが尋ねる。
「……生きること。」
「生きること?」あまりに崇高な答えに、思わず頓狂な声が上がる。
「パパ……、今、入院してんの。大変なの。」
「マジで?」シュンはいい加減冗談の話では済まされなくなってきたので、今度はリョウに向き合って言った。
「マジで。あの、……前ライブ来てくれた、ジュンヤさん、覚えてっか?」
「ああ、あの……。」痩せた風体の、どこか孤独な雰囲気を持ったジャズギタリスト。
「あれが、ミリアの本当の父親だ。」
シュンは口を半開きにして目を瞬かせた。
「で、そのジュンヤさんが今、癌で入院してんだ。」
「はあ? 癌?」
アキも茫然とリョウを見詰めていた。
「それ、……大丈夫なのか……?」
「余命半年らしい。」
「お前、……それ……で、」シュンは今度はミリアに向き合い、「アメリカ、マジで行くんか。」と訊ねた。
ミリアは真っ直ぐにシュンを見詰め、ゆっくりと頷く。「だって、精鋭たちが待ってる。」
「まあ、そりゃそうだろうが……。」
ミリアはどこか達観した眼差しでシュンを見詰めた。「パパもね、若い頃アメリカでギターの修行してきたんだって。そんでいっぱい刺激受けて、プレイもガラッと変わったって。海外は音だけの勝負だから、チャンスは絶対モノにした方がいいって。それに……、パパもステージに立つために、親の死に目には遭えないですっておばあちゃんに宣言してたんだって。だからおばあちゃんも、ミリアがパパ頑張ってる時にアメリカ行っても、ジュンヤはわかってくれますって言ったの。」
「……そうか。」シュンはそう呟くのが精いっぱいであった。しかし今までのミリアとはどこかやはり違った風を感じていた。それは己の血を知って使命を改めて確信した、とでもいうような一種の強さである。既にリョウの付属品ではなく、一個の人間として己が決めた人生を歩んでいく、そういう決意が滲み出ているよう思われてならなかった。
「ミリアは絶対アメリカでプレイするよ。絶対絶対。だってミリアはLast Rebellionのギタリストだから。リョウの妹だから入れて貰ったんじゃないから。ちゃんと、ギタリストだから……。」ミリアはそう言って、しかし言葉足らずであることを自覚し、口惜し気に下唇を浅く噛んだ。
「んなのたりめえだろ。」リョウがきっぱりと言い放つ。「俺はここのリーダーとして、コネだの情けだのでメンバーを選んだ例は一度もねえんだよ。」
ミリアは安堵の笑みを浮かべ肯いた。リョウには、リョウにだけは通じているということがミリアに大きな歓喜を齎す。
「じゃあ、もう一回頭から通すから。アキ、いけるか。」
「たりめえだ。てめえが選んだドラマーなめんな。」
リョウはふっと微笑んで、即座に入ったブラストビートと共に獣の如き咆哮を上げた。
そうして遂に渡米の日がやって来た。
ジュンヤの意識は相変わらず混濁しがちではあったが、ミリアが見舞いに来ると不思議なことに、大抵意識を取り戻すのだった。ミリアはそれが渡米を躊躇する因となるのではないかとリョウは危惧したが、頻りにミリアはジュンヤにアメリカ行きを伝えるのだった。
「パパはサンフランシスコの海を見た?」
「……ああ。」ジュンヤは小さく呻くようにして答える。ミリアの言葉の全てが届いているのだかはわからない。ただ、巡回に来た医師が言うには、目や口は閉ざしていたとしても、耳は最後まで聞こえ続けている、だから是非とも患者を元気付ける言葉をどんどん届けてくれ、ということであった。ましてやジュンヤはミュージシャンであるのだから、その力は一般の患者以上ではないか、という看護師の見立てもあった。それを聞いたミリアは見舞に来ては(渡米が近づくにつれその時間はやむを得ず短縮化していったが)、ひっきりなしにジュンヤの枕元でおしゃべりを続けるのであった。
「あのねえ、サンフランシスコの海、お船の上でライブやんの。60もバンドが世界から集まってきてね、お祭りみたいなんですって。信じられる? でも本当だわよう。パパが修行した国で、ミリアもギター弾いてくるかんね。だからミリア頑張れって、応援しててね。ほら、お空がこっからでも見えるでしょう? お空に向かって心の中で話しかけてくれれば、ミリアもそれ、感じるから。だってね、ミリアもパパのこと考え続けるから。海の向こうっきしに行っても、パパのことを心の真ん中に置いとくから。」
ジュンヤはうっとりと微笑んだ、ように見えた。主観的なそれでしか判じえない変化をミリアも感じ取ったらしい。満足げに頷くと、「ミリアねえ、パパに買うお土産もう考えたの。……何だと思う?」と悪戯っぽくジュンヤの耳元で呟いた。
ジュンヤは相変わらず微笑んでいる。
「それはねえ、……ふふふ、パパは特別だから教えてあげんね。あのさあ、レコーディングルームにカウボーイハットが掛けてあったでしょう? パパが高いのに押し売りされて、癪だからずっとアメリカで被ってたやつ。ミリアね、もっとパパに似合うカウボーイハット買ってきたげる。そしたら今度はイヤイヤ被るんじゃなくって、被りたいなって思って被れるから。お洒落でパパにぴったり似合うの、選んで買ってきたげるかんね。あのね、カウボーイって自由なんだって。パパも自由でしょ? やっぱし自由なのが一番よね。うーんと自由な気持ちになれるお帽子買ってきたげるから、楽しみに待っててね。」
ジュンヤの表情がやんわりと幸福そうなそれに変わったような、気がした。リョウはそこにジュンヤのミリアに対する深い愛情を感ずる。と同時に、ミリアを連れて日本を離れることに一抹の罪悪感を覚えたことも事実ではあった。しかしそれを完膚なきまでに払拭したのは、ただただミリアのギターに対する熱意であった。宣言通り睡眠時間を削り、ジュンヤとの時間をも削ってギターに専心するその姿勢に、リョウは励ましを安堵とを得た。