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ミリアは今度は驚きはしなかった。否、内心では驚嘆していた。絶望していた。悲嘆に暮れていた。どうしよう、どうしようという思いでいっぱいであった。しかしそういう顔をして一番悲しむのはジュンヤなのだ。リョウの言葉にミリアは丹田に満身の力を籠め、どうにか真顔を貫いた。
「あまり、体調が、よくなくて……。」完全に生気を失ったジュンヤはそう小声で囁いた。
「だよな。」リョウは微笑みを浮かべ、ジュンヤに顔を近づける。「俺も抗がん剤やってる途中っつうのはマジで辛くて、何度もこっから逃げ出してえ、治療辞めてえって思った。」
ジュンヤは小さく肯く。
「でもこれを乗り越えれば、リョウは治ったし。ジュンヤも治るから。」ミリアの声は幾分震えを帯びていた。
「手紙、ありがとう。」ジュンヤは力なく微笑む。「あのお陰で、戦おうという気が湧いてきました。」
ミリアは目を丸くする。果たしてそんな言葉を書いたかと思いなし。
「私もね、ミリアさんたちの、仲間に、入れてほしくて。」
「仲間?」リョウは首を傾げる。
「そうなの!」ミリアは思い出して手をぱちん、と叩いた。「あのね、絶望になって、そっから這い上がる音を作れる、仲間。うふふふ。ジュンヤがもっともっとパワーアップしちゃうの。」
「何だそりゃあ。」リョウは相変わらず訳が分からぬとばかりに眉根を寄せる。
「リョウが教えてくれたんじゃないの。思い出したくないじゃあダメだって。それを音にするんだって。昔住んでたおうちの近くにリョウに連れてってもらったこともあったの。ソロを作るのに。」
「そう、だったんですか。」
「そしたらね、ぜーんぶちゃんと思い出せた。そんで、音に魂が入ったの。」
ジュンヤは悲し気に目を伏せた。
「お客さんはみんなわかってくれたよ。ミリアの音は、本当の絶望を知ってる音だって。デスメタルに絶対必要な音だって。それを乗り越える音楽だって。ミリア、それ聞いて良かったあって思ったもの。」
「ほら、あんまお前がべらべら喋ってっとジュンヤさんも、疲れちまうから……。」
「いえ、大丈夫、ですよ。」ジュンヤは二人を悲しく見上げた。
「そっか。ごめんね。……あ、そうだ。」ミリアは何かを思い出したように、がさごそと鞄の中を漁り、赤い小さなアルバムを取り出した。
「ねえ、これ、見たい? 見せたげる。」ミリアは身をくねらせ照れ笑いをし、そっとそのアルバムをジュンヤの目の前で開いた。--そこには小さな赤子の写真が二枚収められている。
「……これは?」
「ミリアなの。」ミリアは顔を近づけて囁いた。
ジュンヤははっとなったように改めてアルバムを凝視する。
「これ、……ミリアの母親から貰ったんですよ。俺も初めてこんな小っちぇえミリア見て、ああ、こんなだったんだなって思って……。」しかしその後はどうしても言葉が出てこなかった。もしあの母親が出ていかなければあなたはこれを手に抱くことになったんですよ。そんなことはジュンヤの許可が下りぬ限りは言い出せないのである。
「……可愛い。」ジュンヤはうっとりと眺めて言った。
「うふふふ、可愛い? 可愛いって言われちゃったあ!」
「こんなに可愛い赤ちゃんだったんだ。」
ミリアは嬉しさのあまり両手で頬を抑え、その場をくるくると回った。
「お前落ち着け。回るな。」
「早く、治して……」リョウはミリアの肩を抑えて動きを止めると、ジュンヤの口から発せられた微かな響きに耳を澄ませた。「……そして、うちに帰る。そして一緒にギター弾いて、セッション、レコーディング、しましょう。」ジュンヤはにっこりと微笑んで言った。
「ええ、本当にー!」ミリアは遠慮もなく大声を上げ、途端にリョウに口を塞がれる。
「大丈夫ですよ、ここは個室ですし。」
「否、でも病院すから、ここは。」
もごもごとなりながらも、ミリアはしかし喋るのを辞めない。「じゃあさ、ジュンヤ曲書いて。治ってからでいいからね。ミリアのパートも忘れないでね。わあい、楽しみ。」
ジュンヤは目じりを下げ、頷いた。
それは完全に父親が愛娘にたいするそれで、リョウは溜め息を吐かずにはいられなかった。そしてふと思った。そろそろ結果が出る頃合いである、と。ジュンヤの母親が先日自らの伝手を辿り、親子関係の有無に関するDNA検査の結果を三日で出してもらうよう、どこぞに頼み込んだのである。リョウは言われた通りミリア愛用のキティちゃんのブラシから髪の毛を数本抜き取り、小さなパックに入れて渡した。そしてその結果は母親宛てと自分宛てに来る手筈となっていた。その到着がそろそろだと思いなしたのである。
二人が親子であるという確信はあるが、しかし改めて第三者による結果が突き付けられるのだと思えばどこか緊張を覚える。万が一、自分のとんでもない勘違いであったなら? リョウは改めてミリアとジュンヤを見下ろした。するとすぐにその疑念は払拭される。ジュンヤはミリアが傍にいてくれるのが嬉しくて敵わない、といった表情でミリアを見詰めている。あたかも恋を知ったばかりの少年が、片恋の相手と会話をしているような……。ミリアもミリアで、ジュンヤを心底好いている、ということがひしひしと感じられる。自分の言葉に逐一耳を傾けてくれるのが嬉しくて敵わない、といった風である。離れ離れにさえならなければ、これがどこぞの(豪奢な?)リビングで交わされていた会話なのかもしれないと思えば、リョウは運命というものに痛烈なやり切れなさを感じた。