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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 バイクを飛ばし家に着くと、何も知らないミリアは鼻歌を歌いながら、夕食のロールキャベツなんぞを作り出した。

 「おっきいのはリョウ、小っちゃいのはミリア。中くらいのはお弁当。」妙な節を付けて歌っている。「色んなキャベツ。おっきいのと小っちゃいの。厚いのと薄いの。固いのと柔いの。おっきいのはリョウ、小っちゃいのはミリア。」

 リョウはパソコンに向かい作曲をしながら、こそこそとジュンヤからのメールをチェックする。まだ返事は、ない。今頃ジュンヤは何を考えているであろうか。慎重な男なのだ、自分とは違って。

リョウは溜め息を吐きながら、自分の闘病生活を思い返しつつ、その苦悩と悲嘆を秘めた音を入力していく。苦痛、死という未知なるものへの恐怖、知りたくない己が弱さ、何にでも縋りつきたくなる反吐の出そうな己が甘さ、それは自己の身を削るというよりも自己の精神を削る作業でもある。リョウは幾度も頭を抱え、溜息を吐きながら曲作りを続行していく。いつしかそれは個別の経験から普遍へと向かっていく、すなわち、園城もジュンヤも含め、この上なき普遍的な死を見据えていくこととなるのである。

 「人参はお花の形。ハートの形。かわいく、かわいく。あっちもこっちもいっぱい。いっぱい。」

 リョウはふと、救いを求めるようにミリアを見た。

 熱心に人参の型抜きをしていたミリアも視線に気づき、リョウに微笑みかける。「どしたの。」

 リョウは何かを言わなくてはならなくなる。ただ顔を見詰めていたのだ、などと気恥ずかしいことは口が裂けても言えやしない。

 「その……。もし親父さんって人がいたら、どうする?」と焦燥のあまり、ほとんど確信を突いた質問をしてしまった。リョウは、慌てて口元を手で覆った。

 「親父さん……。」ミリアは手を止めて呟くように言い、「優しい人が、いいな。」と照れたように俯いて答えた。無論答というにはいささか不適切と言わざるを得ない答ではある。しかしたしかにその通りであるとリョウは納得する。ミリアにとっては父親はアルコール中毒の、暴力的で非人間的な男である。それ以外のイメージとやらは皆無であろう。だからせめて人間的な優しさのある人間であれば……。

 「きっと優しい人だ。」

 「うん。」ミリアははっとなって顔を上げ、嬉し気に大きく肯いた。


 出来上がったロールキャベツを頬張りながら、ミリアは「ねえねえ、ミリアにパパがいたらさあ、」と再び言い出したので、リョウは思わず咳き込んだ。慌ててお茶を飲む。我ながら考え無しにとんでもない話題を出してしまったものだと、悲痛なまでの後悔を覚える。

「大丈夫? ……で、そしたらさあ、パパいたらさあ、リョウは『お嬢さんを僕に下さい』って言う?」

 今度は茶ごと噴き出した。

 「……い、言わねえ。」口を手の甲で拭いながら辛うじて言った。

 ミリアは眉根を寄せ、さも無念そうに、「そう……。」と言った。「……でもね、あのね、この間ね、大学早く帰って来た時、夕方にドラマやってたのよう。きっとね、昔の。そしてね、若い男の人が恋人と結婚するのに、パパの所に何度も行くの。そのたんびにね、『お嬢さんを僕に下さい』って言うの。でもね、『許さん』って言われっちまうの。」ミリアは眉根を寄せて、最後、稀代の秘め事でも告白するように囁いた。

 「そんでね、遂に、パパがいいよって言うのは諦めて、恋人たちは駆け落ちしっちゃうの。……はあ。」ミリアは同情とも羨望ともわからぬ表情で溜め息を吐いた。

 リョウはフォークを咥えたまま、考え始める。

 万が一ジュンヤとミリアが普通の父子として暮らしていたとしたら、それに似た茶番を自分は演じなければならなかったのではないか、と思い成したのである。ジュンヤはにわか現れた我が子ミリアのことをあれだけ大切に思っているのであるから、長年暮らしていたとしたら、余計に結婚なんぞそうそうは許さなそうに見える。自分は何度もミリアのために頭を下げ、結婚を請うのであろうか。リョウは気弱そうな表情でミリアを見詰めた。

 「あの……。」リョウはフォークを置いて呟く。「お前は、あれか。そういうの、やってみてえのか……?」

 ミリアはそれには答えず、うふふ、と照れ笑いをして力一杯ロールキャベツをナイフで切り始めた。

 リョウの脳裏には、真剣にミリアのことで思い悩むジュンヤの横顔が思い浮かんだ。少々神経質そうなところのある、あの繊細そうな男に、本来自分はミリアと一緒に暮らせるよう冀ったのであろうのか。それは裁判で弁護士を雇って養護権を戦うよりも非常な難事に思えた。全て自分で場を設け、戦うしかないのだ。そしてそういうことを世の中の男共は皆行っているのかと思えば、リョウは尊崇の念の沸き起こって来るのを抑えられなかった。

 「『お嬢さんを下さい』……か。」リョウは呟く。

 「そうなの。」ミリアはリョウが話に乗ってくれたことが嬉しく、身を乗り出して喋り出す。「そう言うとね、パパ、とーっても怒っちまうのよ。あんまり怒っちまうからミリア、男のひとが可哀想でハラハラしちゃって、そんでこの間鮭のホイル焼き、焦がしたの。」

 リョウはそれで腑に落ちたとばかりに、「ああ」と頷いた。たしかに数日前、焦げた鮭のホイル焼きが夕飯に出されたことがあった。ミリアがそれをあまりに気にしていたので、メタラーたるもの黒が一番だろと見当違いな励ましをしてやったものだった。

 「リョウは怒らんないから、よかったわねえ。ミリアにはパパがないものねえ。」

 リョウはミリアの真意を伺うべく、ちら、と夕食に興じているミリアを見た。ミリアは旨そうにロールキャベツを咀嚼しつつ、「パパ怒らんないから駆け落ちもしないわねえ。でも、ちょっと、……ちょっとだけなら、駆け落ちしてみたいけど……。」ともごもごと呟いた。「ねえ、知ってる? 駆け落ちは二人でひとっつのマフラーすんのよ。そんで煙のモクモク出る電車に乗んの。そんでね、電車は冬の何もない田んぼ道をぶわーって、走っていくのよ。」

 「そうか。」リョウは無感動に答える。一体ミリアは何にロマンを覚えているのだか、はなはだ不思議である。昭和的な趣味があるのだろうか。しかしミリアは興奮しながら、ひとしきり駆け落ちに対する憧れを吐露し、夕食を終えた。

リョウは洗い物を清ますと、ジュンヤからのメールが来ていないか再度確認をする。来ていないとわかると再び作曲に向き合い始めた。自分が病に侵され死に向き合ったあの経験をまざまざと思い返す。その中でジュンヤが今、余命半年と宣告され、これからおそらくは相当痛苦に満ちた治療が始まっていくのだと思うと、リョウはやはりいてもたってもいられなくなってくる。

 ――やはり、ミリアに言うべきではないか。たといジュンヤが拒絶したとしても。その二人を繋ぐ存在は自分だけである。にわか責任が覆いかぶさってくる。絶対にミスの許されぬ、責任が。でもジュンヤの言う通り、父親であることを言ったとして、ミリアがどういう衝撃を受けるのかは未知数だ。普段は明るそうに振る舞ってはいるものの、映画の撮影現場で倒れたが如く、ミリアが虐待の傷を完全に克服したとは言い難い。もしかするとそれは一生涯癒えぬものであるのかもしれない。傷は目に見えぬものであるだけ、安易な判断はできない。

 リョウはまた台所で「泡ぶく泡ぶく。大っきい泡と小っちゃい泡。大っきいのはリョウ、小っちゃいのはミリア。ぶくぶく、ぶくぶく。」と妙な歌を歌いながら洗い物に興じるミリアを見詰めた。そしてまた何を見ていたのかと追及されては敵わないと、慌てて目を反らし再び作曲に勤しんだ。

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