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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 ジュンヤが一時退院を敢行したのはその翌月のことであった。

 アメリカ行きは迫ってくる。そのためのリハは頻繁に入る。ミリアは大学での講義、実習をこなしつつその間の撮影を早撮りする。一か月は目まぐるしく過ぎて行った。

 ジュンヤが何をどう思って一時退院を決めたのかはわからない。ただある日、見舞いに訪れたリョウにさも嬉し気に、「あの、退院することになりました。久々に家に帰れるんです。是非遊びに来て下さいね。いつでも構いませんから。リョウさんのレッスンやリハがなくて、それでミリアさんが大学お休みで……。」とそわそわと口にするのをリョウは、どこか不思議に眺めていた。

 「ミリアは必ず連れてきますよ。」さすがに一人でジュンヤの家を訪問する勇気はない。だからリョウはそう端的に告げたのだが、ジュンヤの顔色は一気に赤みを差したようにさえ見受けられた。

 「やった! ねえ、リョウさん、ミリアさん、何がお好きですか。飲み物とか食べ物とか。」

 「ええ?」リョウは流石に顔を顰めて、「んな、気遣われちゃあ困りますよ。あんたは病人なんだから、自分のことだけを考えてて貰わねえと……。」と言った。

 「まあ、そりゃそうですけど。でもほら、コーヒーが好きとか紅茶が好きとか。洋食が好きとか和食が好きとか。……ミリアさんの好きな食べ物は何です?」ジュンヤはそれこそが本題であるという真剣なまなざしでリョウを見据えた。

 リョウは仕方なしに逡巡し、「ミリアは……卵が好き、かな。」と答える。

 「卵!」

 「ああ、でも何でも好きですよ。うちじゃあ好き嫌いなんざ言ったら飢え死にすから。……卵っつうのも、何つうか、ほら、安いから食わせてたら好きんなったって感じで。高級食材なんざ買えねえすからね、うちは。」

 しかしジュンヤはもうそれは一切頭に入っていない風で「……卵、卵ですね。わかりました。」と呟き、何やら物々しく肯いた。

 「でもさあ、正直あんただって完全に治って退院するって訳じゃねえんだから、マジで俺らの飯のことなんか考えねえでくれよな。飯食ってから遊び行ってもいいんだし、そんな長居はしねえつもりだし……。」

 「ダメです。」ジュンヤはきっぱりとそう言い放った。「お願いですから昼飯なんか食べてこないで下さい。それに長居は必須です。」

 リョウは顔を顰めた。とんだ強情者であると思いなす。

 「一緒にギターを弾きたいんです。色々お話もしたいんです。ねえ、こんな薬臭い、看護師がひっきりなしに来ちゃう場所じゃあ、あなたもミリアさんもリラックスもできないでしょう。僕はミリアさんにゆったりとリラックスしてもらって、それで音楽を奏でたり聴いたり話したり、そういうことをしたいんですよ。」ジュンヤはほとんど懇願の態でそうリョウに訴えた。

 「わ、わ、わかったよ、じゃあ、退院したらまたメール下さいね。そしたら伺いますから。」

 ジュンヤは満面の笑みで肯いた。「絶対ですよ! よろしく頼みますね!」

 こうして見るとジュンヤは大層痩せている以外には健康な、ただの我儘な人間にしか思えないのである。なのにもう手の施しようがない程にがんが転移しているなんて――。リョウは不憫と言うよりも不思議な気がしていた。

 だからミリアを連れてジュンヤの家に行く、というのも海外公演を控えた今、正直な所を言えば少々面倒だと言う気もなきしもあらずではあったが、どうせミリアだって、ジュンヤの家に行くなどと言ったら大喜びするのだ。ジュンヤのため、というよりはミリアのためだと思いを改め、リョウは溜め息混じりに帰途に着いた。


 既にアパートには明りが灯っていた。

 「おかえりなさいー。ミリアも今帰って来たところー。」と言いつつ、ミリアは台所で牛乳を旨そうに飲み干している所だった。「今朝牛乳飲み忘れてたの。だから今飲んでる。」そんな日課があったのかと訝りつつ、リョウは早速「ジュンヤさん、今度退院するんだとよ。」と告げた。

 「ええ! そうなの! 治ったの? 手術は? しないでいいの?」ミリアは口の周りを白くしたままリョウに縋り付いた。

 「い、いや、治ったっつうか、一時帰宅っつうやつで、まあ、久々に家に帰りてえ、じゃあどうぞって感じのやつみてえだな。また少ししたら入院は、すんだろ。」

 「……そうなの。」ミリアは少々落胆したように俯いた。「じゃあ、あんまり嬉しくなかった。間違えちった……。」

 「まあ、そんな落ち込むなよ。そんでな。ジュンヤさんが家帰ったら俺らを呼びてえみてえなんだ。ほら、ちっと前にお前とギター弾きてえって言ってたろ。それをな……」

 「行く。」ミリアは言下に発した。「そんなの絶対行く。」

 「……そうか。」

 「だってジュンヤが待ってるんならミリアは行くよ。ジュンヤはリョウの大事なお友達だものね。」

 「うん、まあ、そうだな。」リョウは腕組みし肯いた。

 「それにね、前、ジュンヤ珍しいギターいっぱい持ってて、見してくれるって言ってたの。古いギター集めんの好きなんだって。楽しみだな。……そうだ!」

 「な、何。」リョウは必要以上にたじろいだ。

 「ひまわりのワンピース着ていこ! 初めてジュンヤのライブ行った時もあれだったし。今の季節にぴったしだから。まるで、ぴったしだから!」ミリアは自分のアイディアにうっとりと目を閉じる。

 「そうだな。」

 「ジュンヤが治ったら、一緒にお出掛けしたいな。台湾とか。」

 それはお出掛けの範疇になるのかと訝りつつ、リョウはジュンヤに言ってやりたくなる。お前らは両思いだと。とっとと親子であると公表し、隠し事なく付き合っていけよと。しかしあの強情さ、一種の自己中心さはなかなかの筋金入りで、安易にミリアに真実を告げられないのが、何だかリョウにとっても無駄な疲弊と苛立ちを齎すのであった。

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