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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 リョウは静まり返った廊下を足早に急ぐ。既に外来の時間も面会時間も終わっており、院内に人気はなかった。ミリアはしっかとリョウの手を握り締めたまま、必死に後れを取らぬよう駆けた。

 病室の扉を開けると、ジュンヤは見たことのない機械に繋がれ、看護師が替えたばかりなのであろうか、点滴の速さを手元の時計で計っていた。

 「ジュンヤさん!」リョウは思わず大声を発した。

 「ご家族の方ですね。つい先程まで意識はあったのですが。」看護師は申し訳なさそうに言った。「夕飯後から混濁しがちになりまして。」

 「ジュンヤ! ……パパ!」ミリアは機械にも物怖じせずジュンヤに覆いかぶさるようにして怒鳴った。リョウは思わず身を反らした。

 「パパ! ジュンヤはミリアのパパなのでしょう! ねえ! パパって呼んだら、はいって言ってよう! ねえ!」それはいつしか涙声になっていた。「パパ。パパ。本当の、パパ。」ミリアは布団に顔を押し付けて肩を震わせた。「本当のパパは痛いこと、しない。本当のパパはとっても、優しい。本当のパパは、ギター弾いてステージでキラキラしてる……。」

 「……ミリア、さん。」

 リョウは息を呑んで、ジュンヤのうっすらと開きかけた唇を見詰めた。看護師も一瞬目を見開き、それから安堵の溜め息を吐くと病室を出て行った。

 「ジュンヤ! パパ!」ミリアはジュンヤの顔のすぐ前に自分の顔を近づけて、声を上げた。

 「ねえ! ジュンヤはミリアのパパなのよう! 信じられる? ねえ!」

 「ミリア、……さん。」

 「ねえ、パパ。パパとまた一緒にギター弾きたいな。パパのライブ観たいな。パパと……」ミリアは生唾を呑み込む。「もっと仲良く、したいな。」

 「あ、……りがとう。」ジュンヤの口許がうっすらと笑みに近い形になった。

 「ね。だから、だから、病気なんてしてる場合じゃないえしょ。ねえ。」

 ジュンヤの表情が心から満ち足りたそれになる。しかしすぐさま眉根に力が籠もった。「……ごめん、ね。」

 「何にも悪いことないじゃないのよう! ミリアはジュンヤがパパで一番嬉しい! 世界の誰がパパになってくれるって言っても、ジュンヤを選ぶ!」

 ジュンヤの閉じた瞳から一筋の涙が零れ落ちる。

 「あ、そうだ!」ミリアはくるり、とリョウを振り向く。「ねえ、リョウ、言わなきゃ。ほら。言って。」リョウの腕を引っ張りジュンヤの傍に連れて来る。

 リョウは唇をひん曲げつつ、ジュンヤを見下ろす場所へ赴いた。黙りこくったままジュンヤの土気色になった顔を見下ろす。なかなか言葉を発そうとしないのに、ミリアは苛立ってリョウを睨み上げた。「リョウ?」

 リョウは観念したように溜め息を吐いて、言った。「……お義父さん。その……、お嬢さんを、僕に下さい。」

 みるみるジュンヤの目が大きく見開かれていく。驚いてそこを見詰めたリョウと目が合ったのは必然だった。ミリアはリョウにしがみ付きながら、満面の笑みを浮かべている。

 「あ、あの……、父親だから、ミリアが言った方がいいって。……つうか、言えって……。でも戸籍上は兄妹だから結婚はまあ、無理な訳で……、だからこんなことおかしいだろっつったんだけど、こいつバカだからドラマとかにすーぐ影響受けるんすよ。で、そういう昔の、昭和のドラマ見て、そういうのに憧れちまったみてえで……。」思わず弁解を始める。

 しかし、その弁解を妨げるようにして、「こんな……。」しゃがれた声がジュンヤの喉奥から発せられた。リョウは思わず身を屈めてその言葉に聞き入ろうとした。

 「こんな、……赤い髪した、男に、可愛い娘、は、やれん。」

 「はあああ?」リョウは腹から地鳴りのような声を上げた。「何言ってんだてめえ。てめえだってロン毛だろが!」

 「何でリョウが怒るのよう! 怒るのはパパだわよう!」ミリアはリョウの尻を力一杯抓り上げる。

 「痛ぇっ!」リョウは無様に飛び上がった。

 「パパ。リョウはね、ライオンみたいな頭してるけど、ショクシツに遭ってばっかしいるけど、本当は優しいの。本当なの。」

 「こんな、赤い、髪、でか……。」

 「そう。」

 「ギター、ばっかりで、……邪険に、されて、ないか。」

 「だいじょぶだわよう。ミリアもギターばっかしだし。おんなしなの。」

 「他の、女に、……目がいったり、して、ないか。」

 「だいじょぶ。ショクシツしかモテてない。」

 リョウは尻を撫でながら顔を顰めた。

 「だから、だから……、結婚、許してくれる? 許してくれなかったら、駆け落ちしちゃわないとなんないの。」ミリアがそう囁くように言ったので、ジュンヤは再び微笑んだ。「……わかった。」

 「きゃー! パパ、ありがとう!」ミリアはがば、とジュンヤに覆い被さった。

 リョウは口をへの字に曲げて二人を見下ろす。

 「幸せに、な……。」

 「うん。もう一等幸せよう。」

 「ずっと、ずっと、幸せに……。」

 「うん。」

 ジュンヤは満足げに再び目を閉じる。

 「実家から、今、母親とお兄さんがこっち向かってるって言ってるから。頑張って下さいよ。」

 「……。」

 「大丈夫だわよね。ミリアのパパだもんね。ミリアのパパは強いもんね。」

 ジュンヤは眠りに落ちたように見えた。やはり意識が混濁しているのだろうか。リョウは不安を覚えつつもベッドの脇のベンチに腰を下ろした。

 再び静寂が訪れた。

 

 「結婚、許してくれたわねえ。」

 「……そうだな。」

 「駆け落ちしないで済んだわねえ。」

 「……そうだな。」

 リョウは勝手な判断で親子であるということをミリアに告げてしまったことを、少なくとも過ちではなかったと思いなし、暫く脱力していた。こんなことであれば、ジュンヤの勝手な罪悪感などお構いなしに、もっと早くにミリアに告げるべきだったかもしれないとさえ思われてきた。

 しかしこれからどうなってしまうのだろうという考えが次に頭を擡げて来る。ジュンヤの病状が悪化を辿っていることは火を見るよりも明らかである。一週間の一時帰宅が五日間で打ち切りになったのも、そして今日、こうして呼び出しを受けたことも、要は、ジュンヤがいつどうなるかわからない危険な状態にあるということを証している。

 しかし、だからといってジュンヤにいつまでもへばりついている訳にもいかない。もう来週にはアメリカに向けて出立するのだ。リョウはミリアがもし、父親に付いてやりたいと言い出したらどうしようかと考え始めた。大人二人の勝手な思惑によって、初めて、今、父子であるということを知らされたのである。そこを追及されては、何も言い逃れなどできやしない。だからミリアがもし、ジュンヤの傍に付いていたいと思ったとして、その気持ちを頭から否定することはできないが、ステージに立つ者が親の死に目に遭えぬと言ったところで、絶対にステージを放棄することなど許されるべきではないのである。しかしそう考えるのは自分に親がいないからであろうか、とも思うとリョウはただただ逡巡する以外にはなかった。

 「ねえ。」ミリアが呟くように言った。「明日もリハだね。」

 「……そうだな。」

 「明後日もリハだね。」

 「ああ。」

 「そしたら来週アメリカだね。」

リョウは来るべき言葉が来るのではないかと鼓動を速めながら「そうだな。」と呟いた。

しかしミリアはその後は黙した。どうするつもりであるのか、リョウはちらとその横顔を見る。ミリアは真っ直ぐにジュンヤの顔を見詰め、そして口許を軽く綻ばせていた。

 「アメリカに行ったらジュンヤ……パパに、カウボーイハット買ってきてあげるね。」

 ――アメリカに行ったら。リョウははっとなってミリアに向き合った。ミリアはうふふ、と微笑んでジュンヤの顔を覗き込んでいる。

 「ジュンヤ……パパね、初めてアメリカ行った時、飛行機降りたらすぐに悪いおじちゃんに、たっかい、しかもあんまかっこよくないカウボーイハット売り付けられちゃって、でもせっかく買っちゃったから仕方なくって、アメリカにいる間ずっとそれ被ってたんだって。ほら、レコーディングルームの壁に掛けてあったでしょ? 茶色のボロの帽子。」

 そうだったっけか? と訝りつつリョウは首を傾げた。

「だから今度はミリアがちゃんとお洒落なカウボーイハット買って来てあげようかなと思って。」

ミリアは布団の中に手を差しいれ、ジュンヤの手を握りしめた。「ちゃんとパパに似合うカウボーイハット買ってきてあげるから、待っててね。ミリア、リョウと一緒にアメリカでギター弾いて、精鋭たちを大暴れさせてくるから。パパも昔そうやってきたんでしょ? だから娘もおんなしことやんだよ。血が一緒なんだから。ミリアはね、サンフランシスコの精鋭たちに、どんな絶望からだって這い上がれるってことを、音楽で伝えてくるから。だから、待ってて。」

 指がぴくり、と動いたような気がした。ミリアはハッとなって中腰になり、ジュンヤの顔を見下ろした。

 「今頑張ってねって言ったわ! お手手で言った!」

 「お前、……アメリカ、行くんか。」リョウは低く問うた。

 「当たり前じゃん。だってミリアはLast Rebellionのギタリストなんだから。ジュンヤパパの血とリョウに教えてもらったお陰で、立派なギタリストになれたんだから。世界にだってこれからいっぱい、いっぱい、出てくのよう。」ミリアはそう言って再びジュンヤの手を固く握り締めた。その手は先程よりも温かく感じられた。ミリアはジュンヤの声ならぬ声援を満身で感じ、満足げに頷いた。

 「パパ。娘が世界でギター弾いてくんの。応援してね。」

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