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夜遅くまで作曲に勤しんだ翌朝、ミリアは実習のミーティングがあるとかで朝早くから大学へ出向き、リョウはまだ眠い頭を無理やりコーヒーで覚まそうとお湯を沸かした時、インターフォンが鳴った。
「はーいー。」軟弱なデス声のようなものを出し玄関を出ると、目の前にいるのは郵便配達人である。ハンコを押して茶封筒を受け取り、目を擦り擦りまじまじと見つめると、DNA検査結果在中と書いてある。リョウの心臓はどくり、と明らかな音を立てて蠢いた。慌ててドアを締め、ガチャリと鍵を閉め、部屋に戻りもうコーヒーは完全不要となったのでコンロの火を消し、ソファに慌てて座り込んだ。
--ここに、全ての結果が、ある。
リョウは息も荒く、ただひたすらその茶封筒を凝視した。
これでもし、万が一、ミリアとジュンヤとの間に血縁関係がなかったなどというならば、ここ数か月の自分の言動は完全なる茶番ということになる。しかし絶対にそうではない、という確信めいた思いもある。リョウはその双方に心を揺さぶられながら、やがて迷いを打ち消すが如く、えいを意を決して封筒をびりびりと破いた。
頭の片隅で、以前ミリアが申し込んだ会社のそれよりも随分分厚い鑑定書であるなあなどと漠然と思いつつ、中の厚紙を取り出し、開いた。
その真ん中にゴシック体で書かれた文言が飛び込んできた。
――チバジュンヤがクロサキミリアの生物学的父親である可能性は99%以上である――
リョウの手から鑑定書が床に落ちる。そのまま大きな溜息を吐いた。やはり、という気持ちと良かった、という気持ちと、それから奇跡的にようやく出会えたこの親子の間に運命のようなものを感じ取り、暫くは身動きが出来なかった。しかし、少なくとも自分とミリアの時よりは動揺はなかった。頭の片隅では当然だ、というような考えも生じていた。
しかし、なぜ二人は別れ、そしてこのタイミングで出会ったのであろう。リョウはそれを考えれば考える程不思議でならなかった。
そもそもミリアの母親がなぜ、ジュンヤとの子を孕みながらジュンヤの元を去ったろう、ということである。ジュンヤが憧れたという、にわか貧乏の装いに呆れ果てたのであろうか。それとも他の男に魅力を覚えたのだろうか(経済的な? あるいは性的な?)。はたまた、自分でも説明のつかない衝動に駆られてしまったのであろうか。当然あのヒステリックな性格からはあり得るように思われた。
ともかくその、人生で最も自重すべき時期に普通では考えられない予想外の選択をよくもしたものである。
そしてジュンヤがその後、母親とミリアを探し出さなかったことに痛烈なまでの罪悪感を覚えているが、そんなことは大した問題ではない。大体探し出した所であの母親が大人しくジュンヤの意見に従うとも思われないし、そこで言われるがままミリアをジュンヤに差し出したかどうかなんぞ、それこそ気分で決定されてしまうことであろう。問題は、その後母親が父親でない人間と結婚をし(その時には自分の実母と父親とは離婚をしていたということなのであろうか? それとも実母は結婚はしていなかったのであろうか。その辺りもリョウにはさっぱりわからない。)、更にはそれにミリアを押し付けて次の男に向かったという事実である。そのタイミングであればたしかにジュンヤがミリアを得られたような気もするが、遊び人の父親に対する復讐めいた思いがあったとすれば、ジュンヤには手渡されまいとも思う。
弁護士はあの母親にはミリアの他に五人も子供がいて、全員見事に施設送りにしているとも言っていたが、その中でミリアだけが施設には行かず名も知れぬ自分の所にやってきた、というのも偶然と言えば偶然である。ミリアは近所に住んでいた老夫婦に言われるがまま、そして不安いっぱいになりながら自分の所へ来たと言っていた。しかしその老夫婦は、一体何を調べ自分の居場所を突き止めたのであろうか。別に不満があるわけでもないから聞きはしないが、そこも未だリョウにはわからない。
そしてミリアと一緒に暮らすこととなって、血の繋がりがないということが判明し、それから本当の父親を捜し求め、その、バンド活動をしていたという自分の唯一コネクションのある経歴から奇跡的にジュンヤに辿り着いたというのは、もう何が何だかわからない程の紆余曲折である。
そもそもミリアとジュンヤが最初から父子として暮らしていたならば(ミリアは時に過分な愛情と経済力でもて間違いなく幸福な子供であったろう。虐待も受けなければ、脳にダメージを与えられることもないのだから。)、果たして自分と出会うことなど絶対になかったに相違ない。さすがに十八も年下の幼子に恋情を抱き、どうのこうのするなどというのは自分にとっては到底考えられない。普通に考えて犯罪だ。デスメタラーの犯罪などあまりにもなんの洒落にもなりやしない。ともあれ、この、一つも説明のつかぬ紆余曲折こそが自分とミリアとを出会わせたのだと思えば、リョウは鑑定書を落としたまま暫し呆然とするしかなかった。そして再び人間的な感情が戻って来た時に、リョウの胸中に沸き起こって来たのはひとえに「感謝」、であった。ミリアに出会わせてくれた全ての偶然に、額づきたくなる程の謝意を覚えるのだった。