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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 「今日は、大分良さそうだったな。」リョウは帰って来るなり、ミリアにジュンヤの見舞いの報告を始める。「顔色も良かったし、話も大分できたしな。」

 「何の話したの?」

 そう問われ、リョウは思わず口籠った。答えを言えば、ミリアのことばかりである。

 ジュンヤは病気のせいというのもあろうが表情の乏しい口数の少ない男であった。しかしそれでもミリアの話をしてやると口を綻ばせ、楽し気な様子を見せるのだった。だからリョウは思いつく限りのミリアの話をしてやることとしていたのである。

 自分が知っている最初の頃から順々に――。小学校の時からずっと調理部に所属し料理好きであること、芸術祭で皆の前でギターを演奏したこと、好きな色は水色でランドセルも水色を使っていたこと、無類の猫好きで、猫グッズばかりを有していること――。

 「猫を飼っているんですか?」ジュンヤは口の端にうっすらと笑みを浮かべながら訊ねる。

 「いやいや、うちのクソボロアパートじゃ飼えねえんだよ。そういう決まりでな。」

 「じゃあ。」一層晴れ晴れとした顔でジュンヤは言った。「うちに引っ越されたらいいですよ。うちは一軒家ですし、ペットは誰に遠慮することもなく飼えます。」

 リョウは一体何を言っているのかと眉根を寄せた。

 「私には妻子がいません。私が死んだら、財産、と言っても大したものではありませんが、せめてミリアさんに自宅をお譲りさせて下さい。」

 「お前、何言ってんだ。」リョウは片頬をひく付かせながら言った。

 「何もおかしい話ではないでしょう。親の遺産を子が継ぐ。古来行われてきた習わしです。」

 「いやいや、そうじゃねえって。死ぬとか言うんじゃねえよ!」リョウは思わず声を荒げた。「そんな弱気なこと言ってっと、治るモンも治らねえぞ。」

 「でも、人間いつかは死にます。そうしたら、私の家をあなたたちに譲渡させて下さい。家はS駅の近くです。閑静な住宅地でいい所ですよ。それから私の長年集めて来たギターのコレクションも一緒に。よかった。あなたたちなら価値をわかってくれるから。」

 「いやいやいやいや。」リョウは言葉を妨げるように言った。「勝手に話進めんな。んな御大層すぎるモン人様から貰えるかよ。つうか、んなこと考えてる暇あったら、しっかり病気を治す気んなれよ。そんでミリアにまた凄ぇライブ見せてやってくれよ。家だのギターだのよりそっちのが嬉しがっから。」

 「もちろん、そのつもりではいます。でも病気のことを差し置いても、若いあなたたちよりも年を取っている私の方が先に死ぬわけですから……。その時の話として、お含みおき下さい。」

 リョウはそう言われれば反論もできず、口籠った。

 「ああ、良かった。実は少し、懸念していたんですよ。私が死んだらあの家はどうなるのだろうと。……私はA県の山奥の出身なんです。父は十年ほど前に亡くなりましたが、老いた母が今もそこに住んでいます。実家は弟が継いでいまして、三十そこそこから地元で議員をしています。定年もありませんし、そこに骨を埋める気でしょう。ですから、東京に家なんかあったって、家族が困るだけなんです。」

 「凄ぇじゃねえか。議員なんてよお。」リョウは素直に讃嘆する。

 「所詮は田舎議員です。大したもんじゃあありません。……初めは父もそれから親戚たちも長男である私を後継ぎにするつもりでいたようですが、大学入学を機に上京してからというものの、親元を離れた解放感でバンドにのめり込み、それきりほとんど帰りやしませんでした。必然的に弟が継ぐことになったのです。弟は不器用なぐらいに真面目な人間ですから、随分巧くやっているようです。」

 「まあ、得手不得手っつうのが誰しも、あっかんな。」リョウはそう口にしながら、自分はメタルがなければ社会のどこにも居場所を求められなかったろうなと思う。

 「大学を出る時、帰郷せずにこちらで音楽活動を続けていくと親に告げた時、親は諦めて東京の住宅地の一角に一軒家を買ってくれました。いつか結婚をして子供ができた時にも住めるように、と随分大きな家を。……近所で最初から一人暮らしをしている家なんぞありやしません。どこもかしこも家族ばかりです。」

 「はあああ。」リョウは自分とのあまりの世界観の違いに目を盛んに瞬かせた。「……ぎ、議員なんの諦めたついでにひょいと家とか買ってもらえるんか。」

 「田舎者ですから。家も代々同じ場所に建っておりますし、金の使いどころもないんです。……でもバンド仲間たちと一緒にいると、そんな境遇の人間は誰もいないんですよ。バンドをやると言って実家から勘当されてきたようなのばかりで。……家から潤沢な仕送りを貰い、挙げ句の果てには家まで買い与えられるような人は一人もいないんです。」

 「俺もそういう人がいるって、今、初めて聞いたからな。」リョウはそう言って、未だ信じられぬとばかりにごくりと生唾を飲み込む。

 「だからそれが嫌で、エリコと付き合う少し前に小さなアパートを借りました。もちろんそれも仕送りでですが。一度、貧乏な生活というのをしてみたかったのです。」

 「い、家は?」

 「家には週に一度掃除をお願いしていました。」

 「金持ちのやるこたあよくわからねえなあ。」

 「でも憧れの貧乏生活をしてみたものの、結局は好きな女には去られ、子供にも会えなかった。一つもいいことなんてありやしなかった。」

 「そりゃそうだ。」リョウは納得し、慌てて、「で、でもよお、あんた凄ぇギター弾くじゃねえか。誰がどう見たってあんたは一流のギタリストだよ。とてもそんな金持ちのボンボンの苦労知らず……」そこまで言って気まずそうに口ごもり、「には、見えねえから。」と付け加え愛想笑いを浮かべた。

 ジュンヤは苦笑を浮かべる。「ギターが、私の全てでしたから。どんな時だって、自分の支えになってくれるのはギターと音楽だけでした。」

 過去形で語ることにリョウは苛立ちを覚える。

 「……とにかくどうにか病気治す気んなってよお、ミリアとも打ち解けてやってくれよ。あいつにとっての父親像っつうのはアル中の暴力野郎でしかねえんだよ。可哀そうだろ? それを払拭できんのは、本当の父親であるあんたしかいねえんだ。」

 ジュンヤはそう言われ、遠い目をした。

 「そういやさ、この間父親がいたらどうするって、うっかり、聞いちまって。そんであいつの答えは何だったと思う? 『優しい人だといいな』って。たった一言、そう言ったんだよ。」

 ジュンヤは哀しげな瞳で俯いた。

 「あんたみてえに、ミリアのこと傷付かねえようにって色々考えすぎる程考えてる奴が父親だっていったらあいつは喜ぶよ。理想の優しい親父でよ。ギターが巧いとか、そういうこと以上に凄ぇ、喜ぶ。間違いねえ。」

 「……違います。」その声は幾分震えを帯びていた。あたかも罪を告白をするが如く。「私は自分のことしか考えていない男です。父や母の思いより自分のやりたいことを優先させて生きてきた。ミリアさんにだって、……所詮嫌われたくないから自分が父親だって、言い出せないだけだ。彼女の心を慮っていると見せかけた先にあるのは、そういう思いなんです。ミリアさんの笑顔が消え、どうして自分を虐待から救ってくれなかったのと、あの口が噤むのが、怖い、だけなんだ。」

 リョウは深々と溜め息を吐く。

 「……今週の日曜はさ、ミリア撮影ねえって言ってから連れてくるよ。あんたに会いに行きてえっていつも言ってるし。俺だけが行くと、今日はどうだった? って必ず聞いてくるんだよ。言葉はちっと変な所あっけどな、あいつはあいつなりにあんたのこと心配してんだよ。」

 「優しい子なんですね。」

 「そうだな。」リョウは即座に肯定した。「ま、父親に似てんだろな。」

 ジュンヤは目を見開いてリョウを見上げた。

 「頑固で優しくて、ギターが大好きで、音楽に支えられながら生きてて、……完全父親似だろな。」

 ジュンヤの双眸に無理な輝きが宿った。リョウはふと視線を逸らした。


 「ねえねえ、ジュンヤってなんのお病気なのかなあ。」ミリアが冷やし中華を啜りながら尋ねた。

 リョウはぎくりとして箸を止める。

 「早く治るお病気なのかな。まだ入院して二週間ぐらい? まだまだ退院までかかるのかなあ。」

 「あ、あのな。」リョウは慌てて身を乗り出す。「ほら、病名聞かれたりすると嫌な気持ちになる奴もいるから、ジュンヤさんに病気なんですかとかって聞いちゃダメだかんな。」がん、であるなどということを知ったらミリアはきっと動顛するであろう。自分と同じく抗がん剤治療などを行うと聞いたら、絶対に、ただではいられないであろう。

 「リョウもいっぱいお見舞い行ってるのに、聞いてないんだ。」

 リョウは生唾を呑み込む。「……病気、の話、っつうのは、気が滅入るかんな。」さすがに虚言は、たどたどしく呟く以外にない。

 「そっか。」ミリアは納得したように今度はウーロン茶をごくごく飲み始めた。「そうよね。お病気なのにお病気の話ばっかされたら、お病気のために生きてるような気がしっちまうものね。そしたらジュンヤ可哀想。」

 「そうそう。」

 「だってジュンヤはギターのために生きてほしいもん。あんなにギターの天才なんだから。お病気のためなんかに生きてほしくない。リョウは大丈夫? 今度検査は九月だわね。」

 「俺は大丈夫だよ。相変わらずデスボイスは絶好調だし、飯は旨ぇし、ギターは最強だし、曲はじゃんじゃん出て来るし。」

 ミリアは目を閉じてうっとりと耳を傾ける。「素敵。リョウはいっとう素敵。早くジュンヤも治って素敵になればいいのにな。」

 リョウは刻んだハムと一緒に麺を口の中に押し入れる。

 「明日ジュンヤにお野菜スープ作って持ってこ。美味しいってなったら、みるみるお病気治っちゃうから。」

 「そうだな。」リョウは遠い目をして肯く。自分も一番辛かった時支えになってくれたのは間違いなくミリアだった。ミリアの笑顔、ミリアの言葉、ミリアの持ってくる料理、それがなければ今頃無縁仏にでもなって地中深く埋まっていたと言っても過言ではない。

 「ミリアねえ、あのね、なんかねえ」ミリアは恥ずかし気に身をくねらせて言った。「ジュンヤのギターとっても好きなの。何か、懐かしいみたいな気がするの。ジャズ聴いたことないのに、変ね。」そう言ってくすりと笑った。

 一方リョウは唖然としてミリアを凝視した。

 ミリアは血でジュンヤの音を求め、そして受け止めているのではないか。それゆえ、もしかしたら自分がジェイシーとやらを探さなくても、必然的に出会ってしまったのではないか。そうとさえ感じられた。

 「でもね、一番はリョウのギターだわよう。リョウのギターを聴いてミリアはミリアになれたんだもの。辛いばっかりの可哀想な子じゃなくって、……幸せな子になれたんだもの。」

 デスメタルが幸福を招くとは逆説的であることこの上ないと思ったが、リョウはミリアの幸福そうな笑みを見ると、何でも正しいような気がしてならない。とても否定はできない。リョウはじっとミリアの幾分紅潮している頬を見詰めた。そして全く関係のない、とあることに気付いた。

 「……お前、もしかして化粧、してんの?」ぎょっとして言った。

 ミリアは目を見開いて「お化粧ぐらいするもん。大学生は。」と言った。

 リョウは身を乗り出しミリアの顔を間近に凝視する。

 「お前わざと頬っぺた赤くしてんじゃねえか、これよお。」と言って頬を人差し指で詰る。

 「ぐいぐいしないでよう! チークっていうのよう!」

 次いでリョウは物珍し気に恐る恐る今度は、ミリアの睫毛に触れてみた。「あー! やっぱり! お前、睫まで! 何でこんなちくちくしてんだよ。」

 「マスカラ塗ってるのよう! おめめぱっちりにしたいのよう!」ミリアはそう言ってリョウの手を邪魔そうに押しのける。

 「んなことする必要あんのかよ。」

 「ある! 可愛くなるためだもん! 大学生はみんなお化粧ぐらいしてるもん!」

 「……そういう、モンなのか。」

 「大学生はもう大人だもん。大人は化粧するんだもん。ミリアだって撮影行くとメイクさんに教わって色々勉強してるんだもん。」

 「……そう、だったんか。お前、いつの間にか化粧なんてするようになったんか。」確かに朝、いつまで経っても洗面所から出てこないことが多々あったことを今更ながら思い出す。てっきりトイレが長いのかと思っていたのである。

 「入学式の日も、その夜にジュンヤのライブデート行った時も、ミリアお化粧してたのに。」ミリアは恨めしそうに睨み上げる。

 「マジで?」リョウは頓狂な声を出した。

 「リョウはちっともミリアのこと見てない。髪の毛切ったってちっとも何も言わないもの。」

 リョウは首を傾げる。言われてみればミリアはいつ髪を切っているのであろう。いつも変わらぬセミロングであり続けているような気がしていたが、無論そんなことがある訳がない。

 「撮影現場で切って貰うこともあるし、自分で美容室行って切る時もあるし。リョウはミリアのこと、ちっともなんにも知んないでしょう!」

 「知ってるよ。ふざけんな。お前がギターの練習サボった時は一秒以内で速攻わかる。」

 「そうじゃないわよう!」

 リョウは唯一の自慢を言下に否定されて、何だか肩身が狭くなる。

 「髪の毛変えてもお化粧しても、なんも知んないっていうのは、興味がないってことだわよう!」ミリアは眼光鋭くリョウを睨み上げる。「そんなんじゃあダメ! 一体全体絶対ダメ!」

 リョウはこれ以上攻撃を喰らうまでに戦線離脱をすべく一気に冷やし中華を口中にぶち込み、口をもぐもぐ言わせたまま皿を持って台所に立った。スポンジを泡立てていると再びミリアが宣った。

 「リョウはミリアのこと、好き? ミリアはいつもリョウが好きだけど、リョウもいつも好き?」独り言めいた言葉にふとリョウの手が止まる。「お友達はデートするけど、ミリアはあんまししない。ジュンヤが良くならないから、しない。ミリアは安売りスーパーも好きだし、スタジオでリハするのも好きだけど、やっぱり、リョウとジュンヤのジャズ聴きに行くのが一番好き。それが一番のデート。」

 そうだったのか、とリョウは感心する。「へえ、遊園地よりもか。」

 「そうなの。なんかリョウとジュンヤといると、心が一等落ち着くの。ふわーって、楽ぅになるの。」

 リョウはぎくりとして背を伸ばした。やはり、親子なのだ。血が互いを求めあっているのだ。そう唐突に確信めいた思いが膨れ上がってきた。

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