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BLOOD STAIN CHILD Ⅳ  作者: maria
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 遠く、ベッドでも搬入しているのであろうか、軋むタイヤの音がする。

 リョウはミリアが出て行った後、ごくりと生唾を飲み込んで、果たして何をどう言い出そうかと思い悩んだ。そもそもなぜ自分がミリアを払ったのか。頭が混乱し始める。メールのやりとりぐらいしかしていないジュンヤと二人きりになるのには、幾分緊張を伴うのである。

 「がん、だそうです。」

 ジュンヤは唐突にそう言った。リョウは顔を顰めて暫くその言葉の意味するところを考え込んだ。

 「暫く胃に痛みを感じていて、酒の飲み過ぎかとか年のせいだろうかとか、呑気なことを考えていたのですが、……胃がんでした。」

 「……マジか。」ようやく絞り出せた声がそれであった。我ながら間抜けている、とリョウは再び顔を顰めた。

 「医師には、余命半年と宣告されました。スキルス胃がんだそうです。」

 リョウは目を見開いてジュンヤを見た。ライブで見た、真剣にフレーズを奏でるあの顔であった。ジュンヤの唇が再び開く。

 「まだまだ、頭の中で鳴っているだけの、曲になっていない音もたくさんあるんです。あと半年で、……たった半年で何ができるというのか……。」

 リョウははっと我に返り、即座にジュンヤの傍に座り込み、「ミリアに言おう。」と小声ではあるが、力強く言った。ジュンヤは何を言っているのかと、不審げな顔でリョウの顔を見据える。

 「あんたが本当の父親だって、言おう。」

 「なぜ?」予想外の冷たい眼差しにリョウは一瞬怯んだ。

 「なぜって、がん治療すんのに周りに遠慮なんかしてる場合じゃねえだろ。全部ぶっちゃけて、そんで治療に専念しろ。な。それがいい。」

 「僕が見放しにしたからこそ彼女は地獄を味わわせられたのです。病気を免罪符にしてそれら全てに許しを請おうだなんて……。」ジュンヤは鼻筋に怒りを籠めて言った。

 「そんなことねえって。」リョウは情けない声を出した。「ミリアはそんな、……。」

 「私は人間として生きたい。」

 リョウは溜め息を吐いた。しかし「生きたい」なのか「逝きたい」なのか、ふとそんなことに思い至り、リョウはにわか焦燥感を覚える。しかし不吉な発想を口にすることもできず、生きたがっているということとし、「ま、まあ、そうかもしれねえが……。ミリアだってな、別にあんたが病気でも病気でなくてもそんなことは関係なしに、あんたが父親だっつうんなら喜ぶって。何せあんたのファンなんだから。」

 「たまたま音楽を気に入ってくれたのと、血の繋がりとでは話が違います。」

 「あんた頑固だな! ミリアにそっくりだ!」リョウはそう言って呆れたとでもいうように身を仰け反らせた。「……でもな、がんの治療は辛ぇんだよ。正直言って俺は自分一人だけだったら乗り越えられなかったと思う。ミリアがいて、メンバーがいて、そんで俺の復帰を待ってくれるファンがいるから、こうして復帰できた。な? あんた妻も子供もいねえんだったらミリアに全部話してよお、そんで治療に専念した方がいいって。絶対ぇ。」

 「そんな自分勝手な理由で彼女を束縛し混乱させるのは、私の意とするところではありません。」ジュンヤは思い詰めたように言った。「ミリアさんは思うでしょう。自分に本当の父親がいたなら、どうして自分と暮らしてくれなかったろう。守ってくれなかったであろう。愛してくれなかったでなかったろう。そうして思い悩み、私の怠慢を憎むこととなるでしょう。私は……、とても自己中心的な人間です。ミリアさんに憎まれたく、ないのです。」消え入りそうな声であった。

 「あいつはそんな風に人を憎んだりする奴じゃねえって! それに、確かに辛い子供時代を過ごしたかもしんねえが、でもあいつなりにちゃんと乗り越えてんだ。誰かのせいにして、恨むなんてこたしねえよ。」

 ジュンヤは疲弊したような瞳でちら、とリョウを見上げた。「ミリアさんは、エリコによく似ている。」

 リョウは確かにそれは否定できぬと、悔し気に口を噤む。

 「エリコは私から理由も告げずに逃げて行った。未だに何が悪かったのかは、わからない。」

 今更何を言っているのかという思いで、リョウは明らかに不満げにジュンヤを見下ろした。

 「奇蹟的に邂逅できたミリアさんに、自分の非情がばれたら、また、去られてしまう。」

 「何言ってんだよ。」リョウは完全に馬鹿らしくなって、鼻を鳴らした。「あいつは、中身は、母親とは全然違うかんな。そんな、男作りまくってあっちこっち遊び歩いてるような女とは。……あんまあんたが惚れた女のことを悪く言いたくはねえが、ずっとほったらかしにしてたミリアの親権を寄越せっつって、まだあいつが中学生の頃、しかも受験の当日に裁判やらかしたんだぞ。しかもミリアの学校まで乗り込んで行って大騒ぎしてな、引っ張られたか何かされて、ミリア、母親に怪我させられたことさえあったんだかんな。だからミリアはあの女のことにかけては、トラウマにさえなってんだぞ。確かに顔は、……その、まあ、似てっかもしんねえがな、あんな腐った心根の野郎とは似ても似つかねえよ。」

 ジュンヤは信じられないとばかりにリョウを見上げた。「彼女に暴力を、振るったのですか?」

 「そうそう、大した傷じゃあなかったが、撮影の前日とかでメソメソしちまってな。悪いがあいつは気違いだぜ、気違い。」リョウはジュンヤの耳元に近寄り、そう繰り返し囁いた。

 ジュンヤは困惑した表情で俯いた。

 「あ、すまねえ。言い方がちっとアレだったな。まあ、あんたの好きだった女のことを悪く言うつもりはねえけどよ、でも、あんたの他にも山ほど男がいて、ミリアの父親候補もごまんといるみてえな女はどう考えたって頭おかしい部類に入るだろ。あんなのに逃げられたっつうんで、何十年もメソメソする必要はどう考えたってねえよ。」

 ジュンヤは俯いて何やら考え込む。

 「でもな、そんな母親とは全然違うんだよ、ミリアは。あんたが父親だっつっても、ちっとも悪い気はしねえばかりか、嬉しがるに決まってるよ。そしたら、治すモンとっとと治して、今からだって親子やりゃあいいじゃん。ライブだの遊園地だの連れてってやったら、あいつ、凄ぇ喜ぶぜ。」

 ジュンヤの眼差しが潤んで揺れる。「そうなのかもしれません。でも、……すみません。考えさせて下さい。病気のことと、ミリアさんのこと、……まだ自分の中で消化しきれない。」

 リョウはこめかみを人差し指で掻きながら、「わかった。こっちこそ次から次へと、言い付けちまってすまん。」と小さく頭を下げた。

 「いえ……。」ジュンヤは力なく微笑む。「でもいつか、全てを解り合った上で仲良く話せたら、……いいですね。希望……。」

 そう言って伏せた睫毛の長さがミリアに似ていると、リョウは唐突に思った。そして思い出した。「俺はな、あいつのお蔭で救われたんだ。……俺は、今でもまあそういう所はあんだけど、昔はもっととことん自分のことしか考えられねえ人間だった。何つうか、音楽やってくのが最優先で、それ以外はどうでもいいっつうか、むしろ邪魔すんな、邪魔する奴は張っ倒してやる、みてえな。ミリアが最初にうち来た時も、うまく口では言えねえんだが、ボロボロで可哀そうっつうか、そういう人として当たり前の感情じゃなくって、あいつに俺の過去を見たから一緒に暮らそうって思ったんだと思う。今、思えば……。救えなかった過去の自分を救えるチャンスっつうか。そういう打算的な考えでミリアと暮らし始めたんだ。多分。でもな、あいつと一緒にいる内に……。」リョウはこれだけはどうしても伝えたく、必死になって言葉を探す。「あいつが自分の地獄みてえな経験を丸々抱えてステージ上がってプレイしてんのを見ている内に、俺はバンドマンという以前に人として、誰のために奉仕しなきゃなんねえのかってのがわかるようになってきたんだよ。絶望に瀕している奴、苦しみのたうち回ってる奴、俺はそういう奴のために音楽、デスメタル、やってんだ、自己満足のためじゃねえ。そういうことが、あいつといてはっきりわかったんだ。ミリアはさ、何の目論見も打算もねえよ。そんな頭よくねえし。でも自分の過去に向き合ってさ、しっかりそこを乗り越えて行こうっつう気概は俺よりも、ある。それは自分のためでもあるけど、それだけじゃねえ。ステージに立ってな、自分の生き様をまざまざ見せつけて、だからどんな絶望からでも人は復活できるんだって、凄ぇ説得力持ってプレイすんだよ。」遠い目をしながら聴いているジュンヤに、リョウは一層身を乗り出して言った。「あんたの娘は凄ぇよ。あんたも、……あんたは自分のことよりもミリアを大切に思える、人の心を持った立派な人だとは思うが、でも、ミリアから教わることはいくらだってあると思う。救われると思う。自分だけのモンだと思ってる苦しさが、辛さが、ミリアと一緒ならもっと大勢の人間のために乗り越えなきゃなんねえって、そう、確信できるようになんだよ。」

 ジュンヤは目をうっすらと開き、口元を綻ばせた。「そう、……ですか。」

 ごくり、とリョウは生唾を飲み込み、ジュンヤの次の言葉を待った。

 「あなたたちに、出会えてよかった。」

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