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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 「凄いおうちー!」

 予定通りにひまわり柄のワンピースに身を包んだミリアは、ドラッグスターの後部座席で頭を仰け反らせて叫んだ。その前ではリョウもゴーグルを持ち上げ、そのまま暫し目を瞬かせている。

 これが一般の家なのか。まず感じたのはそれである。ホテルか結婚式場ではないのか。瀟洒な洋館の佇まいにリョウは、もう一度地図を凝視しようとした。その前に表札に「CHIBA」という流麗な筆記体の踊っているのを見て、観念したような感嘆したような溜め息を吐いてバイクから降り、再びこの、館、を見上げた。これを大学卒業と同時に買い与えたというのだから、ジュンヤの家の資産はいかほどばかりであろうかと、自分とのあまりの境遇の違いにリョウはただただ瞠目する以外なかった。

 リョウはそれを悟られぬよう無駄に咳ばらいをしながら、ミリアを下ろしてやり、バイクを停めてインターフォンを押した。するとすぐに玄関が開いた。中からはジュンヤの母親が笑顔で出てくる。

 「まあまあ、ようこそようこそ。」

 ミリアは門を開けて中へと早足で進んでいく。

 「すっごいおうちねー!」

 「そんなことないんですよ。猫の額程の狭い家ですから。」これを狭いと断言できるとは、実家の家はどれほどなのだろうかとリョウは呆れた。

 「さあさ、入って入って。」

 老婆に促され、ミリアは足首まで埋まってしまうのではないかとさえ思われる、緑鮮やかな芝生の庭の中央に敷き詰められた白い石の上をぴょんぴょんと飛びながら進んで行く。リョウもその後へと続いた。


 「こんにちはー!」ミリアは玄関で大声を出す。「ジュンヤ、どこー?」

 「こちらですよ。」老婆はリビングへと招き入れた。

 ひょい、と覗き込むと高価そうな調度品の置かれたリビングには大きなベッドが置かれ、そこにジュンヤは笑顔で身を横たえていた。

 「ジュンヤ、元気? お加減いかが?」上品な雰囲気に呑まれ、ミリアの言葉も自ずと上品になる。

 「ええ、元気ですよ。朝から楽しみに待っていましたよ。」

 「退院できてよかったわねえ! 本当に、もう! こんなすっごいおうちなら、1ミリも病院なんかにいたくないわよねえ。ずっとずっとおうちにいたいわよねえ。」

 「ええ、ええ。やっぱり家が一番ですよ。戻って来てから、なんだか病気が治ってしまったような気さえします。」

 「ええ、本当に? 良かったわねえ! でも、なんでこんなすっごいおうちなの! 本当にすっごい!」ミリアは周囲をくるくると忙しなく見回した。

 「気に入って貰えました?」

 ミリアは何を言っているのかと一瞬考え込み、今日幾度目になるのかと思われる「すっごいわ!」を発した。そしてふと目についた、壁に掛けられたレスポールに歩み寄り、「ねえ、これが前言ってたヴィンテージギター?」と訊ねた。

 「そうですよ。1959年物のレア物です。弾いてみます?」

 ミリアは深刻そうな表情になり静かに首を振る。「……いい。」

 「どうして?」

 「壊したら大変。」ミリアは真顔で答える。

 「そ、そうだ、ミリア。下手に触んなよ。万が一ぶっ壊しちまったら俺らが一生かかっても払えねえぐれえの金が吹っ飛ぶかんな。」リョウまでミリアの腕を引っ張り遠ざけようとする。

 「そんなにしませんよ。30年程前に向こうで買ったものですから。今みたいに値段が高騰する前でだいぶ安く買えたものです。」

 「で、でもな今なら数千万……。」リョウは目の下をひくつかせながら呟く。

 ミリアはあんぐりと口を開ける。「そんなにすんの……。なんでそんなのジュンヤ持ってんの。」

 そこにジュンヤの母が紅茶とケーキを盆に乗せて持ってくる。

 「もう、そんな古臭い楽器はいいですから、どうぞこちら召し上がって。ミリアさんは卵好きと聞きまして、美味しいと評判のエッグタルトなんですのよ。」

 「うわあ。」ミリアはその艶のある黄色いタルトを凝視した。「エッグタルトだあいすき!」

 「すんませんね。」リョウは素直に謝った。「わざわざ好物用意してもらっちゃって。……でもこいつ貧乏舌すから、何でも好きすよ。あれ嫌いこれ嫌いなんつってたら、うちじゃあ確実に食いモンなくなりますからね。」

 「そうなの。」ミリアは早速フォークで突き、「だってねえ、うちはスーパーで半額シール貼ってあるものから、夕飯考えんだから。好きとか嫌いとか、そんなの関係ないの。」と告白する。

 「まあまあ。」ジュンヤの母は目を細めて笑う。リョウもさすがに苦笑を浮かべた。

 ミリアとリョウがテーブルに着き、騒がしくデザートを食べている様子を幸福そうにジュンヤは眺めていた。退院してきて良かった、とは一歩我が家に足を踏み入れた瞬間にも感じたが、それが一気に今、増幅されて苦しいぐらいの幸福感を齎していた。

 「ねえねえ、ジュンヤは何が好きなの?」

 突如そう問われて、ジュンヤは暫し考え込む。「そうですねえ。僕は好き嫌いが多くて……。」

 「だめよう。だからお病気になんてなっちまうのよう。」

 「そう、ですね。……でも一番好きなのは……地元のマグロかな。こっちだとなかなか食べれないけど。本当に美味しいんですよ。」

 ジュンヤの母親ははっとなった。

 「マグロ! ミリアも大好き! お寿司でさいしょに食べるよ。」

 「俺らが食うのは、回る寿司な……。」リョウはフォークを手にしたまま恥ずかし気に呟いた。

 「ミリアさんにも食わせたいなあ。旨いんですよ。地元のマグロ。」

 「そうなの! ジュンヤはお魚が好きなのね。体にもいいのよ。いっぱい食べたらいいわよう。」

 「あれなら食える気がするなあ。地元の漁師さんが昔よく持ってきてくれたんですよ。マグロにホタテに、サバに他にも色々。今思えば地元にも魅力はたくさんあったのに、子供の頃は全然気づかなかった。東京に出てギターで食ってくんだって、そればかり考えてた。」

 「へえ。ジュンヤも子供の頃っからギタリストになりたかったの?」

 「そうですねえ。中学生の時ラジオでツェッペリン聴いて衝撃を受けて。すぐに親父にギター買って貰って。田舎ですから、東京の知り合いに言って取り寄せて貰って。それからはずっと自分もペイジになりたいって、それだけの思いで練習してきました。擦り切れる程レコード聴き込んで。コピーして。」

 「へえ! そうだったの!」ミリアは目を丸くする。

 「ミリアさんは、もっと小さい頃からギターを始めたのでしょう?」

 「うん、ミリアはねえ、六歳の頃よ。リョウのおうち来たらギターがいっぱい飾ってあって、そんでリョウが、ミリアは妹だから特別だから貸してくれるって言ったの。それから練習始めたの。」

 「だってガキ用のおもちゃなんて、うちにあるはずねえからな。あったらやべえだろ。」

 「でもね、最初にリョウが自分のライブの映像見してくれてねえ、すっごいかっこいいって思った。そう。ライオン。顔はリョウなのにライオンが吠えてるから、どっから声出てくんだろうって思って。」

 「そうそう。こいつまじまじと不思議そうに俺の喉見て……。あん時はおっかしかったなあ。」

 「デスメタルですからねえ。」ジュンヤもさも可笑し気に笑った。

 「そして、ちゃんとミリアとおんなし所から声が出てることがわかって、びーっくりしたの。リョウはでも喉が潰れっちゃうからギターにしなさいって言って、ミリアはギターにしたの。もしミリアがもっと大きかったら喉潰れてデスメタルボーカリストになってたわよう。」

 ジュンヤは苦し気に笑った。「良かった。ミリアさんがギターで。……あの、ちょっと、肩をかしてくれませんか。」二人が皿を空にしたのを確認してジュンヤは言った。「車いすに乗るのを手伝って貰いたいんです。」ベッドの隣には車いすがあった。

 「いいよ。」ミリアがそそくさとジュンヤの脇に回り、少々荒々しく脇の下から体を持ち上げ、車いすに乗せる。

 「レコーディングルームに案内させて下さい。こちらです。」車いすはリモコン一つで勝手に動き出す。

 「うわ、凄ぅい! ジュンヤの愛車! これもドラッグスター?」

 「あはは。スズキですよ。ヤマハではありません。さあ、こちらです。」


 リビングを抜け、廊下を進んでいくと突き当りには見たことのあるブースがあった。レコーディング用の機材が並び、ガラス越しにはピアノにギター、ドラムセットまでもが置いてある。

 「えええええ。」とリョウもミリアも声を合わせて驚嘆の声を上げた。「何でこんなのが家にあんだよ!」

 「古い機材ですよ。中古で揃えたものですし。」

 「いやいや、だからっつって、こんな、……わあ。おおお。」リョウは機材を注視しつつ言葉にならない嘆声を発した。

 「リョウさん、ミリアさん、ここで軽くジャムってみませんか。」ジュンヤの頬には先程には無かった赤みがさしている。

 「ほら。ここにあるギターどれでも使って下さい。Vもありますよ。」

 ミリアはそうジュンヤが言うと同時に、壁に掛けられたフライングVを手に取った。

 「これ、ミリアが使ってんのとおんなし!」

 「いいですよね。GIBSONのFLYING Vバランスが良くて。音もマーシャルにぴったりだ。」

 ミリアは勝手に一緒に掛けられていたシールドをギターとMARSHALL2000にそれぞれ差し込んだ。

 「ジュンヤさんはどれ弾くの?」リョウがセッティングをしてやろうと訊ねる。

 「じゃあ、僕はそこのSG。」

 まさかこれもヴィンテージのレア物ではないだろうなと、リョウは恐る恐る壁から取り外し、シールドをもう一つ脇に置いてあったMARSHALL900に差し込む。

 「はいよ。」

 「ありがとう。」ジュンヤはかつてステージで見たような微笑みを浮かべて、弦にピックを落とす。美しい音色が広がった。

 「こ、これもヴィンテージ物、だよ、なあ。」リョウは半笑いになって呟いた。

 「ええ。これは61年製ですね。このソリッドの形がいいでしょう。いかにもロックっぽくって。」

 「あ、あんたギターに幾らかけてんだよ! 何でこんなオールドばっか持ってんだよ! 博物館でもあるまいし、おかしいだろ!」

 「好きなんですよ。昔の人間ですから、昔の音がね。」

 そういう問題でもなかろうと思うが、ミリアのギターが自然とジュンヤの音に重なり始め、メロディらしきものを紡ぎ始める。リョウは溜め息を吐いてその音に聴き入った。

 「リョウさんはそこの、……レスポール使って下さい。」

 リョウはまた何年物だとか言い出さないかと訝りつつ、渋々指示されたギターを手に取った。ボディの厚みが見慣れたそれよりも薄いような気がし、実際構えてみるとやはり普及しているタイプとは違う、これもヴィンテージなのではないかという緊張感が走ったが、えいと目を瞑って弾き始めた。金のことを考えるのはよそうと決意めいた思いがリョウの胸中を支配した。

 「あのですね、良かったらこれ、弾いてみて貰えませんか? 曲をね、作ったんです。」ジュンヤは震える手で一枚の紙をミリアに手渡した。

 「ええー!」ミリアは歓喜の声を上げ紙を受け取る。「いつ作ったの?」

 「退院して、その翌日です。ミリアさんが来てくれるということになったから、嬉しくて。」

 「じゃあ、ミリアが遊びに来る曲?」

 「そうですね。」

 ミリアは無言で譜面を凝視しながら弾き始める。快晴の日中に観光地をステップしているような、軽快で陽気な曲であった。ミリアにとっては慣れぬジャンルであるのは間違いなかったが、そんなことは微塵も感じさせぬぐらいノリ良く弾いたのに、リョウは驚嘆した。ジュンヤはうっとりと感嘆の眼差しでミリアを暫し見詰め、すぐにそこに被せるようにして伴奏を弾き始める。思わずリョウは立ち上がり、慌てて見慣れぬ機材の録音ボタンを探し、そして押した。

 ミリアの音は弾み、跳ねて、純粋な喜びを表していく。ジュンヤに会えて嬉しいと、ジュンヤのプライベートな空間に来れて嬉しいと、音は如実に語っていた。パパ、今度の日曜日は遊園地にいきましょうとでもいうような高揚感が溢れ出していた。パパ、お昼用に持って行くサンドイッチを作りましょう。パパ、最初はメリーゴーランドに乗りましょう。

 やがて曲が収束した時、ジュンヤの息は上がり、瞳は幾分濡れていた。リョウは録音ボタンを切ると、心配そうに顔を覗き込み「おい、大丈夫か。何か飲み物でも持ってきてやろうか。」と尋ねた。

 「い、いいえ。だい、じょうぶですよ。これきし……。」明らかな疲労困憊ぶりにミリアは不思議そうに首を傾げ、「お水持ってきたげる。」とぱたぱたとレコーディングルームを出て行った。

 「無理、しねえ方がいいぞ。」

 「いい曲でしたね。」

 「そうだな。」

 「ミリアさんのギターは、純粋で、素敵だ。」

 「そうだな。」

 「ミリアさん、この家気に入ってくれましたかね。」

 リョウは何を言っているのかとジュンヤの顔を見詰める。

 「言ったでしょう。……僕が死んだら、この家はあなたたちに譲るって。」

 「無理だっつったろ! まあだ、んな寝言言ってやがるんか!」

 「寝言じゃあありませんよ。」そう言ってジュンヤは微笑みを浮かべ、ぐったりと背凭れに身を預けた。「ミリアさんがここにいてくれて、毎日ここに帰ってきてくれて、ここでギターを弾いて、たまには僕のことも思い出してくれると思えば、……死ぬのも怖くない。」

 リョウは何も言い返せず、拗ねたようにジュンヤを睨んだ。

 「ねえ、ここまで付き合ってくれたんだ。最後の我儘にも付き合って下さいよ。」

 「……厭だよ。それよかもちっと生きる気んなれよ。何でそんな死ぬ気満々なんだよ。」

 「余命半年を宣告されてますからね。……ねえ、僕が死んだらミリアさんとここに住んで下さい。約束ですよ?」

 人の話を聞けよ、とそう言おうとした矢先にミリアがコップを持ってレコーディングルームに戻って来た。

 「ねえ、おばあちゃんがお薬飲む時間ですよって。」

 もう一方の手には薬が何錠も握り締められている。

 「これ。」

 「ああ、そうか。もうそんな時間。いやあ、ミリアさんとギター弾いてたらあっという間でしたよ。」

 「そうねえ、楽しいわねえ。普通のおうちなのにジュンヤのおうちは、すっごいのねえ! 気が向いた時にいつでもレコーディングできんだもんねえ!」

 「そうでしょうそうでしょう。」ジュンヤは身を乗り出して肯く。そのついでにえい、と薬を頬張り一気に飲み干す。「ミリアさん、こんなうちに住んでみたいとは思いませんか?」

 ミリアは身を捩って口を尖らせた。「……素敵よ、素敵だけど。」ちら、とジュンヤを見、「ミリアはリョウといたいの。だから力荘でいいの。ボロだけど。」

 ジュンヤはみるみる落胆し、「そう、……ですか。」と呟いた。その様があまりにも悲し気であったので、リョウは「ほら、でも思い立ったら速攻レコーディングできるなんて、ミュージシャン冥利に尽きる家だよなあ! どう考えたって羨ましい限りだろが!」と先程とは百八十度違う言葉でもって慌ててフォローを入れた。

 「うん! リョウと一緒ならここ住みたい! ジュンヤとミリアとリョウでなら、住みたい!」

 ジュンヤの顔が歓喜に震え出した。リョウは安堵の溜め息を吐いた。

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