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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 それからリョウはレッスンが終わると、比較的家の近くということもあり、頻繁にジュンヤを見舞うところとなった。ミリアを連れて行くこともあれば連れて行かぬこともあった。連れて行かぬ時にはミリアに父親だと打ち明けてみないかと突っついてみるものの、ジュンヤの答えはなかなか出なかった。

 「ねえ、すっごいの!」ある日ミリアは帰宅するなりギターを弾いているのも構わで、リョウに飛びついた。

 「何がすっごいんだよ。」

 「めちゃめちゃすっごいの!」

 「何がめちゃめちゃなんだよ。」

 「聞きたい?」

 目を真ん丸にし、絶対に聞きたくないとは言わせぬ風情である。

 「聞きたい、な。」

 「じゃあ、教えてあげる。なんと!」ミリアは輝く瞳でぐいを身を寄せ、リョウを覗き込んだ。「アサミさんに赤ちゃんが生まれたの! 女の子だわよう!」

 リョウは目を丸くした。「……マジか。」

 「マジよう! そしたらお祝いっていうのあげたいの。どうしたらいい、何がいい?」ミリアはリョウを力一杯揺さ振る。

 「そうだなあ。ええと、ああ……、ううんと。」リョウは希薄な常識的知識をフルに集結させて、「服、とかじゃねえの。赤ちゃんの服。」

 「そうだ!」ミリアはすっくと立ち上がり、「ねえ、連れてってよう。赤ちゃんの服屋!」

 「はあ? 今からかよ。」

 「駅前のデパートよう! ねえ、明日撮影の後で事務所寄ってくから、その時渡したいの! だから今しかないのよう!」

 アサミにも社長にも散々世話にはなり尽くしている。こういう時に僅かなりとも礼を尽くすのは当然のようにも思われた。リョウはギターを無言で脇に置き、すっくと立ち上がった。「よし。行くぞ。」


 リョウはベビーグッズに囲まれることが、このような痛烈な羞恥心を齎すということを四十手前にしてはっきりと思い知らされた。腕に腕を絡み付けているミリアの腹部に赤子がいて、その生まれて来る準備を整えに来たのだと、そう信じてやまない視線が、しかも絶対に否定して歩くこともできない視線が、否応なしに浴びせかけられるのである。ミリアはそれを知ってでか知らないでか、上機嫌で「女の子はピンクなの。」などと言っている。店員はニコニコと微笑みを浮かべ、その様を見守っている。「違ぇよ! 他人様のお祝いを買いに来たんだよ! この腹には何にも入っちゃいねえ! 入ってんのはせいぜい昼飯に食って旨かったと報告してきた、たらこスパゲティぐれえなもんだ!」と一方的に弁解を捲し立てたい、リョウはそんな衝動にさえ駆られた。

 「ねえ、アサミさんに似てるかな。社長に似てるかな。……でも、どっちでもいいわねえ。別に。」ミリアはそう言って目の前のピンク色のおくるみを広げてみせる。「こーんな小っちゃいわあ! 可愛いわあ!」ミリアは讃嘆する。

 そしてその上に置いてある小さな靴をそっと掌に乗せ、「これもこーんな小っちゃいわあ! 可愛いわあ!」と繰り返す。

 「じゃあ、その服と靴にしよう。ほら、買って来いよ。」

 「ええ、ちょっと待ってよう。こっちも見たいの。」

 リョウは女の買い物はこれだから、と苛立ちを鼻梁に刻み、しかし社長とアサミのこと故文句も言えず、渋々ミリアに従った。いつから自分はこんなに我慢強くなったろうと我ながら感嘆する程である。ミリアと出会って変わったと言うシュンやらアキの言葉がこの上なくはっきりと今、自覚されるのである。

 ミリアは店中をあれこれ三十分以上も検分しながら、もうこれ以上一分一秒たりともこの空間に存在し続けられないとリョウが心の底から悲痛な咆哮を上げようとするまさにその寸前、クマのアップリケの付いたピンク色のおくるみと、同じくピンク色のフリルのついた小さな靴を、「これだ。」と神妙に呟いて、レジへと持って行った。

 「ご自宅用ですか?」店員はやはりミリアの妊娠を疑っていたのであろう。そんな言葉を平然と言ってのけるのを聞き、リョウはどうしようもなくよろめいた。

 「ううん。違うの。そうだといいんだけど、ちょっと、違うの。社長の奥さんにプレゼントなの。」

 ちょっと、とはどういうことなのか。リョウは顔を顰めつつミリアの隣で財布を広げる。「いいの、ミリアが払うから。」

 「俺が一番社長には世話んなってんだよ。」リョウは強引に金を支払った。それよりも一刻も早くここを、出たい。

 少々お待ちください、と更にリョウに痛苦を与えつつ、店員は丁寧過ぎる程丁寧に商品を包み、リボンまで付けてミリアに手渡した。それをミリアはうっとりと抱き、頬擦りする。ミリアが自分もいつか、などと言い出さないうちにリョウはさっさとミリアを引っ張って店を出、バイクに問答無用で乗せ、荒々しい手つきでヘルメットを被せた。

 「ミリアはやっぱり男の子がいいな。」

 何がやっぱり、なのかリョウは黙ってヘルメットを被った。

 「だって、名前はリュウちゃんだもの。真っ赤な髪のリュウちゃん。」

 自分は染めているのだ。さすがに生まれついての赤髪ではないのだ。日本人なのだ。とリョウは胸中で訴え、しかしなぜそこまで具体的に考えているのだと、ああ、とヘルメットを被ったついでに頭を抱え、慌ててアクセルを回す。そうだった。ミリアとは兄妹ではなかったのだという現実が痛烈に襲ってくるのであった。

 

 帰宅し、騒ぎ立てるミリアの話を聞いてやりつつ夕飯を摂り、ミリアは風呂に入り少しギターを弾くと、明日も早いのだと言って早々にベッドに潜り込んだ。

 新しく誕生する命と、消えゆく命――。リョウは、ミリアの天蓋付きベッドの脇に丁寧に置かれた、祝いの包みを見ながらふとそんなことを考えた。ミリアは幸せそうな寝息を立てて眠っている。

 命を与えられた者は順繰りにこの世界へと現れ、そして使命を全うし、命を使い切って旅立っていく。それが延々と行われ続けている。この世は誰にとっても束の間の空間。幕間劇の如く。しかしだからといって今世を軽視してはならないという、確信がある。理由は知れぬが既に旅立った園城は必ずやそう言うであろうと、リョウはふと思った。そして自分はこの仮初の世に何を残して去っていくのであろうかと思いなした。見上げた壁にかけられた二本のギターが眩く輝いているのを、リョウは目を細めて眺めた。

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