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とはいえ、抗がん剤治療は過酷であった。絶えず吐き気と頭痛が襲い来る。ジュンヤは一週間もこのような生活をするのだと思えば最早死んだ方がましだという考えが、払拭しても払拭しても、固執的に自身を浸潤していくのを感じた。
ジュンヤはこの痛苦以外覚えぬ体捨てたく、何度も投げやりになった。その度にあの、ピンク色の封筒がちらちらと目についてくるのである。無論それを目の届く所に置いてあるということに大きな因があるのだが、それ以前にこの手紙を手放すことがとてもできなかった。ミリアのたどたどしい言葉が、死への希求を食い止めるのである。
翌々日には二通目の手紙が届いた。もう事情を知っている看護師が「娘さんからですよ。」と言って、目の前で封を開け、便箋を広げて見せた。もうジュンヤには指一本自力で動かせる余力はないのである。
ジュンヤへ
あとちょっと、たった土曜日で抗がん剤治療終わりだね。そしたら普通の病室に戻れる? そしたらまたリョウと遊びにいくね。ジュンヤに話したいこといっぱいある。
今日はね、大学で給食作る実習やったよ。五十人分。ちょこっと作るのは全然できるけど、こんなにいっぱいは初めてで大変だった! でもほんっと楽しかった! ジュンヤは給食好き? ミリア給食とっても大、大、大好きだったの。初めて小学校で給食出された時、すっごい幸せになった。もっと早く学校来たかったって、くやしいって思った。お休みの日、給食ないのが本当にかなしかった。
だってね、一緒に住んでたパパはリョウみたく、おうちでご飯食べさせてくれなかったの。給食があったからミリアは生きてこれたの。だからね、今日は一生懸命給食作ったよ。小学生がおいしいって言ってくれる給食。学校来たいって思ってもらえる給食。
今度は病院の食事を作るの。また五十人分だよ。でもね、そん中に糖尿病の人用とか、アレルギーの人用とか、そういうのも混ぜなきゃなんないから、すっごく大変! 今日は班で担当決めしてきたの。ミリアはお汁を作ることになったよ。ミリア、スープ大好き。病気で食べれない人はスープだもん。ジュンヤもこの間ミリアが持ってったやつ、食べてくれたでしょ? 美味しかったって言ってくれたでしょ?
だから来月も入院してたリョウのこととか、それからそこでお友達になった園城さんのこととか、それからもちろんジュンヤのことを思いながら一生懸命作るよ。ジュンヤにも食べてほしいな。食べて、ちょっとでも体力付けて元気になってほしいな。
ご飯って凄く凄く、大事だよね。小さいころお腹減って減ってご飯欲しくて泣きべそかいてた時、なんにも考えられなかった。コンビニの前に停まってたパンのトラック見ながらぼーっとしてて、気づいたらパン取ろうとしてたこともあった。ミリア、もう少しで泥棒になっちゃうところだった。かなしかった。でもリョウのおうち来てからは全然そんなことなくなったよ。リョウはいっつも美味しいご飯作ってくれて、その内ミリアもお友達のママのお料理の先生に教わってご飯作れるようになって、毎日が幸せになった。ご飯が美味しいと幸せ。あとギターがあれば、ミリアはなんもいらないと思うんだ。
今日もね、リハやってきたよ。アメリカのライブのリハだよ。みんな気合十分だったよ。だってね、ずっと夢だったんだもの。外国でライブやんの。しかもね、大きな船の上でメタルバンドばっか集めてフェスやるなんて、信じられる? シュンは海賊の格好してもいいかって言ったよ。リョウはダメって言ったの。
ミリア、ジュンヤにお土産買ってくるから、いい子で待っててね。ジュンヤは何が好きなの? お饅頭はおかしいってシュンが言うの。でもそしたら何がいいかよくわかんなくって。土曜日終わったら聞きに行くね。考えといてね。ジュンヤはアメリカ行ったことあるからお土産何あるかわかるでしょ? ミリアよくわかんないから教えてね。
アメリカ、本当に楽しみ! 春に台湾でやった時は、お客さんも他のバンドの人たちも、全然何喋ってんのかわかんないのに、でも、ライブやったらみんな大喜びしてくれて、ちゃんと通じてるって思ってすっごく嬉しかったの。リョウを好きだからリョウの曲をいいって思うんじゃなくって、リョウの曲はリョウを知らない人が聴いてもいいの。その証拠を海外公演でもらったんだ。外国行くと売れてるとか売れてないとか、そんなの関係なくって、ライブだけの、音だけの一発勝負になるでしょ。失敗したらもうおしまいだけど、今まで知りもしなかった人の音にぐんぐん引き込まれていくお客さんを見るの、とっても嬉しい。リョウも嬉しいって言ってる。そういうのは海外だからわかることだよね。ジュンヤはもう外国行かないの? ジュンヤのギターも言葉通じなくても通じるよ。だってリョウと一緒で世界一だもん。いつか一緒に海外に行こう。そして一緒に演奏しよう。ね。
ミリア
しかし、ジュンヤの病状は順調にはいかなかった。抗がん剤によってこれほどの身体的ダメージを与えられながらも、思った程にがんを縮小させるには至らなかったのである。医師は渋面を浮かべ、それを老母は涙ながらに聞いた。
一般病棟に戻ったジュンヤの元に、早速リョウとミリアがやってきた。