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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 ミリアはベッドわきのベンチで、寝息を立てながらリョウに凭れかかっている。既に日は変わった。リョウも腕組みをしながらうとうとと微睡んでいたが、突然切羽詰まった複数の足音の接近に目を覚ました。

 「ジュンヤ。」そう言って病室に駆け込んできたのは、ジュンヤの母親と、ジュンヤによく似た男であった。

 「あ、どうも。」リョウは軽く会釈をする。

 「リョウさん、ミリアさん。」老婆は慌てふためきながら、「こんな夜遅くまで。本当に申し訳ございませんです。」と言い、深々と頭を下げた。

 「お初にお目にかかります。ジュンヤの弟のマサヤです。」すっきりとした髪形のせいかジュンヤより生真面目そうな印象を受けるが、やはり目元や口元がよく似ていた。

 「こちらこそ初めまして。その、これが、……ミリアです。」

 ミリアは眠い目を擦りつつ、「……こんばんは。」と言った。

 「お前ちゃんとしろよ。ほら、ジュンヤさんのお母さんと弟さんだよ。」

 「こんばんは。こんな遅くまでジュンヤのために、ありがとうございます。」マサヤはそう言って微笑んだ。

 そこに看護師が入って来る。「ジュンヤさんのお母さんと弟さんですね。遠くからご苦労様です。ジュンヤさん、先ほどまで普通に意識はあったんです。ただ、今日の六時ぐらいから混濁がちになりまして。医師も我々も三十分ごとに来て様子を見ているのですが、こちらの点滴を入れて、数値の方も今のところは落ち着いているようです。」

 老婆はうん、と肯き、「私どもが付いておりますから。」リョウに向かって言った。「リョウさんたちはもうお帰りになって、休まれて下さい。本当に長時間ありがとうございました。あとはこちらで付いておりますので。もう大丈夫でございます。でも、もし……」老婆の表情が強張った。「危ない状況になりましたら、ご連絡させて頂いても……?」

 「早急にはそういうことにはなりませんよ。」看護師が優しく言った。「一旦は少々危ぶまれる状況であったことは間違いありませんが、それから随分安定してきています。ですから、お母様も今日は一旦お帰りになられて明日またお越しになられても大丈夫です。万が一、急変しましたらすぐにこちらから連絡を差し上げますから。」

 「そうですか。良かった。」老婆は安堵で目を潤ませて俯く。

 「大丈夫です。お嬢さんに来ていただいて、ジュンヤさん、生きる力を貰ったようです。脈も上がってきました。」看護師はそう告げると、機械と点滴の状況を検分すると再び病室を出て行った。


 「もし、いざという状況になった時には、連絡お願いします。でも……。」リョウは暫く逡巡して、えい、と言い放った。「俺ら、来週から海外でライブやるんで、一か月ばかり向こう行ってなきゃいけねえんです。ミリアも、その、……一緒に。」

 老婆はしかし冷静であった。「そうですか。そんな大変な中毎日のようにジュンヤの所に来ていただいて、本当に申し訳ない限りでございます。どうぞ、どうぞ、頑張ってきてください。ジュンヤも、それを願っている筈ですから。」

 リョウはさすがに申し訳なく頭を下げた。せめてこういう状況であれば、ミリアだけでも日本に置いておくべきなのかもしれない、こちらからそう言い出すのが筋であるのかもしれない、と思いつつそれはいつまでたっても言葉にはならなかった。

 「あの子も……」老婆はふと苦笑を漏らし、「丸々三年でしたかね。せっかくそこそこテレビなんぞにも出させて頂くようになったのに、突然アメリカにジャズの修業をしに行くんだ、なんて言って。当時のことでしたから連絡の手立てもなく、どこで一体何をしているやら、随分気を揉んだものです。時折手紙で、アメリカは凄い、自分も世界で通用するギタリストになるんだ、なんて、こっちのことは何一つ気遣うでもなく、自分の夢ばかり書き連ねたものを送ってきたりして……。でもこれとも道中話をしていたんです。だからこそ……。」言葉に詰まった。

 マサヤがその後を継いだ。「今まで散々好き勝手やってくれたからこそ、こうして病気になっても家族はやり残しがあったんじゃあないかとか、心残りはないかとか、そういうのを我々家族は心配しなくて済むんです。それというのは、我々にとって、とても幸せなことなんです。挙句の果てにはこんなに可愛い娘さんにまで会えて、お見舞いにも始終足を運んで頂いて。……どう考えても、神様が特別待遇したぐらいの幸せな人生じゃあないですか。」

 「パパのギターすっごいの。ミリア、パパのギターが一番好きよ。そんで色んなお話してくれるし優しいし。あのね、昔いたニセのパパとは全然違う。……ジュンヤがパパで本当に良かった。ジュンヤがパパだって教えてもらって、すっごく幸せだった。だからミリアが一番幸せなの。」

 老婆は目をぎゅっと閉じて、泣き出すのを耐えるように唇をへの時に曲げた。「ずっとずっと存在さえ知らなかったのに、こんなに言って貰えて……。この子は……。」

 「兄さん。」マサヤはそう言ってジュンヤの顔を覗き込んだ。「ミリアさんともっと色んな話したくないか。あちこち、出かけたくはないか。大好きなギター、いっぱい弾いてあげたくはあないか。だったら病気なんかに負けてる場合じゃないぞ。いつだって兄さんは幸せは自分で掴みに行くもんだ、なんて行ってただろ。今掴みに行かなくてどうするんだ。今が辛抱どころだぞ。」

 「そうよ、ジュンヤ。せっかくこうしてミリアさんに出会えたのに、こんな寝たっきりじゃあ申し訳ないでしょう。一緒にまたアメリカに行ってもいいじゃないの。アメリカ、楽しかったのでしょう? 音楽の刺激を山ほど貰えたのでしょう? 今頑張ればミリアさんと一緒にそういう思い出が作れるんだから。ジュンヤ、病気になんて負けてる場合じゃあないですよ。」

 ジュンヤは黄色味を帯びた顔を詰めたく強張らせたまま、しかし微動だにすることはなかった。

 「リョウさん、ミリアさん。」老婆は振り返って、「今日はもう本当に遅いですし、ジュンヤも早急にはどうの、という状態でもないとのことですし、それでもし、本当に、可能でしたら、明日にでもまたジュンヤに会いに来てやってください。」と言い、深々と頭を下げた。その隣でマサヤも同じく頭を下げて言った。「家が遠いものですから、何でもかんでもリョウさんとミリアさんにお願いするばかりで、本当に心苦しく思っております。でも私も母も、こちらで一週間ほどここからすぐ近くにホテルを取りましたし、こちらのことは我々でやりますから、アメリカでのコンサートの準備に専念なされてください。」

 リョウはミリアをちらと見下ろした。それでもここにいたいというか、ならばお言葉に甘えて帰ろうと言うか、娘であるミリアの意向に順じようと思った。

 「パパ。」ミリアは立ちあがってジュンヤの顔に近づいた。「リョウがね、フェスの担当の人とまたステージングの細かいことについてやり取りしなきゃあいけないから、一旦おうち帰るね。明日はリハやってから来ます。パパ大変な時に、ごめんね。でも、アメリカの精鋭たちがリョウの曲を、ミリアのギターを待ってくれてんの。ミリアは、リョウのバンドに入った時から、ギタリストとして生きるって決めたから、だから……。」ミリアはその後何と言っていいのかわからず口ごもった。

 「わかってますよ。この子は。」老婆は俯いて微笑んだ。「最初にギタリストとしてデビューした時、これで自分は親の死に目には遭えなくなったって自分で言ってきたんですもの。大丈夫です。」

 「でも、……ジュンヤは死なないわよね。だってアメリカのお土産買ってくるって約束したもんね。」ミリアの声は震えていた。

 「これでもし、ジュンヤの傍にいてくれるがために、アメリカでのコンサートを辞めてしまうなんてことになったら、ジュンヤが申し訳なくていたたまれない気持ちになります。ミリアさんには、ミリアさんにしかできない使命があるんですから。それをジュンヤも応援しています。いみじくも父親、なんですから。」老婆に背を摩られ、ミリアはリョウの手を握り、頷いた。「さよなら。おやすみなさい。」呟くように言った。

 「おやすみなさい。」マサヤは笑顔で言う。

 「おやすみなさい。それでは、また、明日来ます。」リョウは頭を下げ、そして病室を出た。

 ミリアの手がいつも以上に力強くリョウのそれを握りしめていた。そこにリョウはミリアの決意を感じ取る。すなわち、一ギタリストとしての決意を。そこまでは自分が教えたわけではない。自分が教えたのはギターのテクニックと、それから過去の艱難辛苦に満ちた経験をデスメタルに生かすことと、そこまでである。しかしミリアは一人でに獲得した。ステージに立つということの意義を――。あの場に立つことができる人間はそう多くはないし、誰もが誰も立てるというわけでもない。しかしだからこそ、そこに立つためにはあらゆる犠牲を払って然るべきであるし、そうしなければ納得のいくステージングなどができるものではない。リョウは自分が思っている以上に、ミリアがステージに立つ人間として成長したことに気付かされ、固く手を握り返した。

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